【あの人は今こうしている】


 関口誠人さん(元C-C-B/60歳)


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 80年代後半、「Romanticが止まらない」「Lucky Chanceをもう一度」などのヒット曲を連発した5人組アイドルバンド「C-C-B」。リーダー渡辺英樹さん、ボーカルの笠浩二さんは残念ながら他界してしまったが、ギター兼ボーカルだった関口誠人さんは今どうしているのか。


■「5年前からまたソロとして、アコギ1本で歌っています」


「こんな頭だから、僕だとわからなかったんじゃないですか。髪が一部しか生えてこなくなったので、いっそサッパリしようと、4、5年前から剃っているんです」


 JR新宿駅から徒歩3分の喫茶店で会った関口さん、こう言った。ファッションもおとなしく、「C-C-B」時代の派手さと比べると、別人のようだ。


「派手なことは、もうじゅうぶんやったんで(笑)。でも、歌は続けていますよ。『Romanticが止まらない』が売れてから2年後に『C-C-B』を脱退しソロに。思うようには売れず、一時はラーメン店や音楽学校で働き音楽から離れましたが、5年前からまたソロとして、アコースティックギター1本で歌っています。『C-C-B』の歌もね。英樹も笠クンも早く亡くなり、もう再結成は望めない。せめて僕が歌うことで、ファンに喜んでもらえたら嬉しいです」


 東京・杉並のアコースティックライブバー「阿佐ヶ谷ハーネス」をホームに、神奈川・茅ヶ崎のカジュアルミュージックバー「Studio One」ほか全国のライブハウスで月3回歌っている。



酒をやめなきゃ「死ぬよ」と医者から説教されて…

「5年前までは仕事がうまくいかない現実から逃避し、毎日ウイスキーをボトル2、3本開けていたほど、朝から酒ばっかり。10年ほど前には、心筋梗塞で入院。

アルコール性肝炎にも。それでも酒をやめられず、5年前、『やめなきゃ死ぬよ』と1日に5人もの医者に代わる代わる説得され、ようやく目が覚めました。以来、一滴も飲まず、毎朝プールで50分、水中ウォーキングをしたら、体重が20キロ落ち、月1回の健康診断で糖尿も高血圧もなくなり、また音楽ができるようになりました」


 物心ついたときからやっていた“落書き”も再開。ペンで“グラフィティアート”を制作する。


「今は事務所に所属せずフリーなので、音楽も絵もXやインスタで情報発信し、絵の注文はDMで受けています。夜中にアイデアが浮かび、朝まで描いたり。音楽より絵のほうが、かけている時間も多いですね」


 充実している様子だ。6歳年下の整体師の夫人が支えている。


「十数年前、酒浸りになっている僕を心配したリーダーの英樹が、部屋に様子を見に来てくれたとき、たまたま一緒に来たのが今の嫁サン。『C-C-B』のファン? いや、リアルタイムでは聞いてないそうです。僕は病気もケガも多いので、『私は嫁なんだか、お母さんなんだか』と言いながら側にいてくれる。彼女以外は、伴侶として考えられません」



生家は東京・成城の歯科医、母親が「エホバの証人」の信者で…

 さて、東京・成城で歯科医の次男として生まれた関口さんだが、父親の早世を機にシングルマザーとなった母親が、新興宗教・エホバの証人に入れ込み、関口さんも信仰や布教を強制され、生活が一変。

3年前、安倍晋三元首相銃撃事件で宗教2世に関心が集まると、関口さんも「2世」を公表し注目された。


「教義や布教のために友人と自由に遊べず、高校にも行かせてもらえず、あげく教義に背いたと17歳のときに排斥(追放)されました。母の葬儀にさえ出られなかったんですよ。Twitter(現X)でその怒りをつぶやき公表したら、『自分も同じ境遇でした』と反響があり、こんなに大勢の人が苦しんでいたのかと驚きました。最近は、そういう人もライブに来てくれます」



年収6000万~7000万円の時代も

 小学生の頃からギターに親しみ、シンガーソングライターにあこがれ、中学卒業後、清掃人やカフェバー店員として働くうちレコード会社の人と知り合い、デビューのチャンスをつかんだ。


「売れて月給を上げてもらい、最後は年収6000万~7000万円。BMWを買ったり、夜の街で飲んだり、言葉巧みなお姉さんに吸い上げられたりして無くなりました(笑)。でも、そうしたことから学んだことも多く、悔やんではいませんよ」


 中野区内で夫人と2人暮らしだ。


(取材・文=中野裕子)


▽関口誠人(せきぐち・まこと)1959年東京・世田谷生まれ。83年、「ココナッツ・ボーイズ(後のC-C-B)」のギタリストとして、シングル「CANDY」でデビュー。87年に脱退しソロになり、ミュージシャンのほか俳優、小説家、画家として活動。


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