
現在大宮アルディージャの経営に参画すると報道されている「レッドブル・グループ」。
Jリーグでは外国資本によるクラブの買収は認められていないものの、レッドブル・グループは日本法人を備えていることから参入が可能であるとも伝えられている。
エナジードリンクの「レッドブル」を展開している企業として知られるレッドブル・グループは、2000年代から積極的にスポーツへの投資をスタートし、現在は全世界規模でその名前を見ない日はないほどの存在感を見せている。
レッドブル・グループが投資してきたスポーツとは
レッドブルの創設者であるディートリッヒ・マテシッツは、コカ・コーラなどの飲料メーカー大手に対抗するため、ブランド価値を高めるという戦略を重視した。
そしてクリフダイビング(崖からの飛び込み競技)、エアレース(飛行機でのレース)、BMX、マウンテンバイク、スカイダイビング、トライアルバイク、スノーボード、スキー、アイスホッケー、ラリー、そしてF1、サーフィンなど様々なスポーツへと投資した。
レッドブルが支援して日の目を見た「クリフダイビング」
サッカーにおいては、2005年にマテシッツの故郷であるオーストリアの首都ザルツブルクにあった「SVオーストリア・ザルツブルク」というクラブを買収したのが始まりであった。
名前を「レッドブル・ザルツブルク」と企業名に変更したほか、クラブの伝統的な色は紫であったが、それをコーポレートカラーの白と赤に変え、エンブレムもレッドブル社のものを踏襲したものとなった。

クラブの価値を高めるために選手の育成機関を整備し、レッドブル・ジュニア(現FCリーフェリング)を設立。さらに2012年には「レッドブル・ザルツブルク・アカデミー」を建設し、サッカー選手200名とアイスホッケー選手200名を収容できるアスリート育成組織を作り上げた。
この施設からはコンラッド・ライマー、シャヴィエル・シュラーガー、マルティン・ヒンターエッガーらが輩出されており、オーストリアのスポーツを支えるものとなっている。
また、2006年にはアメリカ・メジャーリーグサッカーのニューヨーク・メトロスターズを買収し、「ニューヨーク・レッドブルズ」に改名。エンブレムもザルツブルクと同じように会社のロゴを使用したものになった。

買収から数年は「レッドブルらしい」チームとは言えなかったものの、クラブは2015年に生まれ変わる。
その理由は2012年にラルフ・ラングニック氏がレッドブル・グループのフットボールディレクターに就任したことだ。
ラングニック氏が志向するアグレッシブなハイプレッシングスタイルを実現するためのチームとして生まれ変わるため、指揮官にはジェシー・マーシュ(後のレッドブル・ザルツブルク、RBライプツィヒ監督)が招聘された。
マーシュは会見で「エナジードリンクのようなチームになる」と宣言。その通りピッチ上では「エナジードリンク・サッカー」と呼ばれるプレーが展開され、彼が指揮した2015年から2018年の間に東地区優勝3回という結果を残している。
そして他にも2007年にはブラジルのサンパウロ州に「レッドブル・ブラジル」というクラブを設立し、全国選手権(1部リーグ)への昇格を目標にスタート。
ただこのチームはなかなかサンパウロ州リーグを抜け出すことができなかったことから、レッドブル・グループは2019年に同じサンパウロ州のブラガンチーノと提携することを決定した。
ブラガンチーノはブラジル全国選手権2部を戦っていたチームであったが、その年に1部昇格に成功。それを機にレッドブルは2020年にクラブ名を「レッドブル・ブラガンチーノ」に変更した上、エンブレムも同じようにチェンジ。
もともとあったレッドブル・ブラジルは「レッドブル・ブラガンチーノII」に変更され、現在はリザーブチームとして活動している。
最も成功を収め、最も憎まれる「RBライプツィヒ」

