春といえば花粉症に悩まされる方も多いのではないでしょうか。日本人の4人に1人がかかっているといわれる花粉症は、まさに「国民病」。


江戸時代には花粉症がなかった!?江戸時代の国民病にはどんなも...の画像はこちら >>


スギやヒノキは昔から日本に多く存在しており、日光街道など往来の多い杉並木もあったことから、さぞ昔の御先祖様たちも苦しんでいたに違いない…と思ったら、実は花粉症は現代になって発症するようになったもの。このことはご存じの方も多いかもしれませんね。

実は花粉症の発症は現代医学でも「真の理由」は分かっていないとのこと。
花粉に対して体がアレルギー反応を起こすというメカニズムは判明していますが、「なぜ現代になってから人がアレルギー反応を起こすようになったのか」の決定打はないままだといいます。

また、俗にいうアレルゲンをたくさん接種すると発症するという「バケツ理論」は理論的には間違いだそうです。花粉症への対症療法として減感作療法がありますが、これは徐々にアレルゲンを摂取する療法なので、バケツ理論と相反します。
発症のタイミングは個人の閾値が関係しているようですが、どういうタイミングで免疫が作用するのかは、やはり謎のままです。

■江戸の流行り病気とは

本当に文献は残っていないのか? 気になった筆者も調べてみたところ、「日光街道の飛脚が鼻水とくしゃみで困った」というような話や川柳は見つけられませんでした。浮世絵にもくしゃみをしている人間はこれといって見当たりません。

ただ喘息はあったようで、『水戸黄門諸国漫遊記』では喘息で苦しむ人を南天の葉で治療する描写が記録されています。

では過去に一般的だった病気とは何でしょう?

江戸時代には花粉症がなかった!?江戸時代の国民病にはどんなものがあったのか?


病薬道戯競

江戸時代の病気と薬の番付表『病薬道戯競』では

  • 大関 疱瘡(ほうそう)…天然痘、胎毒(たいどく)…生まれつきの毒
  • 関脇 五疳(ごかん) …疳の虫、卒中(そっちゅう)…脳血管疾患
  • 小結 悪疾(あくしつ) …治りにくい病気、小結…風邪(かぜ)
と続き、前頭までざっと40種類ほど書いてあるのですが、上位にはアレルギーのような症状は書いてありませんでした。

大関に天然痘があるのが恐ろしいですね。
現代では撲滅されて本当に良かったと胸をなでおろす思いです。また、脳卒中や風邪など、現代と変わらないものが上位に。やはり風邪は万病のもとですね。

■日本の花粉症の変遷

戦後からすぐ花粉症が広まった気がしますが、戦後はブタクサのアレルギー患者の方が多かったとのこと。

ブタクサは、第二次世界大戦後に焼野原となった日本に緑を咲かせるためとして、アメリカ進駐軍からブタクサが持ち込まれました。しかし1961年にはブタクサによる花粉症が確認。
花粉症というもの自体が医学界で正式に認められるようになります。

高度成長期になり杉の植林が増えると、今度はスギ花粉のアレルギーが報告されるようになります。70年代になると植林したスギが一斉に花粉を飛散し、花粉症患者が激増したといわれています。

ちなみに筆者は花粉アレルギーではありませんが、登山中の経験からすると、アレルギー持ちの人でも登山中は症状がでないことが多いようです。真下に落下するものではなく、地面に落ちても土が吸着するからでしょうか。なんにせよ、急激な食生活の変化や化学物質など、複合的な要因があると思わざるを得ませんね。


花粉症の皆様おだいじに。

参考:花粉症対策サイト、くすりの博物館

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan