2021シーズン明治安田生命Jリーグの全日程が終了し、今季限りでの現役引退を選択した選手達が各クラブから発表されている。

第1弾に続き、ここではJ1、J2、J3リーグの各クラブから引退を表明した選手達を、感謝を込めて紹介する。

(情報は12月22日現在、出場数得点数はリーグ戦のみ)

関連記事:2021シーズンで引退のJリーガーたち。感謝を込めて【第1弾】

2021シーズンで引退のJリーガーたち。感謝を込めて【第2弾】

玉田圭司(J2:V・ファーレン長崎

習志野市立習志野高等学校から1999年に柏レイソルに入団した玉田圭司。ドリブルとスピードを追及し2003シーズンからレギュラーに定着すると、2006年には名古屋グランパスへと移籍。2010シーズンに13得点を挙げると共にクラブの初優勝に大きく貢献した。翌シーズンにはキャリアハイとなる14得点。2015シーズンにセレッソ大阪に移籍すると初のJ2で二桁得点し、J1昇格プレーオフ進出。2017シーズンには名古屋グランパスに凱旋し、2019シーズンにV・ファーレン長崎に入団した。

日本代表としても活躍し、2004年のアジアカップでは準決勝のバーレーン戦で2得点、決勝の中国戦でも1得点を挙げ、連覇に貢献。2006FIFAワールドカップ・ドイツ大会では大勝が求められた第3戦のブラジル戦で先制ゴールを決め、「もしかしたら」と思わせてくれた。2010 FIFAワールドカップでも2試合に出場。23年ものキャリアを終え、今後は指導者を目指す予定だという。

2021シーズンで引退のJリーガーたち。感謝を込めて【第2弾】

高橋義希(J1:サガン鳥栖

長野県の松商学園高校から、2004年にサガン鳥栖に入団。当初はSHとして起用され、2005年には鳥栖の選手で初めての日本代表となる、トゥーロン国際大会のU-21日本代表に選出された。2006年からはボランチで起用されるようになり、2009年まで毎年40試合以上に出場。

2010シーズンにはベガルタ仙台に移籍し2シーズンプレー。2012シーズンに再び鳥栖に戻り、J1でも安定して戦えるチームへと成長させてきた。

精神的支柱でもあった「ミスター・サガン」は今季最終節のヴィッセル神戸戦で途中出場。試合後の引退セレモニーでは家族から労いの言葉が送られ、中でも長女からの表彰状には多くのサポーターが涙した。

2021シーズンで引退のJリーガーたち。感謝を込めて【第2弾】

田中達也(J2:アルビレックス新潟

帝京高校から2001年に浦和レッズに入団。1年目から出場機会を掴み、2003シーズンには11得点を挙げ、ナビスコ杯ではMVPとニューヒーロー賞を受賞。そんな「ワンダーボーイ」は2004年のアテネオリンピックに出場し、翌年には日本代表に初選出されている。

だが、この年悲劇が訪れる。10月13日の試合でタックルを受けると、右足首脱臼骨折の重傷を負ってしまったのだ。翌年復帰を果たすが、それ以降は怪我がちになり得点数も大きく減少。

2013シーズンにはアルビレックス新潟へと移籍。主力を担いチャンスに絡んだが徐々に出場機会が減少し、今季は最終節のFC町田ゼルビア戦でのスタメン出場が唯一の出場だった。それでも前半32分に交代する際には、試合中に関わらず両チームの選手、スタッフで花道が作られるほど愛された選手だった。

作田裕次(J2:ツエーゲン金沢

石川県白山市出身の作田裕次。星稜高校時代には元日本代表の本田圭佑らと共に全国サッカー選手権でベスト4進出。筑波大学を経て2010シーズンに水戸ホーリーホックに入団すると1年目から全試合に出場。

翌年大分トリニータへ移籍。2年間プレーし、2013シーズンにはモンテディオ山形へ。最も印象深いのはツエーゲン金沢に在籍していた期間だろう。2014~2021シーズンまで8年間所属し、背番号3を背負って190を超える試合に出場。

