幾田りらは『竜とそばかすの姫』での声の演技も高い評価を得ていたが、あのは今回が声優初挑戦。あのは個性的なキャラクターをしていることもあり、そのキャスティングや演技に不安を覚えている人もいるかもしれない。
しかし、実際に映画作品を見ると、その不安が消し飛ぶのは間違いない。原作漫画の作者・浅野いにおが完成披露試写会で「オーディションでのあのちゃんのテストで現場の雰囲気が一変した」と語っていたことに納得できる、他の本業声優たちとなんら遜色がない神がかり的な表現力を見せていたのだ。
さらには、今回の劇中の役は、(もちろん偶然ではあるのだろうが)あのという本人のキャラクター、あのが現実で経験した過去の出来事にもリンクしているように思えた。その理由を記していこう。
※以下、物語上の重要な場面の描写を避けつつ、一部内容に触れています。
本人のキャラクターと見事にシンクロする役柄
そのキャラクターがさらに注目を集めたのは、『水曜日のダウンタウン』の2021年の企画。『ラヴィット』に出演中のあのは、じつは人気芸人たちから「遠隔操作」されて大喜利に答えている。、その答えの独特のセンスや上手さに、司会の麒麟・川島明が感心したり引いてしまう様が大きく話題になっていたりもした。
そんなあののキャラクターは、今回の『デデデデ 前章』の主人公の1人、中川凰蘭(おうらん)という女の子の性格と絶妙にシンクロしている。映画冒頭から「手も足も出ないならおっぱい出せ」と言ったり、口ぐせ(?)が「はにゃにゃフワ~~~ッ」だったり、言動それぞれがストレートに不思議ちゃんなのだから。さらには、その一人称が「ぼく」であることも、くしくも“ぼくっ子”であるあのと一致していた。
しかし、この凰蘭はただ変な子というだけでなく、友達思いの良い子でもある。とてつもなく悲しい事実を知り、無理にでも明るく振る舞おうとしている場面もあって、ついには抑えられずに感情を荒げてしまったりもする。その時の演技に感動があるのは、バラエティ番組などでのトークで培われた(はたまたもともと持っていた)「共感を呼ぶ力」があるからではないか。
主題歌でのデスボイスや歌詞のギャップも生かされている
テレビアニメ『チェンソーマン』のエンディングテーマとなったano名義の『ちゅ、多様性。』は累計ストリーミング1億再生を突破している。
そんなあのはライブのステージで、客席にダイブしたり、さらに客の上を歩きながら歌うといった派手なパフォーマンスもしているそうで、普段のマイペースなキャラクターとのギャップがある。また、いわゆる「シャウト」「デスボイス」を使うのも好きで、今回の『デデデデ 前章』の主題歌「絶絶絶対聖域」では、それを幾多りらにさせて“ワル幾田りら”を引き出したのだそうだ。
その「絶絶絶対聖域」の作詞を手がけたのも、あの(作曲はTK)だ。
いじめに遭遇した経験を語ったことも
あのは、『あちこちオードリー』で中学生時代にカッターナイフで攻撃されるなど過激化していくいじめに遭遇し、ある時に腕を掴んで「それやめないと、おまえの席がなくなるからな!」と一喝していじめをやめさせた経験を語っていたこともある。
さらに、あのは『あのちゃんの電電電波♪赤裸々電電人生ゲーム』で中学生時代の「クラスの全部の机をバーンとやって(ひっくり返して)、荒らしに荒らしまくった」「学校じゅうの先生が集まってきて、廊下の端から端まで、胸ぐらをグッてつかまれて『お前なんか学校来るんじゃねえ!』と言われた」「スクールバッグも隠された」と、壮絶な出来事を語っていた。
壮絶な経験をした「かつての自分」を心配するような構成
そして、とある苛烈な事態を経て、凰蘭は、まさに「机をひっくり返す」ほどに「暴走」をする門出を心配し、涙を流しながらも名前を呼び、切実に「止めようとする」立場にもなるのだ。
つまり、あの自身の「子ども時代にいじめを経験した」「荒れに荒れて机をひっくり返した」経験が、映画『デデデデ 前章』の主人公2人の関係にもシンクロしていて、「親友の立場(あのが声をあてている凰蘭)からかつての自分(過去のあののように暴走してしまった門出)を心から心配している」ような構造があると思えたのだ。
さらには、あのと幾多りらそれぞれが、高校生時代とは違う「子どもらしい演技と声質」になっていたことも凄まじい。終盤のとある場面での、絶望をにじませた幾多りらと、その心情をすべて汲み取り感情を爆発させたようなあのの演技に、落涙せざるを得なかったのだ。
ぜひ劇場で見届けて、5月24日公開の『後章』を心待ちにしてほしい。
<文/ヒナタカ>
【ヒナタカ】
「女子SPA!」のほか「日刊サイゾー」「cinemas PLUS」「ねとらぼ」などで映画紹介記事を執筆中の映画ライター。