長い人生の中で自身と同じ名前を持つ人物に出会うことはよくあることだ。サッカー界にもそうした例は少なくない。
凄まじい活躍を見せレジェンドとなり、誰もが知る、メッシ、マラドーナ、プラティニ、デル・ピエーロ、ペレの5選手。彼らと同じ姓や名を持つ選手たちがサッカー界で活躍している。
しかし、同姓、同名である選手たちはこういったレジェンドに近づけないどころか、世界的に全く無名のままでサッカー人生を歩み続けている。今回はそんな彼らをご紹介する。

マラドーナ
アルゼンチンだけではない、ブラジルにもマラドーナという男が存在している。そして当時の「ゴールデンボーイ」(マラドーナの愛称)と同じく、2列目をメインポジションとしてプレーをしているのだ。
名前はエバートン・マラドーナ、1982年生まれ。現在ウニアオ・ルチエンセというブラジルのクラブに所属している。本家のマラドーナと共通点があるとすれば、左利きであるということくらいだろう。
両親につけられた名前によって、子供の頃からピッチ上ではプレッシャーとの戦いだったという。本人がローカル新聞のインタビューで語っている。

プラティニ
苗字だけであれば、そこまで驚くべきことではないだろう。しかし、ミシェル・プラティニの場合、同姓同名の選手が存在する。ブラジル出身の「ミシェル・プラティニ・フェレイラ・メスキタ」だ。
あまり知られていない選手だが、プロ選手としてパチューカ(2002年~2003年)、ディナモ・ブカレスト(2012年)など、有名なクラブでプレーした経験を持っている。
選手としてあまり目立つ事はなかったが、ディナモ・ブカレストに移籍する前にピッチである事件を起こし、一時的に話題となった。シミュレーション気味に倒れた選手に対して苛立ちを見せ、プラティニは止められるまでその選手を蹴り続けたのだ。「レジェンドのプラティニにまで泥を塗った」と騒がれた。

デル・ピエロ
ユベントスのレジェンドとなったアレッサンドロ・デル・ピエロ。その苗字が2008年にライバルであるインテルの公式ページに載せられたさいには多くのサポーターがショックを受けただろう。
しかし、公式ページをよく見るとインテルに加入したのはアレッサンドロではなく、ヤーゴ・デル・ピエロという少年だった。彼は2008年~2013年にインテルのユースでプレーし、当時セリエBに所属していたチェゼーナに移籍した。
その後ヤーゴは力を発揮できず、現在はアマチュア選手としてサッカーを続けている。サンマリノ共和国のセラバッレを本拠地とするサッカークラブ、サンマリノ・カルチョでプレーしているようだ。

ペレ
「サッカーの王様」と呼ばれているペレと同じ名前を持つ選手は2人も存在する。しかし、2人の才能を合わせても、サッカー史に残る男の足元にも及ばないのだろう。
1人目のペレ(ジュディウソン・ママドゥ・トゥンカラ・ゴメス)は2011年にミランに移籍したが、出場試合数は0。レンタルで複数のクラブに渡ってからベンフィカやモナコに移籍し、現在はイングランドのレディングに所属している。
もう1人のペレ(ビトル・ウーゴ・ゴメス・パッソス)は2007年と2008年にインテルでプレーし、セリエA優勝を経験している。パフォーマン自体はがあまり良くなかったが、15試合に出場した。
彼が出場機会を得ることができた理由は「運」によるものが大きい。当時のレギュラーであったパトリック・ビエラ、デヤン・スタンコビッチ、ルイス・フィーゴ、そしてオリビエ・ダクールが同時に負傷。監督だったロベルト・マンチーニには選択肢がなく、ペレを起用していたようだ。

メッシ
「リオネル・メッシ」といえば、だれもがバルセロナのアルゼンチン代表FWをイメージするだろう。しかし、ノルウェーのサッカーリーグにもリオネル・メッシが存在する。
ノルウェー3部のJunkeren(ユンケレン)に所属するフィンランド国籍のリオネル・メッシの本名はダニエル・アレ・ヌッセンだが、メッシに憧れ、わざわざ市役所で自分の名前を変更したという。メッシのようになりたいと強く思ったと語っている。
フィンランド人のリオネル・メッシは加入時に、「僕はメッシのような才能は持ってないけど、ボールコントロールとスピードには自信がある。本物に少しでも近づけるように毎日頑張るよ」とコメントしている。