皆さんは、昭和の総理大臣で最も偉大だった人を挙げるとしたら、誰を選ぶでしょうか。私はやはり、吉田茂がまず一番最初に思い浮かびます。
大磯城山公園の吉田茂像
説明するまでもなく、吉田茂は第二次世界大戦後の世界で、アメリカから占領されていた日本を独立復帰へと導いた名宰相です。
日本復帰後の政治家としての姿はやや見るに堪えない部分もありますし、日米安保条約のもたらした功罪もありますが、当時の世界情勢の中でまんまと日本を独立復帰させた手腕は素晴らしいものでした。
さてそんな吉田茂ですが、実は歴代宰相の中で最もジョークが得意で毒舌家、そしてウイットに富んでいたと言われています。
例えば、占領軍が食糧放出を要請した際、彼は「450万トンの食糧輸入がないと、餓死者が出る」と農林省の統計に基づいて陳情しました。
ところが実際は70万トンでも何とかやっていけたため、統計の数字がデタラメだったことにマッカーサーが激怒します。

マッカーサー元帥像
しかしそんなマッカーサーに対して、吉田はケロッとして「わが国の統計が完備していたならば、あんな無謀な戦争はやらなかったでしょう」と答えたといいます。マッカーサーは笑って、それ以上責めませんでした。
マッカーサーと吉田は、占領下の日本の処遇について激しくやり合いましたが、奥底ではお互いに尊敬し合う間柄だったとされています。
■名ジョークの数々
吉田茂はとにかく名言やジョークが多く、以下でもいくつかご紹介しましょう。
政敵のひとりだった河野一郎の自宅が放火された時のセリフが「悪いことをして金を溜めた罰だ。私みたいに親の全財産を使い果たした者には、頼んでも誰も火をつけないだろう」。

河野一郎(Wikipediaより)
また選挙の際、高知市で代議士の応援に駆けつけて演説をした際、コートを着たまましぶしぶ演説していたので(彼は演説嫌いでした)、聴衆から「失礼だから外套を脱げ」と言われたのに対し「黙って聞け、外套を着てるからガイトウ演説と言うんだ」と言い返しています。
他にも、大正5年に寺内正毅内閣が発足した際、総理の寺内が旧知の仲の吉田に向かって、上機嫌で「どうだ、総理大臣の秘書官をやらないか」と誘うと、「私は首相なら務まると思いますが、秘書官はとても務まりません」と答えました。
あげく、「顔色がとてもいいですね。普段何を食べているのですか」と聞かれれば「人を食っています」と答えますし、晩年に心筋梗塞で倒れた際、娘から「やぁい、腰が抜けた」とからかわれた際は「腰が抜けたんじゃなくて、やっと腰がすわったんだ」と返しました。
■昭和の政治家たち
と、いくつか有名な例を挙げましたが、とにかく時代状況と照らし合わせながら、彼の性格や言動を見ていくと実に面白いです。
そういえば、冗談と言えば、吉田と政争で対立した鳩山派の三木武吉という政治家も忘れられません。
彼は選挙戦で「愛人を4人も囲うとは何事か」と対立候補から責められた際、「4人じゃない5人だ。身寄りのない彼女たちを捨てる不人情は私にはできない」と答えた伝説が残っています。
昭和という時代は、突出した人材がいたんだなと感心しますね。
参考資料
サライ.jp
e-論壇「百花斉放」
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan