脚本:宮藤官九郎、主演:阿部サダヲによるTVドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)の第1話が、1月26日に放送された。冒頭からけたたましい目覚まし時計のベルが鳴り鳴くと、いきなりこんなテロップが表示される。


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“この作品には不適切な台詞や喫煙シーンが含まれていますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、1986年当時の表現をあえて使用して放送します”

主人公の小川市郎(阿部サダヲ)は、ベッドに潜り込んだままの高校生の娘・純子(河合優実)を起こそうとするのだが、そこで交わされる会話は「おい!起きろブス!」だの、「うるせえなクソジジイ!」だの、口汚い舌戦バトル。別に朝から親子喧嘩をしている訳ではなく(いや、多少しているのかもしれないけど)、これが小川親子にとって普段のコミュニケーションなのだ。

中学校体育教師の市郎は、教室やバスでもガンガン喫煙するし、愛のムチとして体罰も当たり前だと考えているし、女性蔑視の発言も平気でする、典型的な昭和おじさん。2024年の視点で見るとかなりヒヤヒヤなのだが、38年という時間が経過して、それだけ我々視聴者の意識も大きく変容したということなのだろう。

そして、いつものように市郎がバスで帰宅していると、タバコを吸っている自分に周囲の人々が奇異の目を向けるし(当時はバスも喫煙可能だったのだ)、みんな耳にうどんのような謎のデバイスを挿しているし(もちろんワイヤレスイヤフォンである)、どうにも様子がおかしい。やがて市郎は、自分が2024年の未来にタイムスリップしたことを自覚する。『不適切にもほどがある!』は、昭和と令和のギャップをつまびらかにする、タイムトラベル・コメディだったのだ。

1986年は、中坊男子がおニャン子クラブに夢中になり、“新人類”という言葉が流行し、ビートたけしがフライデーを襲撃し、畑正憲が監督・脚本を手掛けた『子猫物語』が大ヒットして、明石家さんま&大竹しのぶが共演した『男女7人夏物語』が人気を博した年だった。1971年生まれの宮藤官九郎は、当時15歳。純子に一目惚れする中学二年生の向坂キヨシ(坂元愛登)と同い年である。

2024年の現在から1986年の過去にタイムスリップした彼は、「テレビでおっぱいが観たいんだ!地上波でおっぱいが観たいんだ!」という理由で、昭和の時代に残ることを選択する。それはコンプライアンスという社会的問題としてではなく、昭和おじさんとしての宮藤官九郎の素直な想いなのだろう。
有害判定されやすいコンテンツが地上波から駆逐され、ABEMAなどのネット番組へとアンダーグラウンド化していくことへの、偽らざる想いなのだろう。

だが『不適切にもほどがある!』は、昭和おじさんの逆襲という大それたものではない。むしろ秋津睦実(磯村勇斗)という、令和的価値観と昭和的価値観の中間的なポジションにいるキャラクターに、「だから話し合いましょう、今日は話し合いましょう」とミュージカル的演出で歌わせて、真の多様性は何なのだろうと問いかける。市郎が叫ぶ「冗談じゃねえ!こんな未来のために、こんな時代のために頑張って働いている訳じゃねえよ!」というセリフすらも、多様性を考えるうえでのひとつの問いかけに過ぎない。その手つきは非常にクレバーだ。

『池袋ウエストゲートパーク』(2000年)にせよ、『木更津キャッツアイ』(2002年)にせよ、『ごめんね青春!』(2014年)にせよ、宮藤官九郎はホモソーシャル的な空間のなかでワチャワチャするボンクラ男子を描いてきた。そんな“永遠の中坊男子”クドカンが、第2話以降どんな物語を紡いでいくのか、期待を持って待ちたい。

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