そして、最も有名なのは「RBライプツィヒ」。ドイツでいま「最も嫌われているチーム」として知られているが、それはレッドブルによる急速な成長、さらにはドイツサッカーの伝統や規則を半ばグレーなところで突破してきたことが原因だ。
2006年からドイツへの投資を計画していたレッドブル・グループは、国内の様々な地域を調査したうえで、4部リーグを戦っていた「ザクセン・ライプツィヒ」という小さなクラブに目をつけた。
しかしそれはドイツサッカー連盟によって「企業の影響力が強すぎる」として許可されず。元々ブンデスリーガでは広告目的でのクラブ名変更、投資家による過半数の株式取得が認められていないからだ。
他にもザンクト・パウリ、1860ミュンヘン、フォルトゥナ・デュッセルドルフなどにも接触したが、クラブやサポーターの反対によって断念することになり、最終的には「既存のクラブを買うことは不可能」だと結論づけた。
そこで選んだのが、最初に目をつけていたライプツィヒだった。
旧東ドイツの地域であるライプツィヒには国際空港があり、高速道路が通っており、そして2006年ワールドカップで使われた「ドイツで2番めに大きいスタジアム」があった。しかも、その周辺には当時ブンデスリーガどころかプロのクラブも存在せず、地域人口も50万人と豊かであった。
レッドブル・グループは2009年に新クラブの設立をザクセン州のサッカー協会に申請し、SSVマルクランシュテットという5部クラブのライセンスを買い取った。その時の買収額はわずか35万ユーロ(およそ5600万円)だったという。
さらにライセンス取得に必要な下部組織を揃えるため、ザクセン・ライプツィヒから4つのカテゴリーのジュニアチームを買収。これによって5部リーグへの参戦が認められ、「RBライプツィヒ」が正式にスタートした。

ドイツの規則により企業名を付けることができないため、「RB」は公式には「RasenBallsport」(芝生での競技)という意味になっているが、そのエンブレムとカラーを見ればレッドブルの略称であることは明らかである。
2012年にはレッドブル・グループのスポーツディレクターに就任したラルフ・ラングニックによって急速な改革がスタートし、2015-16シーズンの2部で2位となりブンデスリーガへと昇格。当初からの目標であった「8年でのトップリーグ進出」を達成したのだ。
現在ではチャンピオンズリーグの常連にもなった一方、ドイツの伝統を愛するサッカーファンには嫌悪感を示されている「ヒールレスラー」という存在になっている。
なぜレッドブルはスポーツに巨額を投資できるのか
これほどまでにスポーツへの関心を高く持つレッドブル・グループであるが、その理由とはなんなのか。それはレッドブルが持つ経営戦略にある。
まず、レッドブルという企業の創設から振り返っていく。1982年にタイを訪れた創業者ディートリッヒ・マテシッツは、そこで飲んだエナジードリンク「クラティンデーン」の味に感銘を受けた。
それをオーストリアへと持ち帰ったマテシッツは、配合と風味をヨーロッパ向けに調整。クラティンデーンという名前の意味である(赤い雄牛)を英語に直し、「レッドブル」として展開することを決めた。

最初の数年間はそれが成功を収めず、数百万ドルを失ってしまった。新たにハンガリー、ドイツ、イギリスへの進出を決めたマテシッツであるが、すでに広告費は尽きていた。
そこで、マテシッツが行ったのが「口コミマーケティング」。ターゲットを若者に限定し、巨大なレッドブル缶を取り付けた車を運転する学生を募集したほか、大学のキャンパスを訪れてパーティーやバーで無料のサンプルを提供していった。
またビーチやトレーニングジム、オフィスビルなどで営業を重ね、徐々に販路を拡大させていく。
さらに、チームではなくエクストリームスポーツの選手個人をサポートすることによって、費用を抑えながら露出を増やすとともに「クールで、エネルギッシュ」というブランドイメージを定着させていった。
それをベースにチームスポーツやカーレースの分野にも参加。とくにサッカーにおいては多くの人材を育成し、クラブの価値を高めて収益につなげている。

