2014年に開催された『コミックマーケット』で披露したマリオ風コスプレが大きな話題を集め、日本だけではなく、世界10ヶ国以上で大規模イベントにゲスト招致されるなど国内外で活躍するコスプレイヤー・五木あきら。キュートなルックスとこだわり満載の衣装で、コスプレブームを牽引してきた彼女は一体どんな人物なのか? その素顔に迫った。

(3回連載の1回目)

【写真7点】世界的コスプレイヤー・五木あきらの撮り下ろし私服ショット

――小さい頃から人前に出て何かするのは好きだったんですか?

五木 実はいまだに人前に出るのが苦手で(笑)。コスプレを始めたきっかけも人前に出たいとかではなく、単純に自分の好きなアニメの中に入りたいという気持ちから始めたものなんです。当時はレイヤーが大々的にメディアで取り上げられるなんて考えられない時代でしたしね。趣味として10年以上、お仕事として5,6年、コスプレをやらせていただき、いろんな活動をさせていただいているんですけど、今でもイベント前日は緊張で眠れないです。そこは慣れないですね。

――アニメやマンガが好きになったのは幾つぐらいのときですか。

五木 小学生の頃からアニメは大好きで、土日の朝アニメは毎週見てたし、漫画雑誌も『りぼん』『なかよし』『ちゃお』は全部買ってたし、当時流行っていた『銀魂』『BLEACH』『家庭教師ヒットマンREBORN!』など毎週読んでました。それに、高橋留美子さんの作品はアニメもマンガも大好きで、『うる星やつら』『らんま1/2』『犬夜叉』などから大きな影響を受けました。特に『らんま1/2』は、乱馬みたいになりたくて少林寺拳法と空手を習い始めたぐらいで。どうやったら強くなれるのかなと思って、毎日ひたすら筋トレや腹筋をしていました(笑)。その頃からアニメの世界への憧れは強かったです。

――少林寺拳法と空手まで習うのはなかなかですね。


五木 空手は1年弱で辞めましたけど、少林寺拳法は2年ぐらい道場に通って、大会にも出ていました。格闘シーンってアニメに当たり前に出てくるし、道着が着られるのも嬉しかったんですよね。ただ少林寺拳法には「大車輪」という、いわゆる側転の技があるんですけど、それができなくて躓いてしまい……。あと中学3年間は陸上部だったので、道場に行く時間もなくて少林寺拳法は辞めてしまいました。

――体を動かすのが好きなんですね。

五木 小さい頃からの唯一のとりえで、短距離は人並みよりも速かったんです。それを伸ばしたかったのと、ダイエットになればいいなと思って陸上部に所属しました。

――そうした運動経験が、コスプレに活きている部分ってありますか?

五木 陸上部だった影響で、上半身が細く、下半身がしっかりしている体型なんです。この体型だと、華奢なキャラクターには向かないけど、格闘系のキャラはやりやすいですね。コスプレイヤーさんでガツガツ運動する方は少ないので、そこは自分の強みかもしれません。もちろん、脚が細いのも羨ましいですけどね(笑)。ただ昔はすごくコンプレックスだったんですけど、コスプレを始めてからは、ファンの方や女の子に「その脚が好きなんです!」って言ってもらえることも多くて、前よりは自分の脚が嫌いじゃなくなりました。


――小学生時代にコスプレ願望の萌芽みたいなのはありましたか?

五木 お父さんと一緒に『ハリー・ポッター』シリーズを観に行ったときに、映画館に売っているローブや杖やマフラーを欲しがっていました。あと旅行で京都の東映太秦映画村に行ったことがあって、新選組の法被に惹かれましたね。今考えると、その頃から変身願望みたいなのがあったのかもしれません。

――実際にコスプレを始めたきっかけは?

五木 小学校高学年のとき、『家庭教師ヒットマンREBORN!』の六道骸(ろくどうむくろ)というキャラクターが大好きで、ひたすら画像をネット検索して保存することにハマっていたんです。そしたらコスプレ写真や衣装が引っ掛かって、「なんだこれは?」と。そのときに初めてコスプレの存在を知って、コスプレをしたいというよりも、好きなキャラクターが着ている衣装が欲しいと思ったんです。好きな人の制服の第二ボタンを欲しがるような感覚に近かったですね(笑)。それでお年玉を貯めて、小学6年生のときに六道骸の衣装を買いました。確か上下揃いで5万円ぐらいしたので、当時としては高い買い物でしたね。それが初めてのコスプレでした。

【つづきはこちら】「変えるに変えられなくなった」名前の由来

▽五木あきら
様々な作品の公式コスプレイヤーとして活躍する人気コスプレイヤー。国内は元より、アメリカ、韓国、スペイン、中国、ロシアなど世界10カ国以上の大規模イベントに出演。
また近年では雑誌グラビアに出演しており、活動の範囲を広げている。
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