●信越放送の秀作ドキュメンタリーゆかりの地へ
日本映画専門チャンネルは、信越放送の秀作ドキュメンタリーを手がかりに、内田也哉子がそのゆかりの地を旅し、対話するシリーズ『戦後80年 内田也哉子ドキュメンタリーの旅「戦争と対話」』全6作を、8月11日から特集放送する(※11日の第1話は、スカパー!BS255で無料放送)。企画・プロデュースは、東海テレビで『人生フルーツ』『さよならテレビ』など話題のドキュメンタリー番組を手がけ、現在はフリーの阿武野勝彦氏だ。


戦後80年というタイミングでこの番組を制作した意義、SNSの発達による“旅”への影響、そしてローカル局の良質なドキュメンタリーを広めていくことへの意欲など、阿武野氏に話を聞いた――。

○きっかけは樹木希林さんの七回忌

阿武野氏は10年前、樹木希林さんを旅人に、東海テレビ制作のドキュメンタリー番組ゆかりの地を訪ねる『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』をプロデュース。今回は、希林さんの役割を娘の内田也哉子が引き継ぐ形で制作された。

希林さんの一周忌に制作した番組『樹木希林の天国からコンニチワ』(2019年)で、内田とタッグを組んでいた阿武野氏。この時、内田は初めて戦没画学生の作品を集めた美術館「無言館」(長野・上田市)を訪れ、それが縁となって昨年6月に同館の共同館主に就任した。

その後昨年9月15日、希林さんの七回忌法要に阿武野氏が列席した際に、内田から無言館の共同館主を引き受けた胸の内と「戦争についての知識を補っていきたい」という気持ちを聞いた。そこで、「『ドキュメンタリーの旅』をしてませんか?」と提案。「阿武野さんがプロデューサーをするなら」と内田。「いきなりエンジンが掛かりました」(阿武野氏)と、今回のプロジェクトが動き出した。

そんな経緯で制作された、ドキュメンタリーの旅のスタートとなる第1話は、無言館の地元局である信越放送の『無言館・レクイエムから明日へ』を放送。ともに共同館主を務める窪島誠一郎氏と館内をめぐりながら、「本当は存在してはならない美術館なんです」というアンビバレンスな願いなどを聞き取っていく。

○企画に表れた「様々な国の人を巻き込んでいく戦争」

ドキュメンタリーで数々のテレビ賞を受賞してきた信越放送。
そのキーマンである手塚孝典ディレクターは、「25年にわたる満蒙開拓の証言記録とドキュメンタリー番組の制作」が評価され、先日「第51回放送文化基金賞」放送文化部門の個人賞を受賞した。

阿武野氏は「今のテレビ局で、現役のドキュメンタリー制作者を幾人か挙げなさいと言われたら、手塚さんは一番最初に名前が出てくる人です。じっくり粘り強く対象に迫っていくドキュメンタリストなので、この人と組めば間違いない」と、昨年12月に手塚氏に今回の企画の話をすると、「ものの3~4日で“ぜひ”と返事をしてくれました」という。

当初は戦後80年の日本を俯瞰するようなシリーズにしようと「家族」「経済」「街」といったテーマも含めて考えていたというが、「やっぱりここは戦争をまっすぐ扱ったほうがいい」と作品を選定。

その中には、満蒙開拓青少年義勇軍として満州へ送り出された少年たちを題材にした『少年たちは戦場へ送られた』、日本の植民地政策に翻ろうされた家族の軌跡をたどる『再会~平壌への遠い道~』、中国帰国者2世の母と息子の物語『遼太郎のひまわり~日中友好の明日へ~』と、日本以外の国や人が関わる作品が多い。

阿武野氏はそのことを意図していなかったといい、「戦争はいろいろな国の人を巻き込んでいくものだというのが、図らずもこの企画に表れたのかもしれないですね」と語った。

●戦争関連に触れることを極端に避けたがる日本の芸能界
シリーズは、信越放送の番組を“課題図書”にして、内田が著名人と対話するが、このゲストの人選には「とても苦労しました」という。「特に日本の芸能界は、政治的な話題や戦争に関連することに触れるのを、極端に避けたがります。お笑いの世界などは特に顕著で、“この人も断るのか”とリスク回避が過剰に進む日本社会を実体験していく感じでした」と振り返る。「それだけに、今回の企画では、日々きちんとモノを言っている人たちに出会えた」と捉えた。

『無言館・レクイエムから明日へ』で登場する森山直太朗については、「現代をどう見ているか、その視線を強く感じます。『アルデバラン』の歌詞でも、“ペテンな時代に”、“不穏な未来に”、“不確かな明日に”とあるように直太朗さんの時代感覚が投影されています」といい、森山は多忙な中でも出演を快諾。
今回のオファーを受け、内田との対話の前に無言館を見学してきたそうで、収録当日の都内のスタジオは「爽やかな信州の風が吹いている感じがしました」と印象を語る。

