しかし、その前週の第32節の湘南ベルマーレ戦(レモンガススタジアム平塚)では、前半27分までにDF濃野公人の2得点でリードしていたにも関わらず、その後3失点を喫し大逆転負け。さらにその前週の天皇杯準々決勝ヴィッセル神戸戦(0-3)で完敗していたことが“決定打”となった形だ。同時に、ミラン・ミリッチコーチと吉岡宗重フットボールダイレクター(FD)の退任も発表された。
ポポヴィッチ前監督の招聘から、鹿島の歴代監督について、また、10月9日に発表された中後雅喜新監督下新体制について深掘りしよう。

ポポヴィッチ監督招聘まで
旧ユーゴスラビア出身(現在はセルビアとオーストリアの二重国籍)のポポヴィッチ前監督は、パルチザン・ベオグラード(セルビア)でプロキャリアをスタートさせ、SKシュトゥルム・グラーツ(オーストリア)では3大会連続でUEFAチャンピオンズリーグ(CL)に出場し、2002年、選手兼監督として在籍したTuS FCアルヌ・フェリス(オーストリア)で、現役引退と同時に指導者の道を歩み始めた。2006年、同胞のミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌)のサンフレッチェ広島監督就任に伴いコーチに就任。2007年から2009年にかけては、母国のFKスパルタク・スボティツァの監督を務めた後、2009シーズンの大分トリニータを皮切りに、2011シーズンは当時JFLの町田ゼルビア、2012-2013シーズンはFC東京、2014シーズンはセレッソ大阪と、日本のクラブを転々とした。
その後も2014-2015シーズンにはスペインのラ・リーガ2部のレアル・サラゴサ、2016-2017シーズンには、タイ・リーグ1の強豪ブリーラム・ユナイテッドの監督を務めている。
“東欧のブラジル”と呼ばれた旧ユーゴ出身らしく、攻撃的サッカーを志向し、2018シーズンのアジアチャンピオンズリーグ(ACL)優勝以来、タイトルから遠ざかっているチームに再び栄冠をもたらすべく、期待を込めて2024年に鹿島に招聘された。

直近5年で5回目の監督交代となった鹿島
しかし、鹿島のチーム編成はポポヴィッチ監督の戦術をピッチで表現できる選手を揃えたとは言い難かった。また、選手起用も固定化され、出場機会のない選手との確執も囁かれ、練習の雰囲気が良くなかったことも更迭の要因だったと言われている。これで、直近5年で5回目の監督交代となった鹿島。2019年にメルカリに買収されてから、J1リーグで3位、5位、4位、4位、5位と、あと一歩の成績が続いている。メルカリ取締役社長兼COOの小泉文明氏も「トップとしてこの結果を重く受け止めています」と謝罪する一方、「中長期的な視点に立った強化戦略」を取ると声明を出した。
そして10月9日に新体制が発表され、中後雅喜氏が内部昇格の形で新監督に就任。さらにスカウトだった本山雅志氏と、U-23日本代表コーチを務めた羽田憲司氏のコーチ就任、また、プログループマネージャーを務めていた中田浩二氏のFD就任も同時に発表された。

