1984年に女優デビューを果たし、現在までテレビや映画、舞台などの第一線を走り続けている南果歩。2月4日には、最新エッセイ『乙女オバさん』(小学館)を発売し、自身の出自から2度の結婚、突然の病、大切な人との別れなど…真っすぐに半生を綴っている。
なぜ今、自伝エッセイですべてをさらけ出したのか? そして、コロナ禍で伝えたいメッセージとは……。(前中後編の中編)

【前編はこちら】南果歩が綴る、幼少期から現在まで波乱万丈の女優人生「小さい頃の苦労経験は強み」

【写真】歳を重ねるごとにより一層美しさを増す南果歩の撮り下ろしカット【10点】

――南さんのお母様は、とてもバイタリティーのある方だそうですね。

南 自分のお店が忙しくて、買い出しも母がやっていたので、いつも走っていました。参観日なんかにも必ず来てくれるんですけど、派手な色のセリカで学校に乗り付けて、カッカッと教室まで入ってきて、髪は茶髪で、すごくおしゃれだったのでパリッとした格好で目立つんです。教室の扉を開けると、みんなが振り返って「南のお母ちゃんだ!」と。クラスメイトの間でも有名なんですよ(笑)。
時間がないから授業が始まって、私と目が合ったら手を振って帰る、みたいな。

――南さん自身も母親になって、お母様の影響は受けていると思いますか?

南 母は5人の娘を育てて、私はたった一人の息子なので、比較にならないと思いますけど、私も働きながら育てたので、似たような感じはありますね。子どもの学校行事は欠かさずに出席して、学校のボランティアや役員もやっていました。

――一度目の離婚後に家を建てたそうですが、それもお母様の影響なのかなと。

南 家を建てたことに関しては、私が幼少期に引っ越しが多かったので、息子には地元と言える場所を持ってほしかったんです。自分のためではないですね。
私自身はどこでも生きて行けると思っています。

――南さんは実際に海外で生活をしていた時期もありますし、プライベートでも仕事でも、海外に行く機会が多いですよね。

南 海外旅行が大好きで、お仕事を始めて間もない20代の前半から旅に出ていました。大体は一人旅で、友達の友達を紹介してもらって、その方のお宅に泊めてもらうことが多かったです。

――初対面の人の家に泊まるって、すごいコミュニケーション能力ですよね。

南 初対面でも平気なんですよね。
友達に「どこどこに住んでいる友達いない?」って聞いて、自分の周りからじわじわと調べて行って(笑)。「そういえば〇〇さんが転勤でロンドンにいるわ」って聞いたら、すぐに連絡をしてもらって、普通に泊めてもらっていました。どこでも生きていけると思いますし、どこでも泊まれます。

――トラブルなども一切なく?

南 ないですね。私を信用してくれて、鍵を渡してくれる人もいましたし。私も友達の友達だから絶対に信じているというか、そもそも世の中には悪い人がいないと思って生きています。
現地で仲良くなって、帰りには空港まで送ってもらって、涙のお別れみたいな。すっかり情が通っちゃって、「ウルルン滞在記」みたいですよ(笑)。

――どうして海外に行きたい欲が強かったんでしょうか?

南 刺激でしょうね。もちろん東京にも刺激的なものや見たいものはありますけど、景色にしても、街にしても、エンタメにしても、見たことのないものを見たいという好奇心が強いんです。行くのは都市部が多かったんですけど、お芝居を見たり、美術館に行ったり。たとえばパリだったら、ルーブル美術館やオルセー美術館も素敵なんですけど、メトロに乗って小さい美術館を巡るとか、自分なりの滞在の仕方が楽しかったです。


――外食は一人でできないと仰っていましたが、旅行は平気なんですね。

南 仕事柄、急に1~2週間スケジュールが空くんです。そうすると友達とは時間が合わなくて、事前に約束ができないんですよ。それに若いときは安いチケットを探していたので、一人のほうが機動力もありました。それに私は飛行機に乗っている時間も好きですし、空港そのものも大好きで、空港にいるだけでときめくんです。

そういえば初めてのニューヨーク一人旅で、泊まる場所は確保していたんですけど、空港からの経路が分からなかったんです。
ところがニューヨーク便で隣に座っていた女の子と仲良くなって、彼女はフィアンセが迎えに来てくれると言うので、「いいなー」と言ったら、「じゃあ乗っていきなさいよ」と車に乗せて行ってもらいました。そういう縁に恵まれていますね。

――お仕事に関しては、もともと海外志向はなかったそうですが、27歳のときにアメリカ映画のオーディションの話が舞い込みます。それまで海外の作品に出演したことはあったんですか?

南 その前に一度スイス映画に出ているんですけど、そのときは日本に監督がいらっしゃっての撮影でした。

――オーディションでミロス・フォアマン監督と出会いますが、南さんにとって大きな財産となった出来事だったそうですね。

南 だって『アマデウス』を撮った監督ですよ! すごく衝撃を受けた作品だったので、そんなチャンスがあるなら絶対に会いたいと思いました。実際にお会いしてみると、巨匠オーラはなくて、普通にニコニコしているおじさん(笑)。でもお芝居になると、ものすごくエネルギーを持って接してくるんです。本物ってこういうことなんだ、すごい人がいるもんだとカルチャーショックを受けました。結果的に最終オーディションでマッチングできずに、大きな挫折を感じましたが、貴重な経験でした。(後編に続く)

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