【写真】新しいアナウンサー像を開拓し続ける、瀧山あかねアナ撮りおろしカット【10点】
世間一般のいわゆる“アナウンサー像”の逆を行き、注目を浴びているのが瀧山アナだ。
番組ではシーシャバー通いや経営者と付き合っていた過去を明かし、今回の取材でも「港区女子ではないですが、港区でも遊んでいます」とあっさり告白。隠さないのは私生活だけでなく、5月に発売された『週刊プレイボーイ』では水着となり、見事なプロポーションを披露した。
「今では私がこういうキャラだとみなさん知ってくださっているので、何も隠さなくてよいのですごく楽になりました」
ありのままの姿を見せている瀧山アナだが、これまでの歩みもいい意味で派手だ。子どものころは「いい意味でも悪い意味でも目立ちたがり屋」。学級委員も務め、体育祭や文化祭でも盛り上げ役を務めた。中学ではモデル事務所に所属する一方、ソフトテニスに打ち込み、兵庫県で3位にもなった。
「真剣に部活ばっかりやっていたので、モデルの仕事はできないだろうというくらい、肌が真っ黒になっていましたね」
高校に入ると、転機が訪れる。もともとアイドルが好きだったこともあり、NMB48の「第2期生オーディション」を受けると、見事合格した。2期生は後にチームMとなるメンバーが所属。
「研究生ですけどNMB48はまだ人数も少なかったので、忙しかったです。公演だったり握手会だったりで、学校にもあまり行けなかったし、修学旅行も体育祭も文化祭も全部行けませんでした」
多忙すぎる日々の中、アイドルと学業との両立の難しさを感じた。瀧山アナが当時通っていたのは関西学院大学の付属高校だったが、勉強する時間がとれず「このまま大学進学のチケットを手離してしまっていいのか」と悩んだ。最終的に選んだのは進学。NMB48は1年で卒業した。
「辞めたことに後悔もありました。できることなら両立したかったんですが、現実的に無理だったので……。後々になって、いったん活動休止するという選択もあったのかなと思うぐらいには引きずっていました」
卒業後も2期生の同期とは仲が良く、特に島田玲奈、高野祐衣、與儀ケイラとは今でも遊ぶ仲だ。
「10年以上経ちますけれど、今でも2期生の子たちとしか遊んでないぐらい仲が良いです(笑)。学校だけじゃない環境でできた友達と今も一緒にいる、それが一番の財産だなと思います」
NMB48を辞めた後は、1年のブランクを埋めるべく補習に補習を重ね、大学にも無事進学を果たした。
瀧山アナは大学に入るとタレント活動を再開し、関ジャニ∞の村上信五、ブラックマヨネーズが司会を務めるバラエティ番組『村上マヨネーズのツッコませて頂きます!』のアシスタント「なんでやねんガールズ」として出演した。
「がっつりバラエティ番組で、道頓堀で全身タイツになって尻文字を書いたりしていましたね。カメラはビルの上から撮っているし、近くにスタッフさんもいないんですよ。周りの人がめちゃくちゃ見ている中『もじもじしても寒いな』と思って、振り切ってやりましたね。何でも体当たりでやっていた部分は今につながっているかもしれないです」
朝日放送ラジオ「Monday! SPORTS - JAM」では、レギュラーパーソナリティを務め、オリックス・バファローズやガンバ大阪、セレッソ大阪などの選手へインタビューも行った。
「アナウンサーの方と仕事をしたのは初めてだったので、よりアナウンサーになりたいという想いが強くなりました。学んだこともたくさんあるんですが、特に準備力は後に役立ちました。『アナウンサーが本番で喋っていることは準備しているものの1~2割しかない。でも本当はその20~30倍は情報を持っているんだ』とお話をされていて、実際にたったこの数分のために多くの準備をする姿を身近で見ていたので。今でも一つの番組に対し、想定以上に準備するというのは常に意識しています。」
プライベートでは、ギャルの友達たちと仲良くし、青春を過ごした。
「めちゃくちゃ楽しかったですね。マインドがみんなポジティブだったので。大学生の時はお酒の飲み過ぎで3日酔いになったことも(笑)。
一方で夢であったアナウンサーになるため、アナウンススクールにも通うなど準備を着々と進めていた。しかし東京のキー局のアナウンサー試験は全敗。中でもフジテレビは最終面接まで行っての不合格だったため、ショックは大きかった。
「もともと『めざましテレビ』に憧れていました。試験も確か7次ぐらいあって、それで最終まできたので、ここまで来たら受かるんじゃないかと思っていたんです。試験の結果は、面接後2~3時間で電話があるというので、お台場のカフェで時間を潰していました」
フジテレビから電話がくるも、結果は“お祈り”。ショックすぎて、涙も出なかった。
「『あれ? 私、アナウンサーになれないんだ。こんなに頑張ってきたけど、なれないんだ。本当に夢が終わっちゃう。じゃあ、これから何したらいいんだろう』となって。
多くのアナウンサー志望者は在京キー局に落ちた後は関西の準キー局、さらには地方局と“転戦”していく。だが瀧山アナは東京で働くことが希望だったため、アナウンサーは諦め、出版社や一般企業などの就職試験に臨んだ。その後、誰もが知る大手企業の内定をつかんだ瀧山アナ。ただ「もしかしたらフリーでアナウンサーやっていく方が自分的にワクワクするかもって思ってもいました」とアナウンサーへの思いも切れてはいなかった。
そんな時に、アナウンススクールの講師から「ABEMA」がアナウンサーの募集を行うと聞いた。
「もう他の企業で内定も決まって就職活動は終えたつもりだったんですけど、ラストチャンスだと思って「ABEMA」を受けました。それまでの就職活動で面接を受けていたので、慣れではないですが、本来の自分をアピールできました」
結果は見事合格、念願だったアナウンサーになれた。しかし夢がかなった瀧山アナを待っていたのは挫折だった。
(取材・文/徳重龍徳)
▽瀧山あかね(たきやま・あかね)
1994年5月10日生まれ、兵庫県出身。2018年からABEMA専属アナウンサーとして『ABEMA BOATRACE SPACEクロちゃんとクルーちゃん2nd』『 WINTICKETミッドナイト競輪』などに出演している。
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