父は伝説の漫才コンビ・ベイブルースの高山トモヒロ(現・ケツカッチン)。子供の頃から父とともにテレビに出演し、高校1年生の時に大阪NSCに入学、父と同じ世界に足を踏み入れた。28歳にして芸歴は12年。インスタグラムでアップする私服スナップが「可愛い」「格好いい」と女性からも人気の彼女のパーソナルに迫った。
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──吉本坂46の3rdシングル『不能ではいられない』は初めて若手中心のユニットREDが表題曲を担当することになりました。
光永 嬉しいですね。吉本坂46ができて、最初の選抜発表で名前を呼ばれなくて。その時はグループがどういう方向性になるのかも分からなかったんですが、REDという若手中心のユニットができて、選抜を超えるくらい頑張ろうって団結したんです。当時、選抜には知名度のある先輩方いっぱいいらっしゃったんで、吉本坂46の名前を売るのは先輩方に任せて、自分たちはパフォーマンスを磨こうって一生懸命やってきました。それでようやくつかんだ表題曲だったので。
──『不能ではいられない』はガチガチのダンス曲。ご自身としては笑いの要素が欲しくなったりは?
光永 もちろんトークの部分では笑いを求めるんですが、ダンスは真剣です。
──なるほど。芸人とアイドル、2つの肩書きを背負って活動することに難しさを感じることはないですか? 例えば、インタビューでも芸人とアイドルだと正解とされる答えが違ったり。
光永 それはないですね。もっとアイドルっぽいこと言わなあかんのかなと思いつつも、他のメンバーも芸人なんで自由に答えています。
──握手会はいかがですか? 吉本坂46に入って初めて経験したと思いますが。
光永 CDを買って握手しに来てくださってるわけだから、来て良かったと思われるよう、その値段分ぐらいのことはせな、と思ってるんですが、やっぱりまだ慣れてない部分もありますね。アイドル用語で「釣ってください」って言われることがあるんですが、いまだにどうしていいか分からなくて、謎のキザな言葉を言ってみたりして(笑)。
──握手に来るのは男性と女性どちらが多いんですか?
光永 8割ぐらいが女性の方ですね。
──よくSNSで女性の方から「格好いい」と書かれているのを見ますが、「格好いい」と「可愛い」どっちが言われて嬉しいものですか?
光永 褒めてくれたらなんでも嬉しいんですが、吉本坂46のメンバーとしては「格好いい」かもしれないですね。男の子のメンバーより「格好いい」って言われたら勝ちかなって思っているので(笑)。
──男性的な仕草を意識したりは?
光永 特には。ただ短髪やからボーイッシュってだけで。
──短髪は昔からずっと?
光永 そうですね。子供の頃から器械体操をやってて、「汗もができるから髪切りなさい」って親に言われてずっとショートだったんです。中学生で器械体操を引退した時に、ちょっと伸ばしてみたこともあったんですが、やっぱり「邪魔やな」って思って切っちゃいました。
──インスタでアップされている私服もボーイッシュな印象があります。
光永 そっちの方が似合うんで、いつの間にそうなっているだけで心は女の子なんです。ライブでバク転したり、動くことが多いのでスカートより動きやすい服装をしているっていうのもあります。
──ではその光永さんの女の子っぽいところを教えてください。
光永 料理が上手いです。というのも私、ご飯をいっぱい食べるんです。そのへんは女の子っぽくないですが(笑)、男性ぐらい食べるから外食やと足りないんです。だから昔から料理をしていて。凝った料理はしないですが、卵焼きとか、基本的な家庭料理をパッと作って食べています。
──可愛いものはどうですか? 好きなぬいぐるみとか。
光永 ぬいぐるみは興味ないですね。でも、ファッションが好きなのでコスメには興味を持つようになりました。それまではボーイッシュな格好をしすぎて女の子らしい服を着るのが恥ずかしかったんですけど、ファッションの勉強をするようになってから、ワンピースも着るし、スカートもはけるようになりました。
──芸人としての光永さんのお話もお聞きしたいのですが。光永さんは高校一年生で大阪NSCに入っていますが、その時、周りは年上ばかりだと思います。それで苦労したりは?
