井浦新が演じる藤原道隆
庶民の間に疫病(天然痘)が流行してもどこ吹く風、弟の藤原道長(柄本佑)が必死に訴えても聞き入れる気はありません。
どこまでも驕り高ぶる道隆でしたが、その身は病魔に侵されていました。安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)からも見放され、弟・藤原道兼(玉置玲央)に妻子らの保護を懇願します。
その一方で藤原詮子(吉田羊)や藤原定子(高畑充希)らは次の時代に向けて動き始めていました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」第17回放送は「うつろい」。まさに驕れる者久しからず、権力の座は道隆から移り行こうとしています。
それでは今週も、気になるトピックを振り返っていきましょう!
■飲水の病とは?
※文言は藤原実資『小右記』より
喉が渇いて異常に水を飲みたがるようになる飲水の病。
歴史上の偉人では源頼朝や織田信長などが知られています。別名を口渇病(くがち)とか消渇病(しょうかち)とも言いました。
飲水の病は他にも手足のしびれや目のかすみなど、末端神経を侵していきます。
悪化すると身体組織が壊死してしまい、現代でも手足の切断を余儀なくされる事例さえ少なくありません。
道隆の鬼気迫る様子が怪演されていましたが、実際はあれどころではなかったのでしょう。
精神の異常は飲水の病による精神障害なのか、あるいは死が間近に迫った恐怖ゆえかも知れませんね。
ちなみに道長も糖尿病が原因でなくなったとされています。
主人公のお相手役ですから、病魔に侵される様子がより凄惨に描かれるのでしょうか。
■まひろが読んでいた『荘子』と書いていた「胡蝶之夢」とは?
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道長らによる必死の看病が功を奏して、死の淵からはい戻ったまひろ(紫式部/吉高由里子)。
自宅で読んでいた『荘子(そうじ)』、そして書いていた「胡蝶之夢(こちょうのゆめ)」とは何でしょうか。
荘子(そうし)とは古代中国大陸の道家(どうか。
※なお著書について呼ぶ時は「そうじ」、著者名を呼ぶ時は「そうし」とするのが通例です。
まひろが書いていた「胡蝶之夢」とは、この『荘子』に出てくるエピソードの一つでした。
昔者莊周夢爲胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志與。……何だか寝起きの頭で話を聞いているような気分ですね。不知周也。俄然覺、則蘧蘧然周也。不知、周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與。周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
※『荘子』より
【意訳】昔に見た夢の話。荘周(荘子の実名)は一匹の蝶々になって、自由気ままに舞い遊んでいた。自分が荘周であるかなんて考えもしないほどの楽しさである。
目が覚めると、自分が人間の荘周であることを思い出した。
これは人間の自分が蝶々になった夢を見ていたのか、もしかしたら実は蝶々の自分が人間になっている夢を見ているだけかもしれない。
自分が人間なのか蝶々なのか分からなくなってしまったが、どちらかという区別はあるものだ。
だから何だ早く目を覚ませ、と切り捨てなる一方、何か考え込んでしまいそうな余韻も残ります。
単なる戯言なのか、それとも底知れぬ奥深さがあるのかも知れません。
道長との交情は夢だったのか、あるいは道長と一緒な自分が孤独な夢を見ているだけなのか……。
そんなことを思いながら、まひろは『荘子』を書写していたのかも知れませんね。
■伊周の妾・光子とは?
