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司馬遼太郎が「竜馬が行く」を産経新聞に連載する前には、
「神田の古本屋街から龍馬関連本が消えた。」
とか、
「司馬さんは資料集めに当時二千万円の金を使った。」
などと言われた事がある。これはあくまで噂、というよりデマに近い。
誰も司馬さんの家計を調べたわけではないし、神田の古書店街を一軒ごとにローラー調査をしたわけではないだろう。元新聞記者である司馬良太郎さんの「取材主義」「現場主義」「検証主義」を知る編集者から出た話であろう。
さて、実名の「坂本龍馬」に対し、作品に登場するには「坂本竜馬」。同一人物であるにもかかわらず、「竜馬」と「龍馬」で表記が違う。
有名な話だが、司馬さんは取材するにつれ、自分の抱いていた龍馬像が史実に見るそれとどんどん乖離して行くことに悩んだと言う。「竜馬が行く」の底本は明治時代に高知の土洋新聞に連載された坂崎紫蘭(さかざき・しらん)の「汗血千里駒」(かんけつせんりのこま)であると言われる。
これを読んでも司馬さんの龍馬像は確定せず困ったらしい。なにしろ、「汗血千里駒」では龍馬夫人の楢崎龍(おりょう)が悪女に描かれている。楢崎龍に言い寄る桐野利秋をおりょう自身が刃物で撃退したり、新婚旅行の途中、おりょうが龍馬に内緒で書生と二人でデートした話等々。
ある資料には「龍馬に思想はなく、単なる薩摩藩の伝達係だった。」とか、また、ある書籍に因ると「大政奉還案や船中八策、薩長連合は別人の手によるもの。」等と書かれている。
司馬さんは、その段階に至って、自分のイメージで描くことを決意した。
筆者の知人に高知県出身の漫画家がいるのだが、彼は「龍馬」と「竜馬」をはっきり区別しているがどちらも好きだという。彼の曽祖父は「坂本龍馬直柔」の時代の人で、彼は生まれた時から龍馬の伝承を聞いて育ったそうだから、歴史上の「龍馬」は心にしっかりとインプットされている。
司馬遼太郎が「竜馬が行く」を産経新聞に連載した時、彼は小学生で、NHKが大河ドラマで「竜馬が行く」を放映開始した時、中学生だった。小説、ドラマどちらも好きだそうだ。例えば、「竜馬が行く」でに登場する竜馬と板垣退助と会話するあり得ないシーンも面白いと言う。
「歴史上」あり得なくても、そう言う「ドラマ」があってもそれはそれで楽しいということなのだ。代小説の作法とは、「物語の邪魔になる時は史実を切る」ということなのかもしれない。
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