ただ、そこで一つ疑問が生まれる。エナジードリンクで成功したからといって、なぜそれだけしか商品を展開していない企業がそれだけのお金をスポーツとマーケティングに投資できるのか?
そこには、レッドブルという製品の性質と展開の方法があるという。
レッドブルはほぼ単一の商品であるため調達が容易であり、製品はすべて外部委託によって生産されている。また、ブランド価値の影響もあって非常に高い利益率を持っている。
驚くことに、レッドブル1缶の製造コストはわずか0.09ドル(およそ13円)。それはアメリカでは1.87ドル(およそ280円)で卸売され、3.59ドル(およそ540円)で小売される。
つまりレッドブルはアメリカにおいて1缶の利益が265円を超えており、通常では考えられないほどに原価率が低い商品であるとのこと。
そのため、商品の現物を提供することによる損失は非常に低く、高い利益を他の分野へと投資することができているという。
唯一の汚点「レッドブル・ガーナ」はなぜ失敗したのか
スポーツへの投資で成功を続けているレッドブル・グループであるが、唯一完全に失敗したといえるのが「レッドブル・ガーナ」である。
2008年にガーナの南東部にあるソガコペという街に作られたアカデミーは、アフリカに眠っているサッカーのタレントを発掘し、ヨーロッパの市場に乗せて利益を上げることを狙いに設立された。

チームは2009年に早くも2部リーグへと昇格するなど順調かと思われたが、2013年には3部へと降格。
なぜそのようなことになったのか?民俗学者のマーティン・カインズ氏による書籍「Red Bull Ghana」によれば、レッドブル・グループと地域社会の対立にあったそうだ。
その中で最も大きな問題は、アカデミーが建設された土地を巡る意見の相違であったとのこと。
レッドブル・ガーナが作られる前、その土地はオーストリアのサッカースクール「ラヴァンタール」が使っていたという。
ラヴァンタールは地域のコミュニティから寄付される形でこの土地を所有しており、それをレッドブルも受け継ぐことになった。
ただ、寄付ということはそれに準ずる社会的責任が伴う。レッドブルは地域に飲料水の供給を保証すること、そして地元から最低2名の選手をアカデミーに受け入れ、食事や教育を提供することが期待されていた。
ところが、レッドブルはこの地域による社会的期待に全く応えることがなかったとのこと。
ガーナでは地域の首長や長老が非常に強い権力を持っており、それによる人間的な繋がりによって伝統的な土地の管理や儀式が行われている。
しかし、ヨーロッパから来たレッドブルの白人従業員はそれらの文化を理解しておらず、地域コミュニティとの関係がうまく行かなかったという。
マーティン・カインズ氏がインタビューした現地の関係者によれば、地域住民はレッドブルの運営に失望し、自分たちとアカデミーの間の力の不均衡に不満を溜めていたそう。
またそれによって欧州から来たスタッフが地元との交流を避けるようになり、ヨーロッパの白人従業員と地元で雇われた黒人従業員の間で分裂が起こってしまったという。
「アパルトヘイト制度のようだ」とまで言われるほどの内部崩壊に至ったレッドブル・ガーナは、わずか5年という短い間で消滅を迎えることになった。
旧レッドブル・ガーナが使っていた場所は、かつてフェイエノールトの下部組織だった「ウエスト・フットボール・アカデミー(WAFA SC)」が受け継ぎ、1999年から現地で活動している強みを活かして運営されているという。
もし大宮アルディージャにレッドブル・グループが経営参画するのであれば、このレッドブル・ガーナの失敗を繰り返すまいと挑んでくるだろう。
首都圏という立地、すでにサッカー専用スタジアムが存在する環境、さらにJ3降格でクラブの価値が落ちている状況となれば、レッドブルが手を出しやすいクラブであることは間違いない。あとは、地域住民やファン・サポーターとの関係性と言えるだろうか。