光子との逢瀬を楽しむ伊周(イメージ)
隆家「あっ、西洞院。前太政大臣、三の君だ」父・道隆の醜態を見るに見かねた藤原伊周(三浦翔平)。かと言って家に帰れば子供の夜泣きがうるさいとのこと。
伊周(無言でうなづく)
隆家「光子様。ハッ……それはまた……」
※NHK大河ドラマ「光る君へ」第17回放送「うつろい」より
面倒な育児は全部女性に丸投げ。いい感じに視聴者のヘイトを溜めていますね。
そこで逃げ込もうというのが、京極の女でも堀川の女でもなく、三の君でした。
西洞院(にしのとういん)に住む光子(みつこ)とは、前太政大臣・藤原為光女(ためみつのむすめ)です。
※光子は創作の役名。為「光」の娘(子)だから光子なのでしょう。
藤原為光は道長の叔父に当たるため、この光子は道長の従妹。藤原斉信(金田哲)の姉妹でもあります。
史料上の名前は寝殿上(しんでんのうえ)。三の君とも呼ばれました。
彼女の妹である四の君(しのきみ)は花山院(本郷奏多)の愛人で、そのことから後に大騒動(長徳の変)が勃発します。
今回は名前だけの登場でしたが、これから登場するかも知れませんね。
三の君について、その存在を頭の片隅に収めておいて損はないでしょう。
■正暦から長徳に改元
聖帝として名高い尭帝(画像:Wikipedia)
道隆の進言により、正暦(しょうりゃく)から長徳(ちょうとく)に改元されました。時に正暦6年(995年)2月のことです。
長徳という元号は、前漢末の文人・揚雄(よう ゆう。字は子雲)が記した『城門校尉箴(じょうもんこういしん)』にあるこの一節に由来します。
唐虞長徳、而四海永懐(とうぐとくながく、しこうしてしかいしたしむ)唐虞(とうぐ)とは古代中国の聖帝と伝わる尭帝(ぎょうてい。陶唐氏)と舜帝(しゅんてい。有虞氏)のこと。二人まとめて唐虞と呼びました。
※揚雄『城門校尉箴』より
つまり「古代の聖帝二人は徳を長らえた=徳の高い政治を行ったため、四海=天下万民はみんな仲良く平和に暮らせた」という意味ですね。
誠に結構な元号ですが、劇中にも語られた通り、長徳(ちやうとく)を長い毒と解釈した向きもおりました。
劇中では面白おかしく大真面目に発音していましたが、超!毒ではありませんから念の為。
■疫病に倒れゆく者たち
「誰だ、高貴な者は感染したいなどと言っていたのは!」うろたえる貴族たち(イメージ)
元号の毒ゆえかは分かりませんが、長徳元年(995年)は非常に多くの者たちが疫病に倒れました。
大納言・藤原朝光:3月20日没(45歳)
大納言・藤原済時:4月23日没(55歳)
右大臣・藤原道兼:5月8日没(35歳)
左大臣・源重信:5月8日没(74歳)
中納言・源保光:5月9日没(72歳)
中納言・源伊陟:5月22日没(58歳)
大納言・藤原道頼:6月11日没(25歳)……道隆の庶長子
道隆が病没したのが4月10日。その時点で第17回放送が終了したとすれば、内裏における疫病の地獄は次週のお楽しみです。
パンデミックに阿鼻叫喚の貴族たちが目に浮かびますね。誰ですか?「楽しみ」だなんて言っているのは……。
■5月5日(日)第18回放送「岐路」
儀同三司母「忘れじの行く末までは難ければ……」
忘れじの 行く末までは 難ければ高階貴子(儀同三司母。板谷由夏)が詠んだこの歌は、現代でも「小倉百人一首」として親しまれています。
今日を限りの 命ともがな
※『新古今和歌集』 第十三 恋歌三 儀同三司母
【意訳】「貴女を決して忘れない」なんて言ったって、どうせ忘れてしまうでしょう。なら私は貴男の言葉を聞いたこの瞬間に死にたい。
さて次週は道隆亡き後、次兄の道兼が関白に就任するのですが……後世に伝わる「七日関白」そして道長は岐路に立たされるのでした。
兄たちの死により、いよいよ権力の絶頂へと急上昇する道長。
数年前の約束を果たし、まひろとの関係はどうなるのか?これからも目が離せませんね!
トップ画像出典:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
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