アイドルは時代の鏡、その時代にもっとも愛されたものが頂点に立ち、頂点に立った者もまた、時代の大きなうねりに翻弄されながら物語を紡いでいく。結成から20年を超えた
に関するニュース">モーニング娘。の歴史を日本の歴史と重ね合わせながら振り返る。『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開。10回目は2006年のお話。

2006年、モーニング娘。に加入して4年目の道重さゆみは悩んでいた。一通りの仕事を覚え、新人という肩書を外し、初めての後輩もできた頃である。

「自分には目立つところが全然ない」(※1)

もともと道重は、国民的スターとなった初期モーニング娘。の輝きに強く惹かれてオーディションを受けた世代である。しかし普通の中学生だった道重を待ち受けていたのは、輝きの影に隠されていた猛練習と、それについていけずに悪目立ちしてしまう自分への嫌悪感だった。そして頭を悩ませた彼女はいつからか、無意識に自分の存在感を薄めることでモーニング娘。に馴染もうとするようになってしまう。
そうして4年の月日が過ぎた頃、やっと我が身を振り返る余裕ができた彼女は、目立つ恥ずかしさと引き換える形で、いつの間にか自分が表現者としての「自信」を失ってしまったことを知ったのだ。

「悩みを抱えていたんですけど、当時はまだブログとかもやってなかったから、自分の思いを発信する場所も機会もなかった」(※1)

自分の秘めた思いを、誰かに知ってほしい。そう願いながら1人のアイドルがステージに立ち続けていた時期、ちょうど日本のインターネットでは国産SNS「mixi」の会員数が、ついに300万人に到達したことが判明する。2000年代に入りネットが急速に普及し、ユーザーの裾野も広がっていく中で、ネット上には顔も名前も分からぬ相手とのやりとりだけでなく、身近な知り合いとのコミュニケーションを楽しみたいという者たちも現れた。そんな需要に国内でもっとも早く応えたサービスの1つが、当時のmixiである。

中でもmixiを積極的に利用したのは、いわゆる若年層だった。2006年の公式発表では20~34歳のユーザーがmixi利用者の約8割を占めている。2006年当時に20~34歳だった者たち、つまり1972~1986年生まれの者たちは日本のデジタルネイティブ第一世代である。彼らの気軽なネット利用はまだ未開だったデジタルデータの世界を活性化させる重要な役割を果たしており、mixiも彼らの好奇心によってこそ発展し、後に流行語大賞にノミネートされるほど、新しい時代の娯楽として一躍脚光を浴びることとなった。

また当時の若年層はそのまま、「就職氷河期」の影響を強く受けている世代でもある。若さという大きな可能性を持ちながら努力だけではどうにもできない、そんな苦難の毎日を過ごしていた彼らにとって、インターネットはある意味安息の地にもなっていた。だからこそ彼らの自己発信は匿名ハンドルネームの掲示板文化だけにとどまらず、より個人の顔が見え、そして身近な形で感情や意思が書き残されていくSNS文化に枝葉を伸ばしていったのである。


そしてテレビや雑誌では見えない場所で起きていたこのうねりこそ、後に苦境のアイドルたちを支える、大きな力にもなっていく。

2006年の秋。学業専念などを理由に5期メンバーの紺野あさ美小川麻琴がグループを卒業し、一時期16人が活動する大所帯だったモーニング娘。は、いつしか8人組アイドルグループという規模までシュリンクされていた。世の変化を感じ、宝塚歌劇団の全面協力を得て「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」に挑戦するなどアプローチを変えてみるものの、一度無関心となった世間の目は何をしてもこっちに向かない。気づけば2003年リリースの『AS FOR ONE DAY』以来、モーニング娘。はもう何年もオリコン週間1位を逃し続けていた。直近の『Ambitiou! 野心的でいいじゃん』も結果はオリコン初登場4位。2006年のモーニング娘。はここまで2作連続で、累計売上が過去最低の4万枚台にまで落ちている。

昔のような「オリコン1位」の夢を語る自信を、もう誰もが失いかけていたその頃、あるネットユーザーが、2ちゃんねるに突然こんな書き込みをした。

「今見てビックリした……DVD付き3種類発売で気合入ってるし初動4万近く出れば週間1位行けるかもしれないこれ 」

そこに貼られていたのはモーニング娘。
が11月8日にリリースする新曲『歩いてる』の同発作品一覧だった。当初『歩いてる』の発売日にはメジャーデビューしたばかりのKAT-TUNも新曲をリリース予定で、チャート上位を狙う人気アーティストたちは当然のように皆バッティングを避ける。しかし直前にメンバーの1人が語学留学で休業することになり、KAT-TUNはリリース予定を急遽延期することになったのである。

「よし、みんなで一致団結して1位を取っておこうか」

わずか6分後のこの返信から、すべては始まっていく。この動きに象徴的な牽引役がいたわけではない。大好きなアイドルを「落ち目」と嘲笑される日々に苦しんでいた1人ひとりのファンこそが、チャンスを知ったことで強く突き動かされていったのだ。

またその個人の口コミは以前のようにファン向けの掲示板だけにとどまらず、まさにmixiを始めとする生まれたてのSNSにも広がった。そしてテレビや雑誌などのマスメディアが誰も報じないところで始まった「モーニング娘。を再びオリコン1位に」運動は、本当に『歩いてる』を3年半ぶりのオリコン週間チャート1位に導くことになる。

後に2006年を一番辛かった時期と打ち明ける道重さゆみは、この『歩いてる』の歌詞に、何よりも励まされていたと話した。

「17歳のときの歌なんですけど『一人じゃないから みんながいるから』という歌詞が、完全に当時の自分の気持ちなんですよ」(※2)

SNSとは自己発信の場であると同時に、他者との繋がりも可視化するツールでもある。2006年のSNSの盛り上がりとモーニング娘。
の喜びは、どちらも「みんながいてくれる」という安心感に結ばれていた。

そして悩める人が誰かの支えで前を向けたとき、一番最初に見えるものとは何なのか。やはり『歩いてる』の歌詞に、その答えはあったように思う。

「その先の空へ まだ見ぬ未来へ」

※1『道重さゆみ パーソナルブック「Sayu」』(ワニブックス)
※2「モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック」(ワニブックス)