【写真】お笑い界のニューカマー蛙亭・イワクラ
ーー蛙亭のお2人が上京したのは去年の4月ですが、あっという間にテレビでも大活躍されていますね。
イワクラ(以下、イワ) もう日々、最高というか。へへへへ。
ーー顔がニヤケてますね(笑)。
イワ 考えただけで口角も上がっちゃうんですよ(笑)。「最高過ぎる!」としか言いようがないです。上京後2カ月間はコロナの自粛期間と重なって、大阪の先輩とかにも「舞台もないけど大丈夫? 大変だね」って心配されてたんです。でも大阪でも、もともと仕事もなくてバイトばっかりしていたんでそれほど辛くはなかったですね。バイトをやろうにも募集も全然ないし「とりあえず家でおとなしくしとこう」って感じでした。
ーーそれだと生活がままならなくなってきたんじゃ?
イワ そろそろヤバいな、って思ってたんですけど、6月になったらそれこそ今日まで、本当に信じられないくらいテレビの仕事が一気にバーッて増えて。劇場も再開されましたし。初めてお笑いだけで生活できる状況になったんですよ。
ーー大阪時代は芸人としてのギャラでは生活できていなかったんですか?
イワ 芸人の給料はほとんどなかったです。週に1回、多くて2回の劇場出番くらいで。
ーーテレビの仕事は? 深夜番組とか……。
イワ 全然ないです。1年に2回くらい、千原ジュニアさんMCの『千原ジュニアの座王』(カンテレ)っていう大喜利番組に呼んでいただくぐらいで。ネタ番組とかバラエティに出ることはありませんでしたね。ほぼ毎日バイトです(笑)。
ーー当時のことを思えば、本当に人生が変わったんですね。そもそも、どうして芸人になろうと?
イワ 小学生のときに、大阪の親戚がなんばグランド花月に連れて行ってくれて、初めて寄席を見たんです。漫才とか、新喜劇とか。それで「人を笑わせるってすごいな」って感動して、私も将来、吉本に入りたいと思ったのが最初でした。
ーーお笑いに目覚めたティーンにとっては、けっこうキツい環境ですね。
イワ 番組を見てても途中で中継が切れたりするんですよ。「一部の地域は……」っていうのは全部切れてました(笑)。今ほどネットも充実してなかったんで、「どうやって調べればいいんだ?」って感じでしたね。
ーー小学生時代から芸人志望なら、コントや漫才をやって友達を笑わせたりすることもあったんじゃ?
イワ 給食の時間に、友達と漫才をしたりしてました。授業中にちょっとボケたり、先生の物まねやったりも。けっこう目立ちたがり屋だったとは思いますね。自分のやりたいことはやりたい、っていうか。
ーークラスの人気者でみんなを笑わせる人、という感じですか?
イワ ではなくて、そういう人たちに「あいつ、めっちゃ変な奴だな」って言われるタイプで。
ーー大阪に出て吉本興業の養成所(NSC)に通う資金を高校卒業後にアルバイトで稼いだそうですが、笑ってもらう快感を知って、どうしても芸人になりたい、みたいな気持ちだったんでしょうか。
イワ それもありますけど、やっぱり芸人っていう職業が、たとえば辛い事でも笑いに変えて話したりして、それで人を喜ばせるっていうのがすごいな、という尊敬があって。自分もそうなりたいな、と思ってました。それが私が芸人を目指した大きな理由ですね。実は高校卒業後のバイトも、辛めで笑えるエピソードトークのネタが欲しくて、おじさんしかいない交通整理のバイトをしたんです(笑)。
ーー進んで「芸人修行」していたんですね(笑)。何かいいネタは拾えましたか?
イワ 朝9時から夕方5時まで働いて日給5000円、日焼けもするし熱中症で倒れるしめちゃくちゃきついバイトだったんですけど、ネタはほとんどなくて。本当に1個だけ、「工事現場でドリルを使って作業するおじさんは、ドリルを置いて休憩に行くときにちょっとだけ震えたまま歩く」っていう(笑)。
ーー面白いじゃないですか!
イワ ただ、唯一のバイトネタなのに、芸人仲間にも「絶対ウソや」とか「盛るのは違うやろ」ってまったく信じてもらえなかったんですよ(笑)。やっとの思いで仕入れたネタなのに、信じてもらえないのは辛かったですね。
(後編につづく)
【後編はこちら】蛙亭・イワクラが語る上京後の激動「ひな壇が難しくて何じゃこの世界!って」