■新選組「隊規」の実情

血気盛んな浪人たちをまとめるためにつくられた、新選組の「鉄の掟」として後世に伝わっているのが局注法度です。

局中法度は近藤勇と土方歳三によって定められたとされており、「士道二背牛間敷事」「局ヲ脱スルヲ不許」「勝手二金策致不可」「勝手ニ訴訟取扱不可」「私ノ闘争ヲ不許」のルールに違反すれば、切腹や粛清は免れられなかったと言われています。


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西調布西光寺の近藤勇像

こうした隊規を元に新撰組という組織は運営され、このルールを破ったために粛清された隊士は、新選組が成敗した志士の倍近くいたとされています。

しかし実際には、新選組はこれほど厳しく運営されたわけではありませんでした。

新選組に隊規が存在していたことは、隊士だった永倉新八が後年に回顧しています。しかしその内容は前述した五項目のうち四項目だけで、私闘禁止のルールは含まれていませんでした。

そもそも、永倉は隊規のことを禁令と呼んでおり「局中法度」という呼び名ではなかったようです。少なくとも、幕末期にそう呼ばれていたことを証明する史料は存在しません。


では、なぜ新選組の隊規は局中法度と呼ばれ、私闘禁止のルールが追加されたのでしょうか。



■虚実交えたフィクション

これは、今では答えがはっきりしています。新撰組の隊規が局中法度と呼ばれ、私闘禁止のルールが追加された形で語り継がれるようになった理由は、作家・子母澤寛の執筆した小説『新選組始末記』の影響です。

子母澤は昭和3年(1928)に出版したこの小説の中で、禁令を局中法度と名付け、本来は存在しなかった私闘禁止の項目を加えたのでした。

局中法度はフィクション!新選組の”鉄の掟”、実はそんなに厳しくなかった。隊規の実態を探る


フィクションの世界で子母澤がこうした変更を行ったのは、軍中法度という法規を参考にしたからだとされています。

軍中法度とは、禁門の変の後で、元治元年(1864)に新撰組内部で定められた戦時用の隊規のことで、ここに私闘禁止の条項が含まれているのです。


おそらく、子母澤はこの軍中法度を参考にして局中法度という名称を創作したのでしょう。そして小説の内容を面白くするために、ここに私闘禁止の条項も加えたのです。

そして目論見通りこの小説が大ヒットしたことで、局中法度の名前も世間に広く知られるようになったのでしょう。

まるきり作り話ではないものの、史実とフィクションが程よく混ぜ合わせられたことから、かえって真実味が増して後世にまことしやかに伝えられたんですね。



■「特別扱い」を原因とする没落

もちろん新撰組の隊規には厳しい条項もあるので、山南敬助や柴田彦三郎のように脱走ののち捉えられて切腹した者もいます。

しかし、ルールに違反した者が必ず処刑されたわけではありません。
切腹どころか、微罪や謹慎で済むことも少なくありませんでした。また厳しい処罰が決まっても、脱走に成功して刑を免れた者も多数いたのです。

新撰組としても、遠方に逃げられれば、わざわざ苦労して追跡しようとまでは考えていなかったのでしょう。

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壬生寺(京都府)

それに、脱走後に帰参を許された隊士もいました。その一人が、阿部十郎という人物です。最近、『るろうに剣心』で登場したことでも話題になりましたね。


彼は隊の結成初期からのメンバーでしたが、池田屋事件の直前に脱走し、その後は切腹となるはずでした。しかし土佐藩士らによる大坂城制圧計画を新選組と共同で防いだ功績を称えられて、特別に再入隊を許されています。

にもかかわらず、慶応3年(1867)3月に隊士の伊東甲子太郎が御陵衛士を組織すると、阿部も再び脱隊してこれに参加。御陵衛士が新選組に壊滅させられると、今度は薩長側に寝返って伏見で近藤勇を銃撃しました。

この時、近藤は肩を負傷して鳥羽伏見の戦いで指揮を採ることができなくなっています。隊規を厳しく適用して阿部を厳罰に処していれば、こんな事態も避けられたかも知れません。


こうして見ると、新撰組の隊規が「局中法度」と呼ばれて何人もの隊員が厳罰に処されたというのはフィクションに基づく伝説であり、実際にはそこまで厳しくなかったことが分かります。

また、それによって新撰組も没落していったのです。

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参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

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