……中ノ関白殿は四月日(原文ママ)十日うせ給ひぬ。……かく大臣公卿七八人、二三月の中にかきはらひたまふこと、希有なるしわざなり。政敵である甥の藤原伊周(三浦翔平)を追い抜き、藤原道長(柄本佑)がついに政界の頂点へ上り詰めました。それも只この入道殿(道長)の御幸の、上を極め給へるにこそ侍るめれ。……
※『大鏡』一 太政大臣道長より
【意訳】藤原道隆(井浦新)は4月10日に世を去った。その後2~3ヶ月の間に大臣や公卿ら7、8人が次々と死んでしまったのは、実に不思議なことである。これはひとえに道長の類まれなる強運ゆえであろう。
これで理想の政治ができる。
しかし今かける言葉はないとか何とか心中でつぶやきながら、まひろは無言で立ち去るのでした(いや、傍から見ると「じゃあ何であなたそこにいたの?」状態ですが……)。
NHK大河ドラマ「光る君へ」、今週も振り返って行きましょう!
■第18回放送「岐路」劇中の略年表
七日関白の短い春(イメージ)
長徳元年(995年)今回は道隆の死から道兼の死を経て道長に権力の座が譲られるまで、およそ2ヶ月の期間が描かれました。
4月10日 道隆が病死(前回終了)
4月27日 道兼が関白に。道長が左近衛大将を兼任
4月28日 道兼が藤原氏長者宣下
5月2日 道兼が慶賀を申す
5月5日 伊周が内覧を止められる
5月8日 道兼が死去
5月11日 道長に内覧宣下
5月25日 道兼に太政大臣/正一位が贈られる
6月19日 道長が右大臣に転任、藤原氏長者宣下
道長が藤原氏長者となったことにより、伊周ら中関白家との確執が本格化していきます。
道兼の関白在任期間が短いことから「七日関白」と呼ばれますが、実際の在任期間は12日間でした。
そして次の関白は義兄弟の伊周か、それとも叔父の道長か。
果たして一条天皇(塩野瑛久)の決断は、道長でした。内覧と右大臣を兼ねさせたのは、中宮の藤原定子(高畑充希)に対する心遣いでした。
この人事は母・東三条院こと藤原詮子(吉田羊)の強力な推薦があったためと言います。
劇中では「私心なくお上をお支えする道長を関白に」と言っていますが、どの口が?ですよね。
彼女はその後も何かにつけて国政に口を出し、かの藤原実資(秋山竜次)から批判されています。
(もちろん面と向かってではなく、日記『小右記』でです)
また道長も政権をほしいままにしていくのですが、主人公があまり悪役っぽいのも視聴者の共感を呼びません。
果たして今後、道長はどんな権力者として描かれるのでしょうか。
■帰って来た宣孝
宋との交易でひと儲け(イメージ)
筑前守(国司)の任期を終えて京都に帰ってきた藤原宣孝(佐々木蔵之介)。
大宰小弐も兼任して宋との交易でひと財産築いたようです。
まひろに酒を飲ませてみたり、舶来の紅を差させてみたり、この頃から妻として狙っていたのでしょうか。
この頃は右衛門権佐(うゑもんのごんのすけ。右衛門府の臨時次官)の官職と従五位上(じゅごいのじょう)の位階を得ており、中級貴族としての地位を着々と固めています。
未だ散位(さんに。位階のみで官職なし)であった藤原為時(岸谷五朗)の娘としては、決して悪い相手ではありません。
今回は接点が少なかったものの、今後も二人の関係がどのように育っていくのか楽しみですね。
劇中で宣孝が贈っていた傷薬や口紅も、今後のキーアイテムになるかも知れません。
■「素腹」と罵倒された定子だが……。
憤懣やるかたない伊周(イメージ)
叔母の詮子に関白就任を阻止されてしまった伊周は、一条天皇を籠絡し切れなかった定子を罵倒しました。
「皇子を産め……皇子を……」
普段は紳士的に振舞っていても、いざ思い通りにならないと逆上する人って始末に負えませんよね。
かつて亡き父・道隆が妄執にとらわれたように、伊周も見事な二の舞を演じていました。
ちなみに素腹(すばら。お腹の中に何もない≒子供が産めない不妊症の女性)と罵倒されていた定子ですが、その後ちゃんと皇女や皇子を産んでいます。
もちろんたとえ生涯子供を産まなかったとしても、定子の人格が否定される筋合いはありません。
【定子と一条天皇の子供たち】
長徳2年(996年)……第一皇女・脩子(しゅうし/ながこ)内親王
長保元年(999年)……第一皇子・敦康(あつやす)親王
長保2年(1000年)……第二皇女・媄子(びし/よしこ)内親王
今後この子たちが登場するのか、またどのように描かれるのか、今後の展開を楽しみにしています。
■さわ、筑紫へ
筑紫へ旅立つ(イメージ)
以前にさわ(野村麻純)が平惟将(これまさ)の娘であろうという話をしました。
父の肥前守赴任にともない、彼女も京都を離れることになります。
彼女は姉妹同然に交流していた紫式部に対して、遠く離れる寂しさを詠んだのでした。
西の海を 思ひやりつつ 月みれば九州でも京都でも、見上げる月はきっと同じ。そう思って月を見上げても、どうしても悲しさが堪えきれないのでしょう。
ただに泣かるる 頃にもあるかな
※『紫式部集』より (六)筑紫へいくひとのむすめの
【意訳】この頃は、遠く九州へ離れていくのだと思いながら月を見上げると、無性に泣いてしまうのです。
彼女の胸中を察した紫式部は、こんな返歌を贈ります。
西へゆく 月のたよりに 玉章(たまづさ)の果たして本当に毎月手紙を書いたのかは分かりませんが、結局はこれが永の別れとなってしまったのでした。
書き絶えめやは 雲の通ひ路
※『紫式部集』より (七)返し
【意訳】九州へ行っても、あなたに毎月お便りしますからね。決して書き絶やすようなことはしません。空を通う雲に乗せて届けます。
劇中ではその場面が描かれるのか、あるいはいつの間にかフェイドアウトするのか、今後も注目です。
※余談ながら、公式サイトの人物相関図において、さわを「市井の人々」にカテゴライズするのは身分的にちょっと違うのではないでしょうか?別に支障ないからいいのですが。
■第19回放送「放たれた矢」
伊周を追い落としていく道長(イメージ)
道長の右大臣昇進により、内大臣にとどめられた伊周。定子に逆ギレするなど、見事に荒れ始めました。
何もかも思い通りにならない伊周は妾である光子(三の君。寝殿の上)に癒しを求めます。
しかし彼女の館に花山院(本郷奏多)が出入りしているという噂を耳にしてしまい、伊周は弟の隆家(竜星涼)に相談するのでした。
予告編の映像から次週放送「放たれた矢」では、後世に伝わる「長徳の変(長徳2・996年)」が繰り広げられるのではないでしょうか。
伊周・隆家兄弟は一気に没落し、定子の地位も危うくなっていきます。
一方で政敵を追い落として権力を磐石のものとしていく道長。そしてまひろとの関係はどうなっていくのでしょうか。
次週も注目したいですね!
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