元TBSアナウンサーで画家の伊東 楓さん(33歳)が、凱旋個展『伊東 楓 展 “The Blue Within” supported by サントリー ジャパニーズクラフトジン 六』を、東急プラザ原宿「ハラカド」にて開催します。

一瞬「死ぬほうがラク?」と…33歳・元TBSアナが明かす、ド...の画像はこちら >>
 伊東さんは、2021年にTBSを退社して、ドイツに移住して創作に没頭。
現地でドイツでUNIQLOやUGGなどとコラボレーションするなど画家として活躍の場を広げていますが、その道のりは過酷だったと述懐。
 
 前・後編のインタビュー前編では、東急プラザ原宿「ハラカド」での今回の個展、そしてドイツ移住後の生活についてうかがいました。

画家として5年。今回の個展で表現したかった「内なる青」

――今回の凱旋個展ですが、何回目の開催になりますか?

伊東楓(以下、伊東):4回目になります。画家としては満5年です。2021年の2月末にTBSを円満退社して、その年の3月に光文社さんから初絵詩集を出した後の原画展が、わたしの初個展でした。それが終わってその年にドイツに移住して、ドイツでも5年が経ちました。個展は毎回テーマが違い、今回の個展 “The Blue Within”は「内にある青」という意味です。

――テーマには、どういう意味が込められているのでしょうか?

伊東:もともと作品に青が多いと言われているのですが、今回は特に青に強く惹かれている自分がいました。たまに自分のことを水のようなマテリアルだなと思うことがあって、水って青いですよね。空を見ることも好きで、情熱もあるほう。火は青いほうが熱いですし、青はいろいろな意味で現時点の自分を表す色だなと。
自分の内なる青を表現したかったんです。

「嫌われないこと、平均点を求められる」アナウンサー時代の違和感

一瞬「死ぬほうがラク?」と…33歳・元TBSアナが明かす、ドイツ移住後の“暗黒の2年間”
伊東楓さん
――創作や画家への想いは、TBSでアナウンサーをされていた5年間に生まれたのでしょうか?

伊東:
そうですね。もちろんアナウンサーはいい仕事でしたが、ニュースは、代弁者でなければならないんですよね。誰かが書いたものをきれいに正確に伝える職業だったので、その体験を通して、自分は発信者でありたいという自覚が芽生えちゃったんです。

わたしは批判を受けることは平気なのですが、アナウンサーをやっているとつねに嫌われないこと、平均点を求められます。そういう生き方をしてこなかったこともあり、そこに違和感もありました。なので、周囲の目を気にしていることがきつくなってしまったんです。そこそこで収めておくことに、なんとなくザラついてしまって。

――それで自由な作品を生み出す創作活動に向かったわけですね。

伊東:
だったら思ったことをストレートに言って、仮にそれが賛否を招いても自分で責任が取れるじゃないですか。その人生のほうがわたしは向いているなと思ったんです。それが絵を描こうと思ったひとつの理由です。

――今回の個展では、何点くらい出されるのですか?

伊東:
約20点です。
今までは28点くらいだったのですが、最近絵のサイズが大きくなってきたこともあり、比べると少し少ないです。それまで小さいサイズで絵を描くことが好きだったのですが、どうしたことか前回の2024年の個展が終わった後に、大きな絵を書くことが好きになっちゃって。水彩画なので、一年くらいかかってしまうこともあります。

「一瞬、死ぬほうがラク?」ドイツ移住後の過酷な2年間

一瞬「死ぬほうがラク?」と…33歳・元TBSアナが明かす、ドイツ移住後の“暗黒の2年間”
伊東楓さん
――TBSを退社されてドイツに渡った直後は、どういう日々でしたか?

伊東:
暗黒期と呼んでいます(笑)。かなりキツかったですね。その当時は、絵が描けなくなることが怖すぎて、とにかく毎日紙に向き合い。何かを描いていました。でもそれは描かなくちゃ生きていけないという切迫感で描いているから破り捨てることも多かったけれど、とにかく数を描いていました。やがて描けるようになるまで待とうという気持ちになっていったので、あの当時の焦りみたいな感情は今はもうないですね。

――そもそもなぜドイツを選んだのですか?