地元クラブのJ3優勝、J2昇格に大きく貢献した。第二の人生についてはまだ未定のようだ。

金園英学(J3:AC長野パルセイロ

大阪府出身で岡野雅行、船津徹也らを輩出した島根県の立正大学淞南高校、関西大学を経由し2011年にジュビロ磐田に入団した金園英学。1年目からJ1で12得点を挙げ、翌年には日本代表に招集される。だがこの合宿で右第5中足骨の骨折を負い、ここから度重なる怪我との戦いが始まることに。

2015シーズンにベガルタ仙台に移籍し1年目は7得点を挙げるも2年目は怪我の影響で無得点。2017シーズンにはコンサドーレ札幌に移籍したがここでも無得点。

翌年から所属したヴァンフォーレ甲府では3年間で13得点。2021シーズンはJ3のAC長野パルセイロでプレーしていた。怪我さえなければ…と思う選手の1人だ。なお、本人の意向により引退セレモニーは実施されなかった。

枝村匠馬(J3:藤枝MYFC

静岡県出身で清水エスパルスのジュニアユース、ユースを経て2005年にトップチームに昇格した枝村匠馬。翌年にはJ1で34試合に出場し9得点。その後も主力を担い、U-22日本代表に選出されるなど期待された選手の1人だった。セレッソ大阪、名古屋グランパス、ヴィッセル神戸へ移籍し2015シーズンに再び清水エスパルス復帰。

J2で戦っていたチームをJ1に上げ、その後はアビスパ福岡、栃木SC、藤枝MYFCと一定以上の毎年出場機会を得続けた。地元の静岡に始まり、静岡に終わったサッカーキャリアだった。

2021シーズンで引退のJリーガーたち。感謝を込めて【第2弾】

赤嶺真吾(J2:FC琉球

沖縄県出身の赤嶺真吾。鹿児島実業高校に進んでからFWに転向し、駒澤大学から2005年にFC東京に入団した。2008年4月には日本代表候補合宿に招集され、このシーズンはリーグ戦12得点。ベガルタ仙台に完全移籍して迎えた2011シーズン、翌2012シーズンにもそれぞれ14得点を決めた。ガンバ大阪を経て2016シーズンからは舞台をJ2に移しファジアーノ岡山でプレー。

2021シーズンは地元FC琉球で27試合に出場して3得点を記録。点で合わせる技術に長けたFWだった。最終節の栃木SC戦では決勝点を決め、現役最後の試合を自ら祝うことに成功している。

那須川将大(J3:藤枝MYFC)

北海道出身で小学校、中学校で全国大会に出場した那須川将大。青森山田高校、中央大学から東京ヴェルディに入団した。クロスの精度の高い左SBとして、試合出場を重ねがら栃木SC、徳島ヴォルティス松本山雅FC、大分トリニータ、藤枝MYFCに所属した。中でも徳島ヴォルティスではクラブ初のJ1昇格の一員となり、2014シーズンにはJ1でも20試合に出場している。

高木和正(J3:カマタマーレ讃岐

香川県出身、世代別日本代表にも選ばれ、2003年にサンフレッチェ広島に入団した高木和正。層の厚さに阻まれ、広島、期限付き移籍したモンテディオ山形ではあまり出場できなかったが、2006シーズンに当時東海1部リーグ所属だったFC岐阜に移籍して以降は真価を発揮。J2まで駆け上がる一因となり、その後の栃木SC、カマタマーレ讃岐では背番号10を背負い中心選手として活躍。地元・香川県のクラブで8年間プレーするなど、計19年間のキャリアを積み重ねた。

酒本憲幸(J3:鹿児島ユナイテッドFC)

和歌山県出身で、キャリアのほとんどをセレッソ大阪で送った酒本憲幸。2003年に入団し、2016年まで。実に14年間の多くで右翼を担った。2019シーズンには鹿児島ユナイテッドへ移籍し、3年間で90試合に出場。「酒本会」というサポーター団体が存在するほどに愛されたプレーヤーだった。引退セレモニーには乾貴士柿谷曜一朗らが駆けつけ、背番号にちなみ20回の胴上げが行われている。

