《笠置さんほどの激動の人生を生きているわけではないですが、その生涯に自分を重ねる部分もあります》(「スポーツニッポン」’23年9月29日付のインタビュー)
10月2日、’23年度後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』が放送開始した。ヒロインの花田鈴子役は趣里(33)が務めている。
「主人公・鈴子のモデルは戦後の歌手で“ブギの女王”と呼ばれた笠置シヅ子さん(享年70)です。笠置さんは激動の時代にさまざまな苦難を乗り越え、歌と踊りで人々を楽しませた女性でした。
恋人と死別し、シングルマザーとして子育てしながら活動しており、時には乳飲み子を抱えて舞台に出演したこともあったとか。趣里さんはそんな波乱の生涯を送った笠置さんと、自分の半生を重ね合わせているのでしょうか」(スポーツ紙記者)
趣里は父・水谷豊(71)、母・伊藤蘭(68)という芸能一家に生を受けたが、朝ドラヒロインになるまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。
「4歳からクラシックバレエを始めた趣里さんは、めきめき頭角を現しました。中学卒業後にはロンドンの名門バレエ学校へ留学することになり、『この道で生きていく』と決心していたそうです」(演劇関係者)
留学中は寮で暮らしていたという。慣れない海外生活での苦労を趣里はこう語っている。
《最初はホームシックになりました。毎日電話してしまって、国際電話だから金額がすごいことになっちゃいました(笑)。(中略)レッスンもハードでしたし、加えて午前中が学科で、数学などの授業を受けていました》(『週刊朝日』)’20年9月18日号)
プロを目指して、バレエ漬けの毎日を送る趣里に悲劇が襲った。
「アキレス腱断裂、足首剥離骨折という大けがで、帰国を余儀なくされたのです。日本に戻ってきてからは一般受験で大学の文化部芸術学科に合格し、大学に通いながらリハビリを続けていたそうです。
趣里はそのときの心境をこう振り返っている。
《これからどうしたらいいのだろうか? という絶望しかなく、死んだ方がましだと思っていました。極限の精神状態でしたね》(「スポーツニッポン」’16年10月15日付)
夢破れ、絶望する彼女は家で塞ぎ込んでしまったという。
「将来への不安と、『自分のやりたいことを応援してくれて、留学までさせてくれた両親に申し訳ない』という気持ちで、一時はひきこもりのようになってしまい……。ただ、両親は一切責めることなく、『趣里らしく生きてほしい』と励まし続け、彼女はそれに救われて次第に元気を取り戻していったそうです」(前出・演劇関係者)
自分らしく生きる道を模索していると、新たな目標が見つかった。
「大学で演劇の歴史や身体表現を学びながら、演技学校にも通い始めたそうです。そこで演技の面白さに目覚め、女優を志すことを決めたのです」(前出・演劇関係者)
大学在学中の’11年には、『3年B組金八先生ファイナル』(TBS系)で女優デビューを果たす。
「ドラマ出演こそしたものの、あくまで彼女は駆け出しの売れない女優で、主戦場は観客が100人も入らないような小劇場でした。無名の俳優に囲まれて場数を踏みながら、ときどき端役で映像作品に出るなどして、演技力を磨いていたそうです。収入も少ないため、食事はファストフード、買い物はフリマサイトや100均を利用して出費を抑えていたとか」(制作関係者)
’13年、女優として雌伏の時を過ごす趣里に事件が起きた。
「趣里さんにイケメン俳優の恋人ができ、彼の家で“半同棲”状態であることが報じられました。しかし、その恋人が当時、出演していた舞台を“寝坊”で中止させてしまったことで大騒ぎに。
その後、趣里は所属事務所を退所し、一時はフリーランスに。長い下積み時代が続いていたが、ある信条だけは曲げなかったという。
「彼女は両親ともに大物なので、“親の七光”ならぬ“十四光”女優ですが、親の名前には一切頼らないと誓っていたそうです。何年かかっても自分の実力だけで売れてみせるという覚悟があって、二世女優としては珍しいタイプだなと感じました」(前出・演劇関係者)
趣里は有言実行で’16年に『とと姉ちゃん』(NHK)で注目を集めた。しかし、彼女の女優としての目標はその先にあったという。
「『朝ドラの主演を張る』と常々口にしていたそうです。その姿を両親に見せることで、どん底だった自分を救ってくれた2人への恩返しになると考えていたようです。実際、彼女は出演した『とと姉ちゃん』を含めて朝ドラの主演オーディションを過去3度受け、落ちています。今回の『ブギウギ』が“四度目の正直”となりました」(前出・制作関係者)
悲願だった朝ドラヒロインの座をつかみ取った趣里。9月8日に行われた『ブギウギ』の完成試写会ではこう語っている。
「やっぱり、いろいろあるじゃないですか。
壮絶な半生を送った彼女が演じる“ブギの女王”の激動人生。正真正銘、迫真の演技になるはずだ。