“鬼才”の名を欲しいままにしてきた人気監督・園子温が、いよいよハリウッドデビューを飾る。オスカー俳優ニコラス・ケイジを主演に迎えた異色の最新作『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』(10月8日公開)の構想秘話から、日本映画界に対する複雑な胸中まで、赤裸々に語る。
(前後編の前編)

【写真】いよいよハリウッドデビュー、撮影現場でのニコラス・ケイジと園子温監督【12点】

── 監督のハリウッドデビュー作『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』は、かなりぶっ飛んだ作品でしたね。

園 僕としても、とにかくカオスにしたかったんです。人生で自分が面白いと思ってきたものをぜんぶ箱に詰め込んでぶちまけるみたいな、そういう感じにしたいなって。

──記念すべきハリウッド進出の第1弾でこれをやろうとなったのはまたなぜでしょう?

園 結果的にそうなったと言うか。送られてきた脚本はめっちゃ単純なストーリーで、古いマカロニウエスタン、メキシカン西部劇の雰囲気で撮ろうと思ってたんです。ガバナーと保安官と、ニコラス・ケイジが扮するヒーローの3人が砂漠に立っていて、ガバナーから「俺の娘が捕まっちゃったから連れて帰ってきてくれ」と頼まれたヒーローが、「わかった」と車で舞台のゴーストランドに向かう。ただそれだけの、ある意味、身もフタもないストーリーだったんで。

──確かに、そう聞くと往年の西部劇によくあるシチュエーションではありますね。

園 僕はセルジオ・レオーネの『ウエスタン』みたいな映画にしようと思ってた。そしたら、ニコラスと日本で会ったときに、 新宿のゴールデン街で飲み明かして、彼も「俺はチャールズ・ブロンソンをやるぜ」みたいなことを言ってたんです。でも、そのすぐあとに、僕が心筋梗塞で倒れて集中治療室に運ばれて、1分間死んで、蘇える……っていう出来事が起きて。そしたらニコラスがすごい心配してくれて、「メキシコで撮るのは大変だから、何なら日本で撮ろうよ」って言いだしてね。


もちろん長年の想いもあったから、ハリウッドデビュー作で日本かよって、最初は嫌だなとも思ったんですけど、そこは世界に向けて撮る作品だしなって考え直して。逆に「日本ってどんな国?」って聞かれて、うろおぼえな人たちが観て「あー、そうそう、これこれ」って感じになるような“めちゃくちゃな日本”を舞台にしたら、メキシコを舞台にするよりもフレッシュで、ファンタスティックになるのかなって。

──いわゆるフジヤマ・ゲイシャ・ハラキリ的なステレオタイプをあえてやると。

園 そうそう。最近まですっかり忘れていたけど、ちょうど15年ぐらい前に、海外で映画を撮りたくてロスに何回か行っていて。そのときの最初の企画書では、白人のチアガールたちが修学旅行で日本に来て、サムライゾンビと戦うっていう、わざとZ級の映画をプロモーションしてたんです。東京に着いた彼女たちの目の前には、富士山があって、桜が散ってて、新幹線が走っているそばで侍たちが切腹して……って、テキサスの田舎のおっちゃんがクレパスで描きそうな、ぶっ飛んだやつをね。

で、それが叶わなくて、帰ってきて『愛のむきだし』を撮ることになったんですけど、今にして思えば、そのときの片鱗が今回の映画『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』には全部あるなって(笑)。砂漠の予定だった場所が、サムライタウンになって、ゲイシャはいるわ、ニンジャはいるわで、とにかくあらゆる種類の人間がギッシリいる。当初のシナリオもめっちゃリライトして、全体の75%ぐらいは書きかえちゃってますからね。

──主演のニコラスはそれに対しては何も?

園 なんの不平不満も言わずにやってくれましたね。初めて会ったときから「お前の『アンチポルノ』って作品に感動して号泣した。
だからお前を監督として信頼してる」って言ってくれてね。僕のほうにも、そこで『アンチポルノ』を出してくる彼は信頼できるいいやつだっていうのはあったから、それでもう関係性はバッチリだなって(笑)。

当然、プロデューサーたちとは、口に出せないようないろんな戦いがあったし、完成までにはかなりの困難もありました。でも、僕にとってはニコラスが癒やしだったし、他の演者たちも人格者だったので、現場での撮影はいたって円滑。すごく助けられましたよね。

──ご自身が死の淵から生還したからこそ、創作活動に対してピュアになれた部分も?

園 うーん、ギリギリのラインで戦っていたので、火事場の馬鹿力じゃないけど、そこに軋轢があればあるほど、映画が土台ごとぶっ壊れてもいいってぐらい、めちゃくちゃにしてやれっていうか、ヤケになるのとはまた違った感情になんか着火しちゃうんですよね、脳内で。それで、ますますとんでもないものになっていくっていうか(笑)。そういう感じは間違いなくあったんじゃないかな。

──園さんほど実績のある監督であれば、もう少しマスに向けてメジャー感をあえて出すという方向性もあったと思うのですが。

園 なんでもいいから目立てばいいって、まぁ、それは誰に教わったわけでもないけど、それが僕の考え。わざわざメジャー感を出して、ほんのりと負けていく作品をいくつも見てるし、最初から100億かけてるメジャー映画に食いつくなんていう野暮なことはしたくないなって。

そもそも20年前に『自殺サークル』でデビューしたときも、世界中がとにかく驚くものを作ればいいいんだっていう、そういう発想でしたし、僕からすれば、驚きがあれば、嫌われてもいい。
驚かしといて愛されもする、みたいな贅沢なことは考えてないんです(笑)。今回もそんなにたくさんの願いは込めずに、とにかく一点突破で、こういう映画はこの世にないでしょう? って、それぐらいの気持ちで撮りましたしね。

──ご時世的に少しでも時期がズレていたら、実現さえしなかったかもしれませんよね。

園 そうですね。コロナが始まったのが、撮影の翌年。こうして公開にこぎつけられたのはいろんな意味でよかったな、と思っています。

(取材・文/鈴木長月)

▽園子温
1961年、愛知県生まれ。17歳で詩人としてデビュー。ぴあフィルムフェスティバルでのグランプリ獲得を契機にインディーズシーンで注目を集め、01年の『自殺サークル』で商業映画デビュー。以降も『紀子の食卓』や『愛のむきだし』、『冷たい熱帯魚』『ヒミズ』などで国内外の映画祭を席巻。同業者にも数多くのファンを持つ人気監督の一人となる。本作以降も、ハリウッドでの企画がすでに進行中。


【後編はこちら】園子温「アル・パチーノやデ・ニーロをチェーン居酒屋の2時間飲み放題に呼びたい」
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