尾身俊哉(J3:Y.S.C.C.横浜)

埼玉県出身で横浜F・マリノスユースに所属していた2013年にはU-18日本代表選出された尾身俊哉。トップチームへの昇格はならなかったが、専修大学を経て2018年にY.S.C.C.横浜に入団。2019シーズン、2020シーズンにはそれぞれ4試合に出場。だが、2021シーズンには出場機会を得られず、今シーズンをもって引退を決断した。セカンドキャリアでは第一産業とアスリートとを繋げる活動を行っていくという。

土井康平(J3:いわてグルージャ盛岡)

兵庫県出身。ヴィッセル神戸ユースから、2007年にトップチームに昇格した土井康平。だが2009シーズンに期限付き移籍した水戸ホーリーホックを含め、出場機会を掴めず。2010シーズンから愛媛FCのアマチュアチーム、愛媛FCしまなみに移籍。ここで出場機会得て2012シーズンからはグルージャ盛岡へ活躍の場を移すと、2015シーズンの京都サンガF.C.への期限付き移籍を挟みながら長年守護神として君臨した。

横山卓司(J3:ヴァンラーレ八戸)

福島県出身で、新潟医療福祉大学から2013年に当時東北1部のグルージャ盛岡に入団したGKの横山卓司。その年にチームがJ3に昇格し、2014シーズンからの3年間でJ3の27試合に出場した。2017シーズンからはJFLのラインメール青森に所属。翌シーズンからレギュラーの座を掴み活躍。2021シーズンにはヴァンラーレ八戸に移籍し、Jリーグの舞台に帰還。J3で6試合に出場した。

石田皓大(J3:テゲバジャーロ宮崎)

山口県出身で高川学園中学校・高校を経由。福岡大学から2019年に当時JFLのテゲバジャーロ宮崎に入団した石田皓大。1年目から17試合に出場。2021シーズンにはJリーグ初出場を含む2試合に出場したが、怪我が多かったこともあり20年間のサッカー人生を終え引退を決意した。常にサッカー第一に行動してきた男は、これからもサッカーに関わっていくという。

2021シーズンで引退のJリーガーたち。感謝を込めて【第2弾】

塩田仁史(J1:浦和レッズ)

茨城県出身で、2004年に流通経済大学からFC東京に入団したGK塩田仁史。2007シーズンに元日本代表の土肥洋一からスタメンを奪い、2008シーズンにはリーグ戦全試合に出場した。だがその後は壊死性虫垂炎や麻痺性腸閉塞を負い出場できない時期も経験し、2014シーズンで退団。

そこからは大宮アルディージャで5シーズン、栃木で1シーズン、そして最後は浦和レッズで、プロサッカー生活を終えた。来季からは浦和レッズのアシスタントGKコーチに就任し、後進の育成に携わる見通しだという。

秋元陽太(J2:愛媛FC)

東京都出身で、2006年に横浜F・マリノスユースからトップチームに昇格したGK秋元陽太。各年代別日本代表を経験したが、プロ1年目に前十字靭帯及び内側側副靱帯を断裂の大怪我を負ったこともありマリノスではあまり出場できず。2012年に愛媛FCへ移籍すると、ここから一気に評価を上げることとなる。絶対的な守護神として2シーズンを送ると、湘南ベルマーレに移籍。J1昇格に大きく貢献し、2015シーズンにはJ1で全試合に出場。翌年にはFC東京に移籍し、ここでも主力を張った。

2017シーズンには再び湘南へ移籍し絶対的守護神として定着すると、J2に降格していたチームはJ1復帰。2018年には湘南初のタイトルとなる、ルヴァン杯制覇に貢献した。2020シーズンにはFC町田ゼルビア、2021シーズンには愛媛FCで出場機会を得ていたが、引退を決断している。