【孤独のキネマ】


 大統領暗殺裁判 16日間の真実


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 この映画を見終えたとき「重いなぁ」とつぶやいてしまった。韓国の朴正熙暗殺事件を裁く軍法裁判を重厚に描いた衝撃作。

民主主義を失った暗黒社会とはこれほどまでに恐ろしいのかと戦慄を覚えた。


 1979年10月26日、ソウル特別市で朴正煕大統領が暗殺された。首謀者は国のナンバー2とも言われた中央情報部(KCIA)部長の金載圭で、襲撃犯として8名が起訴。その中に金載圭の随行秘書官であるパク・テジュ大佐(イ・ソンギュン)もいた。


 このパク・テジュの弁護を引き受けたのが主人公のチョン・インフ弁護士(チョ・ジョンソク)だ。パク・テジュは軍人のため、ただ一人軍法裁判にかけられる。軍法裁判には再審がなく、一度の判決で刑が確定する。そのためチョン・インフは公正な裁判を求めて闘うが、のちに軍事反乱を起こす巨大権力の中心である合同捜査団長チョン・サンドゥ(ユ・ジェミョン)によって裁判は不正に操られていくのだった……。


 主人公のチョン・インフは架空の弁護士。社会正義よりも「裁判は勝てばいい」とばかりに自分の利益を優先してきた俗物だ。その彼がパク・テジュの弁護を担当したことから、正当な裁判を希求する理性的良心に目覚める。人間の成長の物語を本筋の暗殺裁判に絡めてドラマチックに演出した脚本だ。


 パク・テジュは実際の被告だったパク・フンジュ大佐をモデルにしている。メガホンを取ったチュ・チャンミン監督はこう語っている。


「私自身もよく知らなかったパク・フンジュ大佐について資料調査をしていく中で、この人を一度は世の中に引きずり出さなければならないと思った」


 物語に登場するチャン・サンドゥは、あの全斗煥(チョンドファン)がモデルだ。この男こそ軍事クーデターで恐怖政治を敷き、光州事件(1980年)で韓国民衆の命を奪った極悪の独裁者。このチャン・サンドゥがチョン弁護士と世間話を始めるあたりから物語は緊張感を増していく。


「軍隊をどう考えているのか?」というチャン・サンドゥの質問には、相手の言葉尻をつかんで弾圧をちらつかせようという悪意が満ちている。こうしたやり取りが逆作用し、チョン弁護士の心に正義感を植え付けるという構図だ。



思うのは、歴史の真実を忘れてはならないということ

 チョン弁護士は自分が何をなすべきかに気づく。だが当の被告人パク・テジュは軍人の矜持を守ろうとし、それゆえ自分を不利に追いやる。この方針に異を唱えるチョン弁護士との対立も本作の見どころだ。法廷では「上官(金載圭)の命令に従った」と主張するパク・テジュを検察側が追いつめ、さらには内乱罪かどうかの議論に至る。


 紆余曲折を経て明るい光がきざしたところにクーデターが勃発。

不勉強な筆者はあのクーデターに軍法裁判の成り行きが関係していたことを初めて知った。それだけでも本作を見る価値がある。


 言うまでもないことだが、日本人は1945年の敗戦によってGHQから民主主義を与えられた。これに対して韓国は数多くの市民活動家が血を流して独裁政権から民主主義を勝ち取った。それゆえ独裁への揺り戻しに敏感だ。その好例が昨年の尹錫悦による非常戒厳事件だった。


 韓国の映画界も民主主義を重んじ、かつての暗黒時代を批判する作品を数多く生み出してきた。「KCIA 南山の部長たち」「1987、ある闘いの真実」「タクシー運転手 約束は海を越えて」「ソウルの春」などなど。未見の人は週末に本作とまとめて鑑賞してはいかがだろうか。


 話は横道にそれるが、朴正煕暗殺の2カ月後、韓国では全斗煥による軍事クーデターが勃発した。12月12日に全斗煥が動き始め、翌13日から韓国は再び暗黒時代となった。“ソウルの春”は軍部に蹂躙され、民主化を求める良心的な市民は絶望に追いやられた。


 その12月13日、日本ではテレビの「ザ・ベストテン」(TBS)に久保田早紀が初出演した。10月にリリースした「異邦人」が5位にランクインしたのだ。筆者もリアルタイムで番組を見て「久保田早紀は美人だなぁ」と感嘆したものだ。そんな平和なひとときに、韓国は地獄の初日を迎えていたことになる。


 この「大統領暗殺裁判――」から思うのは、歴史の真実を忘れてはならないということだ。韓国国民が民主化を求める中、理不尽な裁判が行われ、全斗煥をのさばらせてしまった。権力者は己れの欲望のためなら国民の命をいとも簡単に抹殺できる。こう考えながら東條英機が中野正剛を自殺に追いやった「中野正剛事件」(1943年)を思い出した。ことほどさように「重い映画」である。


(新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかで全国公開中/配給:ショウゲート)


(文=森田健司)


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