【特別寄稿】ザ・芸能界の裏側(前編)
7月30日に84歳で亡くなった芸能プロダクション、ケイダッシュの会長、川村龍夫の通夜が8月5日、文京区護国寺で行われた。堺正章、渡辺謙、高橋克典の他、内田有紀、小池栄子、そして清原和博ら2500人が駆けつけ、通夜では付き合いの深かった故・アントニオ猪木の入場曲「イノキボンバイエ」が流れ、周囲には参列者を待つ黒塗りの大型車が並んだ。
葬儀には、バーニングプロダクション会長・周防郁雄ら芸能界の人間たちの姿もあった。今月上梓した「ザ・芸能界 首領たちの告白」(講談社)で、周防はその主たる登場人物である。
ザ・芸能界の首領──実力者は、取材を受けることがほとんどない。彼らはスポットライトに当たる人たちを支えるという裏方の美学を貫いているからだ。彼らに関する伝聞情報、噂話は多い。しかし、実際に会って、そういった噂を確かめたことはほとんどない。その証左のひとつが、川村、そして周防の生い立ち、略歴などの情報が極めて限られていることだ。
周防はぼくの取材に対して、川村との関係をこう答えている。
「高校のときはバスケットボール部。川村さんはバスケットボール部のマネジャーだったのに、“おう、頑張れよ”なんて言って自分はボクシングの練習に行っちゃうんですよ。川村さんはほとんどボクシングに明け暮れていましたね」
プロレス、総合格闘技に注力した川村らしいエピソードだ。
「メリー喜多川と話をして移籍金を渡した」と教えてくれた
バーニングの名前が広く知られることになったのは、75年の郷ひろみの加入だ。業界では、周防が、郷をジャニーズ事務所から“強奪”したといわれている。ぼくの取材に周防は“実際は強奪ではない、ジャニーズ事務所のメリー喜多川と話をして移籍金を渡した”と教えてくれた。このことを明かしたのは初めてだという。
一方、川村は高校卒業後、立教大学に進む。やはり市川高校の同級生である歌手の鹿内孝のマネジャーとなり芸能界に入った。その後、田辺エージェンシーに入る。
川村の2つ年上、田辺エージェンシーの田辺昭知もまた、ぼくの本に出てくるザ・芸能界の首領──ドンである。
後に、川村は、川村企画、そしてケイダッシュを立ち上げた。川村は一時期、バーニングの株を持っていた。「あんまり(バーニングの)評判が悪いので危ないと思ったのか、手を引かれてしまった」と周防は笑う。ライバル関係であっても、テーブルの下では手を握る──外からうかがうことのできないのが“ザ・芸能界”の本質でもある。(後編につづく)
◇ ◇ ◇
▽田崎健太(たざき・けんた) 1968年京都市生まれ。小学館に入社し「週刊ポスト」編集部などを経て、99年退社、ノンフィクション作家に。著書に「真説・長州力 1951-2018」(集英社)、「電通とFIFA サッカーに群がる男たち」(光文社新書)、「真説・佐山サトル」(集英社インターナショナル)、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)などがある。8月27日に「ザ・芸能界 首領たちの告白」(講談社)を上梓。