『少年たちは戦場へ送られた』で登場するYOUに期待したのは、「場を切り裂く発言」。彼女を「予定調和で流れていくところに、ちょっと抜けたようなふりをしながら“えっ! 言っちゃった、この人”という時が彼女にはあります。あれは相当クレバーじゃないとできない」と見ていた阿武野氏。戦時下、空気に流されて満州の奥地に少年たちが連れて行かれたという歴史的事実に、「流れを変える発言、空気の壊し方が語れる、YOUさんはそんな要素を持った人です」と狙いを明かした。

『遼太郎のひまわり』で登場する坂本美雨は、戦火のガザ地区に対して様々な支援を行っており、芸術への造詣の深さという共通点からも内田とカップリング。それに加え、題材が母と息子の物語ということで、「お子さんを育てる視線に、美雨さんの大きな包容力を感じる」と依頼したそうだ。

『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』では、戦中生まれの希林さんを旅人に据え、対話相手も大正生まれの歌人・岡野弘彦のほか、戦争の時代に近い世代が登場していた。それから10年の歳月を経て、今回は戦後80年の大きなテーマとしてある、“継承”も意識。「敗戦当時15歳だった人が95歳なので、戦争体験世代がゼロになる日が現実になってきました。メディアは戦争について、伝えること、伝わること、伝えるべきこと、伝わらないこと、次の世代に不戦のバトンをどう渡していくかを考えなければいけない」と、現役世代を中心にブッキングしていった。

○写真に撮られ、SNSに載せられ、レッテルを貼られ…

10年を経てのもう一つの変化は、SNSの発達。
「辺野古や靖国神社にいる。それを写真に撮られ、SNSに載せられる。レッテルを貼られ、思わぬ炎上ということもあり得る。芸能一家の心配はとめどなく、そういう意味で、也哉子さんには心労をおかけすることになってしまい、ロケ中も“ごめんなさい”と私は謝るしかありませんでした。延べ20日を超える旅ですからいろいろありましたが、私が旅に一番迷い、オロオロしていたかもしれません」と、紆余曲折の旅路を振り返った。

そんな要素も「今は旅の醍醐味だと思っています」と捉える阿武野氏。「放送し終わった後に、也哉子さんがこの旅をどう振り返るか。終えてすぐ、そして1年後、さらに5年後、それぞれどう感じるか、この旅の持つ意味が時とともに変わると思います。時をためてそれなりに耐えるのがプロデューサーの仕事なのかもしれませんね」と、自らの使命を再確認した。

『ドキュメンタリーの旅』の取り組みによって、今回は信越放送、前回は古巣の東海テレビのほか、カンテレ、テレビ長崎、長野放送、沖縄テレビと、一度の放送で役割を終えていたローカル局の良質なドキュメンタリーに、日の目を浴びる機会を提供することに。

フリーの立場となった今、この活動を今後も行っていくことについては、「テレビの系列は関係なくなりましたし、いろいろな局で試してみたい企画です。だから今回が成功体験になればいいですね。
また、きちんとコツコツ作ってきたローカル局には宝物があります。“皆さん、今きちんと作っていれば未来の人にそれを手渡せますよ”と、メッセージが伝わってくれればと思います」と意欲を述べている。

●阿武野勝彦1959年生まれ。静岡県出身。同志社大学文学部卒業後、81年東海テレビに入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。ディレクター作品に『村と戦争』(95年・放送文化基金賞)、『約束~日本一のダムが奪うもの~』(07年・地方の時代映像祭グランプリ)など。プロデュース作品に『とうちゃんはエジソン』(03年・ギャラクシー大賞)、『裁判長のお弁当』(07年・同大賞)、『光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~』(08年・日本民間放送連盟賞最優秀賞)など。劇場公開作は『青空どろぼう』(10年)、『長良川ド根性』(12年)で共同監督。『平成ジレンマ』(10年)、『死刑弁護人』(12年)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12年)、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13年)、『神宮希林』(14年)、『ヤクザと憲法』(15年)、『人生フルーツ』(16年)、『眠る村』(18年)、『さよならテレビ』(19年)、『おかえり ただいま』(20年)、『チョコレートな人々』(23年)、『その鼓動に耳をあてよ』(24年)、『いもうとの時間』(25年)でプロデューサー。個人賞に日本記者クラブ賞(09年)、芸術選奨文部科学大臣賞(12年)、放送文化基金賞(16年)など、「東海テレビドキュメンタリー劇場」として菊池寛賞(18年)。著書に『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(21年)。
24年1月末で東海テレビを退職。「オフィス むらびと」代表。
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