【写真】ありかみうさんの撮り下ろしカット【7点】
――ありかさんはコスプレイヤーとしての活動歴が長いですが、コスプレを始めたのはいつ頃ですか?
ありか 高校1年生のときです。もともとアニメが好きだったんですけど、中学時代の先輩が先にコスプレを始めていて、「一緒にやらない?」と誘われて始めました。最初にコスプレしたのは『涼宮ハルヒの憂鬱』ですね。もともと変身願望があって、親に撮影所に連れて行ってもらってお姫様の格好をさせてもらったり、海外で民族衣装を着せてもらったりしていたので、コスプレも最初から楽しかったです。
――コスプレイヤーとして発信を始めたのも高校時代からですか?
ありか そうです。コスプレを始めてすぐに「コスプレイヤーズアーカイブ」(※国内最大のコスプレ専門SNS)に投稿をしていたんですが、Twitterが流行り始めてからは、そっちに移行しました。コスプレイヤーズアーカイブは基本的にコスプレに興味がある人しか見ないですけど、Twitterはリツイートでいろんな人に知ってもらえるから良いツールだなと。
――ここまで長く活動するとは思っていましたか?
ありか どこかで飽きが来て辞めるのかなと思っていたんですけど、ずっと楽しくて、今に至ります。
――ありかさんがコスプレを始めた頃は、そこまでコスプレイヤーは一般的じゃなかったですよね。
ありか そうですね。
――ありかさんは、たくさんのコスプレ写真集を出していますけど、作品を作る上でのこだわりを教えてください。
ありか 露骨な露出はしないようにしていて、女の子に「エッチかわいい」と感じてもらえるような、男女問わず手に取ってもらえるような作品を目指しています。露出の高い衣装も好きなので着ることもあるんですけど、そういう世界観は守るようにしていますね。
――今日の衣装のポイントを教えてください。
ありか 冬コミで発売されていたM企画さんのセーラージャージに、猫耳、ルーズソックス、ヘッドドレスを合わせて可愛さを出しました。
――創作コスプレと、アニメなどのコスプレでは、どちらのコスプレをすることが多いんですか?
ありか 最近は創作コスプレが多くなっていますね。そもそも私はアニメや漫画のコスプレを作品に残したことは1回しかないんです。アニメの世界観を自分で壊したくないみたいなところもあって、作品で残すのは違うかなと。
――今後、写真集で挑戦したいことはありますか?
ありか 3、4年前から言い続けているんですけど、水に潜りたいです。
――話は変わりますが、ありかさんはモーニング娘。’22の大ファンで、北川莉央さん推しなんですよね。
ありか 今は北川莉央ちゃんが大好きですが、もともとは佐藤優樹ちゃんのオタクで、卒コンにも行かせていただきました。デビュー当時、PVで優樹ちゃんの顔に一目惚れして、最初は可愛いってところから入ったんです。私の中でモーニング娘。は2000年ぐらいがベースになっていたので、EDMを取り入れるなど曲のかっこよさにも驚いて。中でも優樹ちゃんは普段の奔放な感じとステージでのかっこよさとのギャップがすごいなと思ってオタクになりました。モーニング娘。’22はメンバーの卒業と加入を繰り返しながら、ちゃんと昔の曲もライブで歌って、アップデートしながら長く活動を続けているところがすごいなと思います。
――ハロプロの他のグループも好きなんですか?
ありか つばきファクトリーも大好きですし、他のグループもチェックしています。ただハロプロ研修生だけはハマってしまうのが怖くて手が出せないんですよ。コスプレイヤー仲間のとみこにおススメされているんですけどね。
――北川さんはどういう経緯で推しになったんですか?
ありか 15期加入のときの生配信を見ていたんですけど、北川莉央ちゃんのハキハキした発声を聞いて、「いつかこの子にリーダーになってほしい!」と思いました。この子がモーニング娘。、さらにはハロプロのリーダーとして歌って踊っている未来を見たいって直感で思ったんです。ちなみに3月23日のバースデーイベントは1部2部ともに行きました。
――北川さんに認知されているんじゃないですか?
ありか ありがたいことに、「ありかみう」として認知をいただいています! 今の私の夢は推しと一緒の雑誌に載ることで、北川莉央ちゃんが表紙のときに、どこのページでもいいので載せていただけると、めちゃめちゃうれしいです。
――ハロプロメンバーの写真集を見て、自分の作品に活かすことはありますか?
ありか あります! この前の冬コミで出した写真集はコスプレ創作ではなく、グラビア寄りの内容にしたんです。そのときは牧野真莉愛ちゃんの写真集を参考にして、沖縄で撮影してきました。もちろん北川莉央ちゃんの写真集も大好きですし、これからも毎年写真集を出してほしいです!
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