服を捨てたことを後悔している話があちらこちらで
「服を捨てなければよかった」というセリフを最近、聞くようになりました。どんな状態の服を捨てたのかはわかりません。捨てることが流行りだしたのはいつごろからでしょうか。かなり昔からあったとは思いますが、服に関して「捨てるべき」と強く言われ始めたのは、2010年以降、いろいろな片付け本が出てからではないかと思います。それ以前の捨てる対象は主にガラクタであり、まだ着られる服までも捨てるようになったのは、この10年ぐらいのことでしょう。
もちろん服もモノなので、永久に使えるわけではありません。
しかし、着用や洗濯の回数が少ないコートやジャケット、たまにしか着ないワンピースなどはそれほど傷みません。1年、2年で着られなくなるということは、よほどなことがない限りないでしょう。捨てて後悔している服とは、まだ着られるにもかかわらず捨ててしまったものだと推測できます。
さて、古い服は、ただ古いというだけでもう着られないのでしょうか。
ブランドアイテムはもちろん他の古い服でも十分に着られる
昨年、ディオール、そしてサンローランと戦後のファッションを代表するメゾンの大規模な展覧会が開催されました。両方見に行きましたが、どちらも今もそのまま着られる服ばかりでした。これらを古いからという理由で捨てると言う人がいたら、皆喜んでもらっていくでしょう。もちろんディオールもサンローランもラグジュアリーブランドですから、高価なものです。では、もっと安価なものであったら、古いという理由で着られないのでしょうか。
そんなことはないでしょう。
90年代では通勤着としてヘルムート・ラングを着用
私が今でもたまに着るこのテイラード・ジャケットは、90年代のヘルムート・ラングのもの。90年代の半ば、友達が日本でヘルムート・ラングを扱う会社に勤めていて、その会社のファミリーセールでよく買っていたので、私のワードローブの半分はヘルムート・ラングでした。斬新(ざんしん)ではあるけれども、日常的にも十分に着られるものばかりだったので、私はもっぱら通勤着としてヘルムート・ラングを着用。背中がシースルーでタトゥープリントが入ったベストや、前ボタンが全部違うグリーンのカーディガン、ニット素材とシースルー素材が重なったミニマムなワンピースに、ヘルムート・ラングのジャケットやコートを羽織って小田急線に乗って通勤していました。
今考えたら、なんと贅沢(ぜいたく)なことだろうと思いますが、90年代、服作りの現場で働く若者は皆こんな感じで、さして珍しいことではありませんでした。
デザイン、クオリティともいいものを選べば、長く着られる見本のようなジャケットです。
服を1年や2年で捨てるべきだとデザイナーが言うのは聞いたことがない
さて、私は2010年から自分のブログでおしゃれに関するコラムを書き、また「ファッション・レッスン」というオリジナルのサービスを提供していますが、当初から服は長く着ようと言い続けています。そして、サイズアウト、または飽きたという理由で着なくなった服は捨てるのではなく、誰かにあげるか、どこかで売るようにアドバイスしています。私と同じように服作りを学んだ人たちは皆、服を1年や2年で捨てるべきだとは考えていないでしょう。そんなことをデザイナーが言うのは聞いたことがありませんし、私がおしゃれだなと思う人たちも、古い服を大事に着たり、セカンドハンドを取り入れる人ばかりです。
今後悔しているのは、捨てなかったことではなく、捨てたこと
合わせるインナーも買ったので、コレクションで発表されたものと全く同じルックを持っていました。あれをギャバジンが光ったぐらいで捨てなければよかった。
将来的にヨウジヤマモト展があったら、飾られたかもしれないルックです。私は今、捨てなかったことではなく、捨てたことを後悔しているのです。
<文/小林直子>
【小林直子】
ファッション・ブロガー。大手ブランドのパターンナー、大手アパレルの企画室を経て独立。現在、ファッション・レッスンなどの開催や、ブログ『誰も教えてくれなかったおしゃれのルール』などで活躍中。著書『わたし史上最高のおしゃれになる!』など。