中後新監督のスピード出世と新体制
2024シーズン残り6節での大きな体制変更には、サポーターからも疑問の声が上がった。中でも多かった声は「中後に鹿島の監督が務まるのか」というものだ。ジェフユナイテッド市原ユースから駒澤大学に進み、“大学ナンバー1ボランチ”の肩書を引っ提げ、2005年に鹿島入りした中後氏。2006シーズンに、当時のパウロ・アウトゥオリ監督によってレギュラーの座に定着したものの、翌2007シーズンには、当初オズワルド・オリヴェイラ監督の下で先発起用されていたが、シーズン途中にMF小笠原満男がセリエAメッシーナへのレンタル移籍から復帰したことで控えに回ることが多くなり、2009シーズンにはジェフユナイテッド千葉に移籍。その後も移籍を繰り返し、セレッソ大阪、東京ヴェルディでプレーし、2017シーズンをもって引退すると、そのまま東京Vの下部組織のコーチとして、指導者の道に進んだ。
東京Vジュニアユースコーチを2023年まで務め、今2024シーズンから、トップチームのコーチとして鹿島に復帰した。ちなみに同氏がトップチームの指導に関わるのは、今季が初めてだ。このスピード出世ぶりには、サポーター以上に中後氏自身が一番驚いているのではないだろうか。
さらに脇を固めるのは、ジーコ氏の引退に伴い2001シーズンから背番号10を引き継いだ元日本代表MFの本山氏と、2001年ワールドユースアルゼンチン大会(現FIFA U-20ワールドカップ)では日本代表の主将を務めたDFの羽田氏、さらにFDに就任した中田氏も含め、まさに“チーム鹿島”で首脳陣を固めた形だ。

最も好成績を収めた石井監督との共通点
中後新監督はじめ、ベンチには常勝軍団だった頃のチームを知るメンバーが揃った。あの頃の鹿島はとにかくしぶとく勝負にこだわり、時にはポゼッションを捨て、1点差で勝っていれば時間潰しのプレーも厭わないスタイルは、Jリーグファンの間で“鹿島る”というスラングを生み出したほどだ。勝ち方を熟知する指導者の下で結束力を取り戻し、かつての勝負強さを取り戻す可能性は十分あるだろう。さらに追い風となるデータもある。これまで鹿島は、初代監督の宮本征勝氏をはじめ、関塚隆氏(暫定監督)、石井正忠氏、大岩剛氏、相馬直樹氏、岩政大樹氏の6人の日本人が監督を務めているが、最も好成績を収めたのは(初代の宮本氏と暫定の関塚氏を除けば)、選手としての実績面で乏しい石井氏である点だ。
Jリーグが創設された1993シーズンの開幕戦、名古屋グランパスエイト戦(カシマサッカースタジアム/5-0で勝利)の先発メンバーに名を連ねたものの、代表歴もなかった石井氏。指導者に転身後はユースチームのコーチからフィジカルコーチ、総合コーチとして様々な経験を積み、2015年7月、トニーニョ・セレーゾ監督の解任に伴い、後任として鹿島の監督に就任した。
そのわずか3か月後、ヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝(埼玉スタジアム2002)で、ガンバ大阪を3-0で一蹴し初タイトルを獲得すると、2016シーズンにはJ1リーグと天皇杯も制し、12月18日に行われたFIFAクラブワールドカップ決勝のレアル・マドリード戦(日産スタジアム)では、MF柴崎岳の2得点で延長戦に持ち込むなど(2-4で敗戦)、“あわや”の試合を見せ、Jリーグファンに夢と希望を与えた。
退任後は、大宮アルディージャでも指揮を執ったものの、浪人中には鹿嶋市内の給食センターで働いていたという庶民派でもある石井氏。その手腕を買われ、タイ・リーグ1の2チーム(サムットプラーカーン・シティ、ブリーラム・ユナイテッド)の監督を経て、現在、タイ代表監督を務めている。
鹿島の主力でありながら、A代表とは縁遠かった点や、他クラブで引退した点(石井氏はアビスパ福岡で引退)など、共通点も多い中後氏と石井氏。エリートコースを歩むことがなかったことで、選手へのリスペストを忘れず、指導方針も180度変わる可能性を秘めている。

来季以降の鹿島を占う初陣に注目
代表ウィーク明けの10月19日に開催されるJ1第34節の福岡戦(カシマサッカースタジアム)が、“中後アントラーズ”の初陣となる。3位の町田との勝ち点差は「6」だ。まだまだACL出場権を狙える位置にいる鹿島。これだけの改革を行ったということは、来季もこの体制で臨むことはほぼ確実だろう。それだけに、来季以降の鹿島を占う意味で、残りの6戦では常勝軍団だった頃のしぶとさや勝負への執念を取り戻すことができるか、注目したい。