【写真】『ゴゴスマ』に映り込み話題となった、さんま・マツコ・安住アナ【3点】
この日のゲストは、1980年代にフジテレビの人気コント番組「オレたちひょうきん族」で共演した山田邦子。山田はイケイケだった当時の稼ぎっぷりについて触れ、自らの月収が1億円に達していたことや、たけしはそれ以上だったことを明かした。その上で「さんちゃんだって、途中からは大金持ちになったけど、たけしさんが可哀想がってたよね」とさんまのギャラ事情を振り返った。
これにさんまは「そうそう。バーターやってんね、吉本は。『ひょうきん族』で。だから、出番は俺が一番多かってんけど、(局側はギャラを一括で)吉本で渡すから。上からのりよし(西川のりお・上方よしお)、(ザ・)ぼんち。先輩から振り分けて行くねん。俺と紳竜(島田紳助・松本竜介)が一番若手だったから。一番少ないねん」と、当時の出演事情とギャラの配分について回想。山田も「すんごく売れてんのに…」と、さんまの割に合わないギャラに同情していた。
このアンフェアな状況をなんとかしようと動いたのが、事務所も異なる座長のたけしだった。さんまは、「たけしさんが俺のギャラを聞いて。『さんま、いくらもらってんだ?』って言うから、『今日1本でこれこれです』って言うたら、『ごめん』って言わはって」と、あまりの待遇の差にたけしが思わず謝罪したことを告白。
その後、「(局の)上に掛け合ってくれて、『さんまだけ、構成料として(ギャラを)足してあげてくれ』って。『それは会社に振り込むな。個人の口座に』って」と、たけしが自ら動いてさんまのギャラを上げるように取りはからってくれたと語る。
山田も「ネタを随分、毎週、毎週、提供してくれてたから。(たけしの進言によって)ちゃんと台本に(さんまの)本名で入るようになって。それは良かったんじゃない」と振り返ると、さんまは「それはたけしさんが言ってくれたのよ。『(さんまがこんな安いのは)申し訳ない』って言うて」と、改めてたけしのアシストに感謝していた。
「逆に、たけしは2023年11月放送の日本テレビ系『誰も知らない明石家さんま』で『ひょうきん族』時代を振り返り、さんまの貢献を褒めちぎっています。当時のさんまが台本を見ずにその場の空気で次々と笑いを作り上げていたことに、『とにかく驚いたね。
たけしからすると、「ひょうきん族」で最もギャラをもらうべき人間はさんまだと感じていたのかもしれない。
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