ザ・ドリフターズの仲本工事さん(享年81)が交通事故による急性硬膜下血腫で逝去して3週間。しかし、内縁の妻・三代純歌(54)のスキャンダルが後を絶たない。

「仲本さんの告別式では、純歌さんと彼女の友人男性数人が遺体をスマホで執拗に撮影していたと複数の週刊誌が報じています。さらに、11月2日発売の『週刊文春』では仲本夫妻が経営するカラオケスナックの客だったという男性が、純歌さんと不貞関係にあったことを告発していました」(芸能関係者)

いまだ止まない純歌への批判。そんななか、声を上げる人がいた。

「純歌さんの一連の報道には正直、『ほら、やっぱり』って思ってしまいましたね……。

純歌さんと結婚する前から仲本さんがパチンコをするなんて聞いたことはないですし、舞台の合間にパチンコに行くところも見たことがないので、夫婦の“パチンコYouTube”には驚きました」

こう語るのは、仲本さんと25年来の知人である女性・Aさん。連日のようにスキャンダルが報じられる純歌に、憤りを隠せないという(以下、カッコ内はAさん)。

■「デュエットCDを出したんだよ」

仕事がきっかけで仲本さんと知り合ったというAさん。当時、勤めていた会社の社長が仲本さんと付き合いがあったことから、Aさんも親交を深めることに。

「東京出張の際に、渋谷・センター街にあった仲本さんの居酒屋『名なし』に連れて行ってもらったのが最初でした。そうしたら、あるとき仲本さんから仕事のお誘いで私に電話があったんです。

それ以降、出張のたびに会社の社長と一緒に仲本さんの楽屋を訪問したり、知り合いを連れて個人的に訪問したりするようになりました。ですから、楽屋などにはたびたびうかがわせていただいていたんです。

また仲本さんが1カ月ほど大阪で舞台出演されたこともあったのですが、そのときには上演期間中にお食事に行ったり、オフの日に水族館に行ってみたり。そんなふうに、気楽な感じで交流を続けていました」

Aさんによると、当時の仲本さんは結婚2度目の時期だったという。仲本さんは’91年に一般女性と再婚。1男2女の父となったが、’04年に離婚している。

「その頃はお子さんたちもまだ小さかったので、仲本さんはお子さんから電話があると、いつも『あれ攻略できたのか?』などとゲームの話を長々と楽しそうに話していましたよ。離婚してしまったので夫婦のことはわかりませんけど、お子さんのことはいつも気にはかけていましたね」

そんなAさんが純歌の存在を知ったのは、仲本さんから「デュエットCDを出したんだよ」と連絡をもらったことだった。それからしばらくたった2012年、2人の結婚報道が浮上。

Aさんはお祝いの言葉を伝えるべく、仲本さんに会いに行ったという。

「たまたま大阪で仲本さんの舞台公演があったんですよ。私は仲本さんのことを“社長”と呼んでしまうんですけど、『社長、来てるのね』と思って。ささやかな結婚祝いと差し入れのお菓子を買って、楽屋を訪れたんです」

■「扉を開けるやいなや純歌さんのものすごい圧を感じて……」

ところが、純歌の態度に圧倒されてしまったようで……。Aさんは純歌との初対面をこう振り返る。

「いままでも連絡せず楽屋に行くことがありました。なのでその時も直接、楽屋に行ったんです。当時の仲本さんは舞台出演が多かったんですね。いつもと同じように気楽な感じで楽屋に行ったんですが、扉を開けるやいなや純歌さんのものすごい圧を感じて……。空気感が全然違いましたね。それまでは本当に気楽だったのに、純歌さんがもの凄い形相で構えた感じで座られていて、私を見て『誰?』みたいなするどい視線を感じました。あの居づらさといったら、『いままでと違う』という雰囲気でしたね……」

衣装のような服装にメイクもバッチリだったという純歌。Aさんはこう続ける。

「仲本さんも純歌さんに気を使っているのか、少しよそよそしかったですね。でも仕事関係の共通の話題で、『あの人こうなんだってね』『どうしてるのかな』などと話しをしました。その後に『この度はご結婚おめでとうございます』と追ってお祝いを渡したら、純歌さんも少し警戒心が解けたのかあいさつ程度の会話をしました。普段だったら舞台も見て帰るんですけど、そのときは純歌さんに圧倒されてそのまま帰ってしまいました」

■「あとはね、なるようにしかならないよ」

そうした騒動もあり、しばらくは疎遠になっていたというAさん。

しかし今年5月に本誌が報じた夫妻の別居を知って、「さすがに、どういうこと?」と心配になって連絡をとることに。仲本さんと電話で10分ほど話したという。

「10年ぶりだったんで、たわいもない話しかしませんでした。『奥さんが』『報道を見て』とか言うのは悪いと思ったので、『社長、大丈夫?』って聞いたんです。すると、『うん、仕事は順調なんだけどね……。あとはね、なるようにしかならないよ……』って言ったんです。それが最後の言葉でしたね。声は『なんか諦めてるのかな?』という感じで、決して幸せそうな声ではなかったですね。まさかこんなことになるとは……」

純歌が横浜にカレー店を開き、別居生活を送ることとなった仲本さん。本誌の取材に「俺、毎日そっちに行ってるんだから」と、都内から横浜に通っていることを明かしていた。不運なことに、仲本さんが交通事故に遭った場所は純歌の店からわずか100mと目と鼻の先だったという。最後にAさんは、純歌に向けてこうメッセージを送る。

「優しかった仲本さんが今回、このようなかたちで亡くなられたことは残念でたまりません。純歌さんに言いたいのは、仲本さんはあなたの旦那さんである前に日本の宝だった。そんな人をぞんざいに扱っていたのであれば、私はあなたを絶対に許さない。最後に、仲本工事さんのご冥福をお祈りします」

波紋が広がり続ける妻を、天国の仲本さんはどのように見ているだろうか。

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