内気でいじめられっ子だった小学校時代から“いじられキャラ”へと変わっていった中学時代、芸能界との両立がうまくいかずに精神的なバランスが取れずにいた高校時代。親友との絶縁……本の中で明かした25年の半生を特別編集。新たに公開する秘蔵写真とともに振り返る。(全5回の3回目)
【写真】5歳から、写真で振り返る井上咲楽の半生
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<内気で人見知り、でも主張は曲げない>
小学生の私は内気で人見知り、なのに頑固だった。
じゃんけんをして勝った人から好きな席を選べるという方法での席替えの時、クラスのカースト上位の女の子が「私たちはここら辺がいいな」とナワバリを周囲にアピールしていた。私は「正当にじゃんけん勝った人から選べばいい」という気持ちが強かったので、早々にじゃんけんに勝つと、その女の子たちがアピールしていた席を、一見遠慮がちに、だが頑固な気持ちで選んだ。
それからというもの、その女の子たちには口を聞いてもらえなかったし、トイレに閉じ込められたりもした。小学生の頃は典型的ないじめられっ子だった。


<中学で性格ががらっと変わっていく私>
内気で人見知りだった私の性格が、明らかに変わったと言われる節目がいくつかある。
最初の節目は中学1年生の頃だろう。きっかけはバレーボール部に入ったことだった。
それまでやっていた習い事は空手とそろばんという、基本的にどちらも個人競技で、団体戦は不得意だった。
ものづくりが好きだったので美術部に入ろうかと思っていたところ、「バレー部に入らない?」と同じクラスの子に声をかけてもらって、入部することになった。
今考えてみると、私がパッとしなくて押しに弱そうだから声をかけやすかったのかもしれない。
それでも、小学生の頃に唯一仲良かった子は卓球の強豪校に進学し、1人ぼっちで不安だったところで声をかけてもらえて、うれしくて仕方なかったのだ。
それに加えて、友だちにものすごく必要とされる経験がなかったので、「お願い!」と懇願されたことが気持ちよかったのもある。
親は、場の空気を読むことが苦手でトラブルばかり起こしていた協調性のない私が、チーム戦のバレー部に入ることに驚いていた。でも、母は自分が学生時代にバレー部だったこともあり、結果的にはうれしそうにしていた。
<部活の合間に初めて食べたコンビニのおにぎり>
バレー部の活動は他の部活と比べてもハードで、放課後はもちろん、朝練、昼練、夜練、土日の練習試合……と、1日のほとんどを部員と過ごした。おかげで私は、いい意味でその空気感に飲み込まれていった。
バレー部でよく覚えているのは、ある日の練習試合の前のこと。
みんなでコンビニのおにぎりを食べる機会があった。人生で一度もコンビニおにぎりを食べたことがなかった私は、パッケージの開け方がわからず、部員の子に聞いてみた。すると、その子はものすごく驚いてすぐに部員のみんなに共有し、全員に笑われた。
その後も世間的には常識だけど、私にとっては新鮮に感じることが何度か続き、気づいたらバレー部の中で「おもしろ部員」というポジションになっていた。
「これを知らないなんてどうやって生きてきたのよ!」と、ただ笑われているだけなのだが、普通に生きているだけで笑ってもらえるので「自分はもしかして面白いのでは……?」と勘違いが生まれ、部活に行くことがどんどん楽しくなっていった。

<キャラ変、いじり倒される人になっていった>
中学校入学の時に、小学校の先生のご指名で私が「新入生代表挨拶」をすることになり、その印象でクラスの学級委員長もやることになった。おそらく周りのみんなは「パッとしないけど、あいつでいいか。代表挨拶していたし」くらいにしか思っていなかったと思うけれど。
適当に選ばれた学級委員長の私、そしてバレー部のおもしろ部員としての私。
この2つが噛み合わさったことで、中学生の私はいわゆる「キャラ変」をしたのだと思う。同じ小学校出身の同級生からも「井上って明るくなったよね。そんなキャラだったっけ?」と相当驚かれたくらいだ。
バレー部の部員がクラスでも私のことをいじるようになると、他の同級生も私のことを「いじっていい人」と認識して、いじり倒してくるようになった。
授業中、私が寝てしまっていると、先生からも怒られるというよりいじられた。
そして部活ではいろんな先生のモノマネをリクエストされて、それがそこそこウケた。
練習試合のお昼休憩の時に監督に呼び出され、試合に出てもいないのに他校の先生の前でモノマネを披露することさえあった。
バレー部時代の写真を見ると、ほとんど私が中心でいじられているような写真ばかりだ。
<人生の転機はいつも“眉毛”が助けてくれた>
最初は遠慮しながらという感じだった同級生も、馴染んできたら私の特徴的な太い眉毛をとことんいじってきてくれた。
芸能界に入ってからよく「眉毛でいじめられたことってないんですか?」と聞かれるようになったが、人生において眉毛が原因でいじめにあったことはない。むしろ人生の転機では、いつも眉毛に助けられている。
今も昔も、モテたいとか、憧れられたいとか、そういうことよりも、いじられたいという欲のほうが圧倒的に強い私は、太すぎる眉毛の存在にものすごく救われてきたのだ。
