プロのサッカー選手になる夢を追いかけるのは簡単なことではない。周りの環境が優れていない時は尚更だ。
今回は、貧困から抜け出しスターとなった5人のサッカー選手を見てみよう。彼らの必死な姿は教えてくれる。どんなに厳しい道のりでも、諦めずに努力を欠かさなければ目標にたどり着くことを。

サンチェス
マンチェスター・ユナイテッドからのレンタルで、現在インテルでプレーするFWアレクシス・サンチェスは、チリの貧しい家庭に生まれた。
サンチェスは13歳の時から家族を救うために炭鉱で働く父を手伝ったり、近所の人の車を洗車したりなど、多くの仕事を抱えていた。そこで手に入れたお金の一部で安いスパイクを買い、町にあったサッカーフィールドで技術を磨いていたという。
有名となった現在でも地元のことを忘れてはいない。地元の子供たちがちゃんとした教育を受けられるよう多くの施設を立ち上げ、定期的にスポーツ道具なども送っているようだ。また、時間が許す限りチリに戻り、家族や昔の仲間たちに会いに行っているという。

マネ
リバプールのFWとして2019/20シーズンのプレミアリーグ優勝を果たしたセネガル生まれのサディオ・マネは、子供の頃にはボールすら持っておらず、缶など、道で見つけた物を蹴りながらサッカーをしていたという。
15歳の時、ジェネレーション・フット(多くのセネガル代表選手を生み出したクラブ)のアカデミーのトライアルを受けるために、運賃を払わずにこっそりバスに乗り、セネガルの首都ダカールに向かったマネ。普段の靴とパジャマのズボンで挑み、周りの選手たちに苦笑いされながらも、見事にトライアルを突破した。
ジェネレーション・フットが当時フランス2部のメッツと連携していたことによって、マネはヨーロッパに渡ることができた。

リベリー
フランスの港町ブローニュ=シュル=メールのスラム街で育てられたフィオレンティーナのFWフランク・リベリー。彼は親の反対を押し切ってサッカーをしていたという。父は煉瓦工をしており、リベリーは学校が終わってから夕方にかけてその仕事の手伝いをしなければならなかった。
サッカーを練習するには夜しか時間がなかったが、港町の治安がとても悪く、外にいるだけで命がけだった。
リベリーは当時について「僕は港町のスラム街に住んでいて、家族はとても貧しかった。サッカーがなければどうなっていたでしょう。あのスラムではとても語れないほどのエピゾードを見てきましたね」とコメントしている。
しかし、リベリーはサッカー選手になる夢を諦めなかった。そして、バイエルン・ミュンヘン(2007-2019)のレジェンドとなり、2013年にはバロンドール賞(世界年間最優秀選手に贈られる賞)の候補トップ3に入るほどの優れた選手となった。

イブラヒモビッチ
ミラン所属のズラタン・イブラヒモビッチは、両親の離婚後に父親と住むこととなり、スウェーデンのマルメで貧乏な生活をしていた。生き残るためには物を盗んだり、多くの喧嘩に参加したりした、と自伝の『I AM ZLATAN』で語っている。
幸いにもイブラヒモビッチは強い精神と優れたサッカーセンスに恵まれ、得点を積み重ねて目の前の道を強引に切り開いた。地元のマルメで大活躍すると一斉にヨーロッパの名門クラブから声がかかり、インテル、バルセロナ、パリ・サンジェルマン(PSG)などでエースとしてプレーすることとなった。
彼の勢いは未だに止まらない。2019年12月27日にイブラヒモビッチがミランに復帰してから(2010-2012年にも同クラブに所属)ロッソネーリ(ミランの愛称)は彼の優れたプレーによって、別のチームになったかのように多くの勝利を重ねている。

ディ・マリア
レアル・マドリードでレジェンドとなり、現在PSGでプレーしているMFアンヘル・ディ・マリアは、アルゼンチンのロサリオにある天井の一部がない家で幼少期を過ごした。
父のミゲルも若い頃にプロを目指し、リーベル・プレートでプレーした経験もあったが、膝の怪我によってサッカー人生が台無しとなり、炭鉱で働く生活となった。
ディ・マリアも家族を支えるために10歳の頃から父親の仕事を手伝うことになる。また、父親の夢を叶えることを目標にして大好きなサッカーに全てをかけ、17歳となった2005年に地元のロサリオでプロデビューを果たしている。
その後、2007年にポルトガルのベンフィカから突然のオファーが届くと、ディ・マリアは迷わずヨーロッパに渡ることとなった。
当時のインタビューでは「ベンフィカから突然のオファーが届いた時はすごく驚きました。でも人生1度のチャンスだと思って、すぐに承諾しましたね。親は僕のために一生懸命働いてくれました。これからは僕が支える番です」と語っている。