光永 高校生の時は、普通の高校生よりも子供っぽかったんですよ。
──NSCを出た後、大学に行かれているんですか?
光永 NSCは高校1年の時に1年間行って、高2高3の時は高校に行きながらたまにお仕事をするみたいな感じで、大学で上京するのに合わせて東京吉本に移籍しました。
──高校生の頃から芸人をやっていると年上の後輩も多いですよね。
光永 大学生の時に、デニスの行雄ちゃん(植野行雄/38歳)に中華料理屋でご馳走して店員さんにびっくりされたことがあります。私が「好きなの食べや」って言って、「ありがとうございます!」みたいな。「なに、このお嬢? どこのお嬢?」っていう目で見られました(笑)。
──二十歳前後の女の子が30歳ぐらいの大人に奢るわけですもんね(笑)。光永さんは子供の頃からお父さんとテレビに出られていますが、自分が芸人になって改めて笑いを仕事にする難しさを感じたりするものですか?
光永 子供の頃はお父さんが戦略的で、例えばロケに行く時にこう言われたらこう返すっていうのを何個も作ってそれをやっていたんです。先輩に言われたことをそのまま言って、子供が生意気言うから面白いみたいな。「お父さん売れてないから貧乏で大変や」みたいなお父さんをくさす言葉も多くて。
──当時、お父さんに相談したりは?
光永 子供の頃は、ああしてこうしてって笑いについて言われましたが、プロになってからは言われないですね。ただ、すごく応援してくれていて、私が大人になったのでお仕事の話を二人でできるようになったというのはあります。「先輩にこういうこと言ったけど失礼やったかな?」って聞いたら、「いや、自分やったらこう思うから大丈夫やと思うで」とか「次同じことがあったらこうしてみれば」みたいに人間関係や芸人の中での生き方は教えてもらってます。
──先ほども話に出ましたが、光永さんはインスタにアップされている私服スナップも人気です。SNSでかなり意識的に自己発信をされている印象があります。
光永 それも最近のことなんですよ。私、ずっと受け身のタイプだったんです。子供の頃、気がついたらテレビのお仕事がきてたから、仕事って呼ばれるものだとどこかで思っていて。アホやったんでしょうね、それなりにやってたら、いつか引っかかるでしょぐらいに思ってたんです。
──大学生時代は違ったわけですか?
光永 大学生の時は学校に行き過ぎて、芸人の比重がどんどん下がっていって、卒業する頃にこのままじゃまずいって思ったんです。高校と大学の7年間は学生芸人っていう肩書があったけど、それもなくなって本当にプロの人と戦わなくちゃいけない。卒業してからは、この仕事で飯食えてないことが恥ずかしくなるって思って一気にギアを上げたんです。まあ、遅いんですけど(笑)。そこから少しずつ頑張っていったら、吉本坂46もそうですし、やりたい仕事が決まるようになって、少しは順調になったかなって感じですね。
──今後についてはいかがでしょう? 芸人、アイドル、女優といろんな方向性がありますがどういった活動をしていきたいですか?
光永 私、お笑い芸人になるって決めてから、なんでもできるエンターテイナーになりたいなって思っているんです。藤井隆さんや渡辺直美さんみたいに面白くてダンスもお芝居もできてっていうオールラウンダーな人になりたい。いろんなジャンルでいろんな人を喜ばせたいって思っているんです。だから歌って踊る吉本坂46に入れて本当に嬉しいです。もちろん芸人としてR1とかショーレースも頑張りたい。それがまた吉本坂46に貢献することにもなると思うんです。だってR1のチャンピオンがいるアイドルグループってすごくないですか? だから、相乗効果のためにも自分が自立しないとなって思っています。
▽吉本坂46 3rdシングル
『不能ではいられない』
12月25日発売