サッカー選手は所属クラブのサポーターに愛されることもあれば、批判の対象となることもある。勝利に貢献するパフォーマンスを見せ、1つのクラブに貢献し続ける忠誠心を持った選手はクラブの象徴として称えられ続けることも少なくない。
現サッカー界において、クラブの象徴となった選手の代表的な例がリオネル・メッシだろう。バルセロナにとって欠かせない大黒柱であり、キャリアのすべてをバルセロナに捧げてきた。サポーターからの支持は絶大だ。
しかし、サッカー界には複数クラブでプレーしながら、伝説的なキャリアを築いてきた選手たちがいる。今回は、そんな規格外な5選手をご紹介する。

ヨハン・クライフ
クライフはアヤックス・アムステルダムとバルセロナの2クラブで、象徴的な選手となった。16歳でアヤックスのトップチームと契約したクライフは順調に成長を遂げ、19歳の時にはリヌス・ミケルス監督が率いるチームに欠かせない選手となっていた。1973年までアヤックスでプレーしているが、その間に主力として6度のリーグ優勝を成し遂げている。
そのクライフは、1973年にバルセロナへと移籍。バルセロナが掲げた「クラブ以上の存在」というスローガンの下、フランシスコ・フランコの独裁体制に嫌気がさしていたバルセロナ市民の希望の光となった。移籍初年度には、リーグタイトルも獲得している。

エドビン・ファン・デル・サール
ファン・デル・サールも、クライフと同じくオランダの名門アヤックスでプロデビューを果たした選手だ。アヤックスでは守護神としてチャンピオンズリーグ決勝でミランを撃破。ビッグタイトルを手にしたことで、世界的な評価を得ることができた。
その後、ユベントスに移籍したファン・デル・サールだが、イタリアでは思うような活躍ができずに2年で退団。4年間フラムでプレーしたのちに、2005年にマンチェスター・ユナイテッドへ加入した。
フラムで輝きを取り戻したファン・デル・サールは、ユナイテッドでも不動の守護神として君臨した。当時としてはモダンなスタイルを武器に、引退する2011/2012まで安定したパフォーマンスを披露。クラブを代表する守護神の1人として歴史に名を刻んでいる。

アンドレア・ピルロ
才能を活かしきれなかったピルロに、新たな可能性を見出したのが当時ミラン監督のカルロ・アンチェロッティだとされている。フィジカル面で脆さのあるピルロを、中盤の底に置くことでプレッシャーから遠ざけ、ポテンシャルを100%引き出した。
アンチェロッティ監督に見出されたピルロは、中盤の底から試合を作り、セットプレーではキッカーとして直接的にゴールに貢献。ミランの黄金期を中心選手として支え、数多くのタイトルをもたらした。
その後、負傷により苦しいシーズンを過ごしたピルロは、2011年にユベントス移籍を決断。すると、再び中盤の底から試合を組み立てる存在となり、全盛期の輝きを取り戻す。サポーターからの懐疑的な声は消え、クラブの2冠などに大きく貢献している。

ジネディーヌ・ジダン
史上最高の選手を議論するとき、必ず名前の上がる選手がジダンだ。フランスで結果を残したジダンは、1996年夏の移籍市場でユベントスへと移籍。マルチェロ・リッピ当時監督が辛抱強く起用し続けると、トップ下で才能が開花した。
ユベントスで5シーズンプレーしたジダンは、クラブの象徴であるアレッサンドロ・デル・ピエロとフィリッポ・インザーギを巧みにコントロールしながら、自身も個人技で観客を沸かせた。その活躍ぶりを無視できなかったのがレアル・マドリードだ。
2001年にマドリードに移籍したジダンは、銀河系軍団と呼ばれたスター集団の中で、一際輝きを放った。ジダンなどスター選手とフランシスコ・パボンなどのユース出身選手が見事に融合したチームは2001/2002シーズンにCLのタイトルを手にしている。ジダンは、世界最大規模のクラブでも伝説となった。

クリスティアーノ・ロナウド
これまでに紹介した選手たちはすべて引退した人物だが、現役にも1人だけ2つのクラブで伝説的な活躍を残した選手がいる。C・ロナウドだ。スポルティングで注目を集めたC・ロナウドは、2003年にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍した。
ユナイテッドの一員となったC・ロナウドは、デビッド・ベッカムが着用していた背番号7を引き継いだ。移籍後、少しづつ先発で起用されることが多くなり、着実に成績も伴うようになっていた。
ユナイテッドでCL制覇を成し遂げたC・ロナウドは、2008年夏の移籍市場でレアル・マドリードへと移籍。マドリードへ移籍したC・ロナウドは、さらに得点力を向上させた。2018年にクラブを離れるまで、数えきれないほどのゴールを量産しCL3連覇にも大きく貢献。引退後は間違いなくクラブの伝説として扱われるだろう。