業界視聴率も高くお笑い通なら必ずチェックする「ゴッドタン」(テレビ東京)、「さんまのお笑い向上委員会」(フジテレビ)で鮮やかに結果を残し、いよいよ本格ブレイクの兆しが見え始めた遅咲きのピン芸人・みなみかわ。少年時代のお笑い原体験から、売れかけては沈んできた芸人人生を本人の言葉でプレイバックしてもらった。
(前後編の前編)

【写真】遅咲きのピン芸人・みなみかわ、撮り下ろしカット【13点】

──子供の頃はどんなお笑い芸人がお好きでしたか。

みなみかわ 小学校3、4年くらいで「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)が始まって、多分タイムリーでどっぷり観てる最後くらいの世代やと思います。中学に入ってからは、姉の影響で「すんげー!Best10」(ABCテレビ)にハマりました。千原兄弟さんが司会をやって、ジャリズムさんとかシェイクダウンさんとか、当時の吉本の心斎橋筋2丁目劇場で活躍されていた若手の芸人さんの番組で。ダウンタウンさんよりはちょっと身近な、でもスター、そんな感覚で大好きでしたね。

──中川家さんやケンドーコバヤシさん、陣内智則さんら、今も一線で活躍されている芸人が出ていた伝説の番組ですね。


みなみかわ 漫才だけじゃなくて、歌ネタもモノマネも、シャッフルしたユニットコントもある、っていう。それが新鮮でずっと観てました。ただ、高校で男子校のアメフト部っていう、ゴリゴリの体育会系の環境に身を置いてお笑い番組を観ることがなくなるんです。アメフトばっかりやってた3年でしたね。で、高校でアメフトやってる学生は少ないから、友達はみんなアメフト推薦で大学に入れたんですよ。でも僕は、大学に入ってまではやりたくなくて。
芸人とは真逆ですけど国家公務員、それも警察官になりたかったんです。完全に素人考えですけど、「事件とかを間近で見れるし楽しそうやな」みたいなことを思っていて。

──トラブルやゴシップを笑いに変える、今のみなみかわさんの芸風にも通じるところがありますね(笑)。

みなみかわ それで僕はどうしても、関西大学に行きたかったんですよ。当時、関大の法学部って警察の就職にすごく強いって言われてたんです。ほんまかどうかは知りませんけど、警察にも「関大閥」があるとか聞いてました。
で、自分の学力を考えたら、なんとか法学部の夜間なら入れるぞ、となって。学費も安かったですしね。「この夜間大学という苦労が俺を強くする」みたいな青い考えもあって勉強して、何とか合格できたんです。

──キャンパスライフはいかがでしたか。

みなみかわ 新しい友達とか彼女とかできたりするんかな、という期待はありましたけど、実際は同級生みんな働いてはるし、もちろん僕もバイトしてるし。真剣に勉強してる人ばっかりやったんであんまり交流もなかったんですよ。
それに夜間やから外も暗いし、なんか僕の気分もだんだん暗―くなってきて(笑)。ただその頃に「M-1グランプリ」が始まるんですよ。お笑い番組から遠ざかっていた僕が、それを見て「やっぱりお笑いっていいな」って再認識するんです。

──それで芸人になろうと松竹芸能の門をたたくわけですか?

みなみかわ まだ全然芸人志望じゃなかったんですよ。その頃の僕はいわゆる作家志望やったんです。

──それは意外です。


みなみかわ 今思えば短絡的で、作家の仕事を1ミリも理解してないやろ、って思うんですけど。それで、大学に通いながら松竹芸能の養成所に作家志望で入るんです。

──そこで吉本興業の養成所を選ばなかったのはなぜですか?

みなみかわ 迷ったんですけどね。でも僕は何ていうか、「いつも逆に行ってる」っていう感覚があって。子供の頃にゲーム機でプレステとセガサターンでセガサターンのほうやってたりとか、高校は男子校と共学で男子校、大学も夜間です。なんか、メインじゃない方を選ぶ癖があって。
もちろんほかにもいろんなことが重なってなんですけど、吉本さんみたいにメジャーで、同期が何人もいて、ということになると、そこに入ったら勝てないんじゃないかと。で、「ここやったら多分一番になれるぞ」というのがあって(笑)、それで松竹に入ったんです。

──松竹芸能の養成所には希望した構成作家養成のカリキュラムはあったんですか?

みなみかわ いや、そもそもカリキュラムなんてものはなかったんですよ。ただただネタ見せを週に1回するだけで、授業とかではないんです。最初に行ったときに「作家は別に募集してないから」と言われました。「作家の仕事ってネタを作れなきゃいけないからピンネタ作って勉強したら」ということでピン芸人としてスタートした感じです。

──養成所というからには、ネタの作り方なんかを教えてもらうのかと思っていました。

みなみかわ 週1のマネージャーや作家へのネタ見せを学校と言い張ってるんですよ(笑)。今は違うのかもしれないですけど、昔はそうでした。で、何のネタ見せかというと、当時の大阪の松竹の劇場でやってた、ウケて勝ち上がると上のステージに上がれるっていうライブの、最下層のステージに出るためのセレクションなんです。出てええよ、ってなったらノルマのチケットを渡されるという。だから変な話、1週で受かったらもうネタ見せに行かなくていいんです。

──若手ライブの予選会、みたいな感じなんですね。

みなみかわ 同期も最初は40人くらいでしたけど、次の週には見事に半分になってましたね。1カ月経たないうち3、4人。僕は3カ月目くらいでライブに出られたんですけど、1年後にはもう僕1人しか残ってませんでした。

──それからピン芸人として活動されるわけですか。

みなみかわ 大学に行きながらライブに出て、比較的早い段階で勝ち上がることが出来たんです。でも1年くらいやってて、なんか僕のメンタルの弱さが出てきて、元々芸人になるつもりもなかったから一回ライブに出るのを辞めちゃうんですよ。そしたらその時にちょうどコンビを解散した元の相方に誘われまして。僕も大学を卒業したタイミングやったんで、「このコンビにかけてみようかな」と思って、初めて芸人になる決意をするんですよ。(後編へつづく)

みなみかわYoutube:みなみかわ ch(https://www.youtube.com/user/WAKAMINAMI/videos)
みなみかわTwitter:@p_minamikawa

▽ライブ情報
「ノーセンスユニークボケ王決定戦」
8月30日(火)19:00開場/19:30開演/21:00終演予定
@ユーロライブ(渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F)
詳細はこちら
https://www.shochikugeino.co.jp/topics/events/108285/

【後編はこちら】「いつ辞めてもいいや、吹っ切れた」遅咲きのピン芸人・みなみかわの覚悟と開き直り