【あの人は今こうしている】
仁井谷正充さん
(人気ゲーム「ぷよぷよ」の生みの親/75歳)
1990年代、爆発的にヒットした落ちモノパズルゲーム「ぷよぷよ」。かわいいキャラクターやシンプルなルールが好評で、幅広い年齢の男女が楽しんだ。
◇ ◇ ◇
仁井谷さんに会ったのは、千葉県は松戸市の自宅兼会社。JR新松戸駅から徒歩10分強の2DKのアパートだ。
「ここに来て12、13年。1部屋が仕事部屋で、もう1部屋が寝室。ここに来るまであちこちを転々としてたんだけど、ここは家賃が5万円と安く、都心へのアクセスもいい。もっとも、月曜から木曜は朝10時から午後3時まで、部屋での仕事の様子を中継する“仕事ライブ”、金曜と土日曜は午後6時から11時までゲーム実況をしているので、この部屋からそんなに出ないんだけど」
仁井谷さん、まずはこう言った。部屋は遮光カーテンを二重にかけ日差しを避け、昼間も電気をつけて過ごし、エアコンの設定は28、29度という独特な生活を送っているが、見た目は元気そうだ。
■物欲はなく、あるのは“事業で成功したい”欲だけです
「健康に気をつけ、自炊していますから。ご飯に味噌汁、野菜、肉……調味料にも気をつけて作り、腹八分目を実践しています。カップ麺やインスタント食品なんてとんでもない。
ぜいたくはもう十分味わった、ということか。
「いえ、私は貧乏学生時代も、『ぷよぷよ』が売れて年収が1億円あったときも、破産後も、生活は基本、変わっていません。年収1億のときはラーメンを食べるためだけに北海道へ飛んだりしたこともありましたが、物欲や遊びたい気持ちはない。あるのは“事業で成功したい”欲だけ。だから、『ぷよぷよ』がヒットして多くの人に楽しんでもらえた経験はうれしい。それが破綻してしまい反省はありますが、後悔はありません」
事業欲は今も強い。
■会社は倒産し自己破産。警備員や介護アルバイトをしながらも「夢よ、もう一度」
創業した「コンパイル」が20年目の2002年に経営破綻し、自己破産したあとは、専門学校でプログラミングの講師や警備員などの職を転々としてきたが、16年、再起をかけて「コンパイル○(マル)」という新会社を立ち上げた。
「バイトしながら、ゲーム開発は続けていました。15年に地上波の番組に出演したのを機に任天堂とつながり、それで新会社をおこし、新作『にょきにょき たびだち編』を発売しました。
それでもへこたれず、介護施設などでアルバイトをしながら新作ゲーム開発に没頭。「コンパイル」の元社員の協力を得て、年内には9年ぶりに新作「ダブルタワー」をリリース予定だ。
「『ぷよぷよ』がもっていた限界を打破し、誰がいつ始めてもすぐに楽しめて、初心者も熟練者も一緒に遊べるゲームを作るのが、私の長年のテーマ。『ダブルタワー』は今、大人気の『スイカゲーム』の進化型。この春に開発費として500万円をクラウドファンディングで募集したら成功。私への期待が高まっている。500万円の開発費では足りず、11月の発売予定は後ろ倒しになりそうですが、『ダブルタワー』は9色で93面、ルーレットもあり、ダイナミックに楽しめるゲームになりますよ」
お金がずいぶんかかっているようだが、生活費はどうしているの?
「年金がありますから、月5万円稼げば十分。ここ数カ月は、『ダブルタワー』の体験版の販売などをウェブショップで行っていました。介護のアルバイトは、3年前にやめました。『ダブルタワー』の発売に合わせ、韓国で自叙伝を出すので、その原稿を書くためです」
仁井谷さんのファンはワールドワイドなんだそうだ。
39歳のとき結婚し、1年弱で離婚。以来、1人暮らしだが、右手の薬指には指輪がキラリと光る。
「家族は“ほぼ”ゼロ。深くは聞かないでください(笑)。孤独は感じません。むしろ60歳を過ぎたら、ストレスを感じる人付き合いは避けています。お気楽に生きたいんです」
聞けば聞くほど個性的な仁井谷さんだが、75歳になっても欲を失わず夢を追う生き方に拍手だ。
(取材・文=中野裕子)
▽仁井谷正充(にいたに・まさみつ) 1950年広島県生まれ。広島大学理学部中退後、82年、ゲームソフト開発会社「コンパイル」設立。91年、「ぷよぷよ」を開発し大ヒットさせたが、事業拡大路線が経営を圧迫し、2002年倒産。自己破産もした。16年、「コンパイル○」を設立し「にょきにょき たびだち編」を開発。