「愛子さま!」

沿道に集まっていた人々の呼びかけに、車の中で笑顔を見せて手を振られた愛子さま。4月11日、学習院大学卒業と日本赤十字社(以下、日赤)への入社を上皇ご夫妻へ報告されるために、仙洞御所を訪問された。

愛子さまを一目見ようと待っていた80代の女性はこう語る。

「愛子さまをずっと応援してきましたけれど、最近はさらに愛らしくなられましたね。すべてが好きなのですが、特に笑顔が最高です」

愛子さまは4月1日に日赤に入社されて以来、多忙な日々を送られている。

「入社後の2週間で日赤をお休みになったのは、土日を除けば仙洞御所を訪問された日のみと聞いています。4月10日に明治神宮を参拝された後、日赤に出社されたことには驚きました。4月14日の日曜日には、宮内庁楽部で春季雅楽演奏会も鑑賞されています。

皇族としても、そして社会人としても全力を尽くそうとされているお姿に心を打たれます」(皇室担当記者)

昭憲皇太后没後110年にあたり明治神宮を参拝された際には、オフホワイトのロングドレスをお召しに。春の日差しを浴びながら歩かれるご様子にSNSでは“神々しい”“光り輝いている”といった声も上がっていた。

愛子さまにとって、明治天皇の后・昭憲皇太后は5世代前のご先祖にあたる。

「昭憲皇太后は“博愛の人”として知られています。日赤が前身の博愛社だったころから支援していたのです。そして1887年、明治天皇と昭憲皇太后が皇室の保護のもとに運営する意思を示され、名称は『日本赤十字社』とあらためられました。

1912年には、赤十字国際会議に際し、10万円(現在の3億5千万円相当)を寄付。その寄付金をもとに『昭憲皇太后基金』が創設されたのです。当時、赤十字は戦時救護活動がメインでしたが、自然災害や疾病予防のための基金設立は画期的なことでした。

いわば“日赤の母”ともいうべき存在です。愛子さまもご参拝当日には、運命的な絆をかみしめられたことでしょう」(前出・皇室担当記者)

■昭憲皇太后と愛子さまの共通点

静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、昭憲皇太后と愛子さまの共通点についてこう語る。

「恵まれない環境にある人々に心を寄せ、支援の手を差しのべていた昭憲皇太后、そして幼少のころより弱者への思いやりを示されてきた愛子さま。

110年のときをへて、日赤という歴史のある組織を介してお二人の信念が結びついたことに、深いご縁を感じました。

昭憲皇太后は、女性の社会的地位が低かった時代に、女性の自立や地位向上のために努力されました。愛子さまも『さまざまな困難を抱えている方の力になれる仕事ができれば』と、日赤就職を決断されたそうです。ポジティブに自分で努力しようとするご姿勢は、お二人に共通していると思います」

愛子さまは、成年になられての会見で《小さい頃から人見知りのところがございます》と、おっしゃっていたが、いまはそのようなご様子は見られない。

そのご成長について、長年皇室番組に携わってきた放送作家、つげのり子さんは次のように語る。

「ある時期から皇室の一員としてのご自分の運命を受け入れられたのだと思います。

その時期とは、コロナ禍で通学できなかった大学の3年間ではないでしょうか。

当時は天皇皇后両陛下も外出をともなうご公務を控えざるをえなかったこともあり、御所で3人で語り合われる機会も多かったと思います。両陛下が“国民に寄り添うために何ができるのか”というお話をされているとき、愛子さまもうかがわれていたのでしょう。

私も含めて多くの人たちが、愛子さまが大学ご卒業後は、大学院に進まれるか、海外へ留学されると予想していました。それにもかかわらず、日赤ご就職を選ばれたのは、両陛下のお話をうかがうなかで、“自分も国民の役に立つ人間になりたい”という思いをいっそう強められたのだと思います」

いま皇室は岐路に直面している。宮内庁関係者はこう話す。

「4月9日、額賀福志郎衆議院議長は安定的な皇位継承に関する与野党協議を5月の大型連休前後に始める意向を示しました。早ければ6月中には改正案が可決されます。女性皇族が婚姻後も皇籍を維持するという案に、反対する声はないようです。

ご結婚後も愛子さまが皇室に残り、両陛下を支えられることは国民にとって喜ばしいことです。いっぽうで愛子さまと結婚する男性は、宮中晩餐など公の場に出席することになります。“準皇族”ともいえる立場ですから、国民からは“品格のある男性を”といった声も上がるでしょう。

必然的に愛子さまのお相手選びのハードルも高くなってしまうのです」

しかし、将来が不透明さを増している状況にもかかわらず、愛子さまは透き通るような笑顔をお見せになっている。

「それはどんな運命が待っていようとも、“自分で未来を切り開く”覚悟を決められているからではないでしょうか。明治神宮では昭憲皇太后にも、そう誓われたことでしょう」(前出・宮内庁関係者)

昭憲皇太后没後120年を迎えるとき、愛子さまは32歳。さらに輝きを増されているに違いない。