【特別寄稿】ザ・芸能界の裏側(後編)


 先日亡くなった芸能プロダクション、ケイダッシュ会長の川村龍夫には、元テレビ朝日幹部で、テレビ朝日の天皇と呼ばれた皇達也に都内のホテルで話を聞いているときに出会ったことがある。


 芸能界を取材している、ぜひ、話を聞かせてほしいと挨拶すると、「(バーニングプロダクションの)周防(郁雄)はあなたの取材に応じたんでしょ、僕はいいよ」と笑っていなされた。

なるべく表に出ない、というのがザ・芸能界の首領たちの流儀でもある。


 そんな川村に強い影響を与えた、メンターとも言える存在が、田辺エージェンシーの田辺昭知だ。拙著「ザ・芸能界 首領たちの告白」(講談社)では田辺に話を聞いている。


 田辺は1938年に東京都で生まれている。15歳のとき、後にホリプロダクションを立ち上げる堀威夫がリーダーを務める「ワゴン・マスターズ」のボーヤがショービジネスの入り口だった。ボーヤとはバンドの下働きの若者のことだ。堀のバンドのドラマーを経て、ザ・スパイダースを結成。メンバーには、堺正章井上順、そしてかまやつひろしがいる。田辺はこのバンドとホリプロから独立、スパイダクション、そして田辺エージェンシーを立ち上げた。


 川村は京都大学経営管理大学院の講義で、田辺エージェンシーを〈日本の音楽事業所業界、芸能プロダクションやレコード会社などのあらゆる分野の人が集まって作った、最初の近代プロダクション〉と評している。長らく田辺エージェンシーの屋台骨となっているのは、タモリこと森田一義である。


 田辺は、ザ・芸能界で最も研ぎ澄ました言葉を持つ男である。

タレントのマネジメントでは“顔”が重要であることをこう表現した。


「田辺さん、アンタじゃなくてもいいよって言うと素っ気なくなってしまう。あなただから我慢するけど、他の人はそうはいかないよって。それが面白くてやっている。その極致が表現者ですよね。マネジメントもそれに似ている。実際は(タレントが)大したことがなくても、虚実皮膜を行き来させることで、華麗に見せる」


「虚実皮膜」とは近松門左衛門の言葉で、事実と虚構がせめぎ合う微妙な狭間に、芸術上の真実があるという意味だ。


「(芸能界は)全部、想像と空想と錯覚の世界なんだよ。俺たちは虚実、皮膜紙一重を泳いでいるわけだ」


 そのさじ加減は極めて属性が高く、一子相伝的であると田辺は考えていた。ぼくは今回、拙著を約9年間かけて執筆し、田辺の他、ホリプロの堀威夫、安室奈美恵を育てたライジングプロダクションの平哲夫と沖縄アクターズスクールのマキノ正幸、B'z、ZARD、BOØWYを見いだしたJポップの首領・ビーイング長戸大幸、そして元吉本興業会長の大崎洋。問いはなかなか尽きず、取材はいつも長時間となった。


 こうした男たちが、この世を去りつつある。

おどろおどろしく、人間くさい、ザ・芸能界は本当の終わりに近づいているのかもしれない。彼らの言葉を残せた幸運を噛みしめている。(おわり)


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▽田崎健太(たざき・けんた) 1968年京都市生まれ。小学館に入社し「週刊ポスト」編集部などを経て、99年退社、ノンフィクション作家に。著書に「真説・長州力 1951-2018」(集英社)、「電通とFIFA サッカーに群がる男たち」(光文社新書)、「真説・佐山サトル」(集英社インターナショナル)、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)などがある。8月27日に「ザ・芸能界 首領たちの告白」(講談社)を上梓。


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