【写真】遠藤議員のキャッチフレーズ入り“当せんべい”
井上 遠藤さんは1964年、前回の東京オリンピックのとき、聖火リレーのランナーだったと聞きました。
遠藤 正確には、当時15歳だった私は、聖火ランナーではなくて伴走者に選ばれていたんですよ。
井上 伴走者と聖火ランナーは違うんですか?
遠藤 前回の東京オリンピックでは、各地区で聖火ランナー1人と20人ほどの伴走者が一緒に走り、聖火を全国でリレーしていったんですよ。私は故郷の山形県を走る伴走者の1人で、ちゃんと制服とズックをもらって本番を心待ちにしていました。
井上 ズック?
遠藤 あ、ズックって上履きのような運動靴のことね(笑)。あの頃は、シューズなんて言わなかったから。だけど、聖火リレー本番の3日前だったかな、盲腸炎にかかってしまったんですよ。すぐに緊急手術を受け、聖火リレーが山形県を通過していくのを、病院のベッドで悔し涙を流しながらテレビで観ました。残念だったなあ……。
井上 やっぱりオリンピックの記憶は強く残っていますか?
遠藤 そうですね。特に覚えているのは、ブルーインパルスが真っ青の空に五輪のマークを描いたところと、開会式の入場行進で赤いブレザーと白いズボンを着た日本選手団が国立競技場に入っていたときの雰囲気。あとやっぱり、女子バレーボールの“東洋の魔女”の印象が強いですね。
井上 テレビを観ながら応援していたんですか?
遠藤 オリンピック開催前、山形県ではまだそれほどテレビが普及していなかったんですよ。でも、オリンピックが開かれるとなって、みんな大騒ぎしながらテレビを購入して。新幹線もでき、高速道路網ができ、私たちの暮らしも大きく変わっていく節目となった大会でしたね。
井上 来年に延期となった東京オリンピック・パラリンピックは、その後の日本にどんな影響を与えてくれそうですか?
遠藤 鋭い質問ですね。前回の東京オリンピックは、戦争が終わって約20年、日本が世界に追いつけ・追い越せと経済成長を始めた時期に重なっていました。戦後からの復興という意識を共有して頑張ろうという一体感があり、日本が次のステップに向かっていったわけです。
井上 はい。
遠藤 じゃあ、今度の東京オリンピック・パラリンピックがもたらすレガシー(遺産)は? と、東京オリンピック・パラリンピック担当大臣だったときも何度も聞かれました。前回は世界に追いつけ・追い越せでしたが、今の日本は先進国です。ただ、世界にも類を見ない超高齢化社会を迎えようとしています。
井上 ソフト面というと?
遠藤 健常者も、障がいを持った人も、高齢者も一緒に共生していく。文化や言語、国籍や年齢、性別などの違い、障害の有無や能力差などを問わず、すべての人が一緒に生きられるユニバーサルデザインの整った社会。オリパラを通じて、先進国となった日本の次の在り方を示していきたいですね。もちろん、そうした社会を実現するうえで欠かせない日本の技術力も改めて世界に発信していきます。オリパラという舞台で、世界最高の技術を披露します。たとえば、水素社会の推進です。
井上 水素社会?
遠藤 日本を含め、世界の大きな課題が地球温暖化です。オリンピックでのマラソンが札幌開催となったように、年々、夏の暑さは厳しくなっています。これは日本に限らず、世界的な傾向です。
井上 具体的にはどんな取り組みを見ることができるんですか?
遠藤 先日、私も参加しましたがギリシャで聖火の炎の採火式がありました。太陽の光の熱から生じた聖火を日本に運び、聖火台や聖火リレートーチの燃料に大会史上初めて水素を活用していきます。また、福島県の浪江町にできた世界最大級の水素製造拠点「福島水素エネルギー研究フィールド」で作った水素燃料を使い、選手村周辺を行き来する車両のエネルギーに。車両はトヨタが作っている水素を燃料とする燃料電池自動車ミライです。水素燃料は燃えても二酸化炭素ガスを排出せず、水になるだけ。SDGs、持続可能な社会を作ろうという国連憲章に基づいた最初のオリンピック・パラリンピックになります。
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(取材・文/佐口賢作)
▽井上咲楽(いのうえ・さくら)
1999年10月2日生まれ、栃木県出身。A型。
Twitter:@bling2sakura
▽遠藤利明(えんどう・としあき)
1950年1月17日生まれ、山形県出身。自民党所属衆議院議員。山形県会議員を経て1993年、衆院初当選。副文科相、五輪担当相などを歴任。衆院山形1区、当選8回。