伊東:
わからないです(笑)。行ったことがない国に行きたかったんですかね。アナウンサーを辞めると決めた時、自分がリセットでゼロになるイメージだったんです。今までのことが全部なくなるみたいな。
だったら、わたしのことを誰も知らない、言語も通じない、行ったことがなくて、その先に何が待っているか予想もできない国に行こうと思ったんです。イギリスと迷ったんですけど、ドイツにして結果的に苦労しました(苦笑)。

――絵に対する焦りや異国の地での生活で暗黒期だったわけですね。

伊東:
貯金がどんどん減っていくので、荒んで荒んで大変でした。いきなり移住したので仕事もないですし、誰もわたしのことを知らないですし。2年間くらいツラかったです。ここまで言うべきかわからないですが、一瞬「死ぬほうがラク?」と思うレベルまで荒みました。ドイツは11月くらいから冬で、日照時間も短く、15時30分くらいから暗いんです。仕事も決まらず、ひとりでどうしよう、どうしようと。

でも、逃げ帰ることだけはできないという、変なプライドだけあって。友だちにもTBSでお世話になった人にも、自分が今ツラいことを誰にも言えなくて。家族にも言えず、ひとりで耐え抜くしかなかったんです。
気を使わせることも嫌いで、心配もさせたくない。となると、遮断に入ってしまう。なんとかしないとやばいということで、ユニクロに飛び込むんです。

数百万円のオファーも断った。「中途半端なことが好きじゃない」

一瞬「死ぬほうがラク?」と…33歳・元TBSアナが明かす、ドイツ移住後の“暗黒の2年間”
伊東楓さん
――それがあのTシャツなんですね。

伊東:
メールをしてアポが取れて、原画をいっぱい持ってドイツの本社に行きました。ドイツのユニクロの人たちは、「この国では誰もわたしのことを知らないので絵で勝負するしかないけれど、何か一緒にやりましょう」と言ってくださって。白いTシャツにわたしの原画が載ることになりました。これが2023年の1月のことで、ここまでが暗黒期ですね。

――その時は、どういう心境でしたか?

伊東:
失うものもないですし、戦うしかないという感じでしたね。自分が逃げ帰ることは嫌というヘンなプライドはあるのに、ダメ元で連絡して足を運び、営業することには何の抵抗も恥ずかしさもないんですよね。

――バイトや別の仕事でつなごうという発想はなかったのでしょうか? インフルエンサーみたいなオファーはありそうですが。


伊東:
おっしゃるようにアンバサダーみたいなお仕事の依頼は来ていました。契約金、数百万みたいな。さすがに揺れました(苦笑)。でもそれに手を出すと、わたしのブランディングがブレてしまうなと。本当にありがたいのですが、全部断ってしまいました。自分がやりたくて選んだ道があるのに、中途半端なことをやることが好きじゃなくて。

TBS在職中も「アナウンサーをしながら絵は描けるじゃん」とけっこう言われましたが、それも嫌でしたね。アナウンサーと画家、それぞれ50の熱量でやると、両方成功しないような気がして。初志貫徹でいかなくちゃの一心で、ここまで来てしまいました。

――先立つものがあれば、創作に集中できると思わないタイプだった。

伊東:
そうなんです。そうは思わないんですよね。
クセが強いのか(笑)。昔から頑固で、両親に「勉強しろ」と言われたこともないんです。「いい大学へ行け、いい会社に就職しろ」とも言われていない。全部自分で選んできたので、そういう頑固さがあったのだと思います。

<取材・文/トキタタカシ 撮影/塚本桃>

【トキタタカシ】
映画とディズニーを主に追うライター。「映画生活(現ぴあ映画生活)」初代編集長を経てフリーに。故・水野晴郎氏の反戦娯楽作『シベリア超特急』シリーズに造詣が深い。主な出演作に『シベリア超特急5』(05)、『トランスフォーマー/リベンジ』(09)(特典映像「ベイさんとの1日」)などがある。現地取材の際、インスタグラムにて写真レポートを行うことも。
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