【増田俊也 口述クロニクル】


 写真家・加納典明氏(第11回)


 小説、ノンフィクションの両ジャンルで活躍する作家・増田俊也氏による新連載がスタートしました。各界レジェンドの一代記をディープなロングインタビューによって届ける口述クロニクル。

第1弾は写真家の加納典明氏です。


  ◇  ◇  ◇
 
増田「冬の北海道は家の中が暖かいというイメージは内地の人にはわかりづらいでしょうね」


加納「そうそう。住んでみないとわからない。ただね、外に出ると、北海道の寒さとか、雪だの氷だとか、自然環境というのがやっぱり目新しくて。新しい世界っていうんで、結構それは精神的には楽しんでたな」


増田「もちろん下水ないですから、トイレは汲み取りで、凍ってしまわなかったですか。出したものが」


加納「いや。そういった業者が来るわけだから、王国には。別に苦労はなかったよ」


増田「当時王国内で一緒に暮らしてた人っていうと、畑さんの弟のヒゲさんとか。それから女性だと、純子さんとか、ヒロ子*さんとかいましたよね」


※ヒゲさんと純子さんとヒロ子さん:ヒゲさんは畑正憲の実弟で主にヒグマの世話をしていた。内地から押しかけてアシスタントとして王国の住人となったヒロ子さんはキタキツネの担当、純子さんは犬の担当。


加納「あ、いたいた。よく知ってんね」


増田「僕、当時、小学校時代、畑さんの本ずっと読んでたんで当時の王国のこと詳しいんです。

そういう人たちの関係っていうのはどうだったんですか」


加納「彼たちはいわゆるスタッフで、犬の面倒見る人とか、馬の面倒見る人とか、ヒグマの面倒見る人とか。ヒグマの方においちゃんがーーおいちゃんって、弟さん。そういうふうに担当が決まってて、その中でそれぞれの人が仕事をやってたっていうことだね。俺は別に何をやれとか一切言われなかったから。それこそ1人ぶらぶら好きなことやってたよ」


増田「今あげたような人たち以外には、まだ当時はそんなたくさんの人はおられなかったんですね」



ムツさんの知己がやってきたが…

加納「どのぐらいだったかな。新しい人も入ってきたりして、同時に辞めてった人もいたりして。常時やっぱり男女合わせて7人ぐらいはいたんじゃないかな」


増田「そういう人たちと集まって夕食をとったりってことはあんまり」


加納「いやいや、基本的に俺は、ほら、うちの家があるわけだからそこで家族で暮らしてた。その時にタイミングでみんなで王国の若い人たちとか、畑さんとかと一緒に飯食ったりしてたことはあったよ。でもいつもではない」


増田「月に1回か2回、ムツさんの家行ってみんなで飯食ったりっていうことですか」


加納「月に1回じゃない。それはケース・バイ・ケースで、昼飯のなんかの都合で『加納さん。飯食ってく?』とかで『いただきます』みたいな感じでとか。ケース・バイ・ケースとかデーバイデーで適当にやってたよ」


増田「入れ替わって住んでるスタッフの人たちの他に、たくさんの人が畑さんを訪ねてきてると思うんですけど。

有名な方も来られてますよね、たくさん」


加納「もう名前忘れたけど、たしかにいろんな人が来たよな。でも俺はそういう人たちとは知り合いじゃないから。基本的にはほら、ムツさんの知己だから」


増田「あまり関わらないようにしてたと」


加納「そうそうそう。新聞や雑誌の取材だって、あそこに来るのは俺への取材じゃないわけだから。畑さんの取材だから」


増田「たしかにそうですね」


(第12回につづく=火・木曜掲載)


▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞など受賞多数。


▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。

北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が好評発売中。


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