市場で注目を浴びているトレンドを深掘りする連載「マネ部的トレンドワード」。今回から取り上げていくのは、訪日外国人旅行者を意味する「インバウンド」。
2010年代半ばから2020年代初期にかけて外国人旅行者が急増した「インバウンドバブル」によって、観光地やホテル・旅館はさまざまな影響を受けた。新たな課題が見え、自治体や企業は対策に動き出している。
そこで、インバウンド編第1回となる今回は、旅行に関する調査・研究・支援を行っているじゃらんリサーチセンター研究員・松本百加里さんに、インバウンドによる影響と観光業界の変化について聞く。
オーバーツーリズム解決のカギは「事前予約制」
まずは、インバウンドが日本の観光業に与えるいい影響と悪い影響について、教えてもらった。
「インバウンド産業は観光産業だけでなく輸出産業という側面があり、日本政府も車、半導体に次ぐ輸出産業と捉えています。物づくりとは異なり、既に国内にある観光資源を輸出につなげられるというところが、日本にプラスの影響をもたらすポイントだといえます。少子高齢化による人手不足が課題となっているいま、新しい産業をつくって海外に行くよりも、海外の方に来ていただくほうが産業として回りやすいからです」(松本さん・以下同)
観光資源を輸出産業に活かすという点は、地方部も含めた地域活性化にもつながる効果も考えられるそう。また、これまで培ってきた歴史や文化、伝統工芸、農業などが外国人旅行者に認められることで、持続可能な状態でその産業を継続していけるというメリットもあり、日本全体のブランディングにもつながっていくといえる。
「一方で、外国人旅行者があまりにも増えすぎてしまったことで、観光地に住む方々との共存が難しくなり、街の魅力が失われるという悪い影響も出てきています。そうなってしまうと日本ならではの風景が失われる可能性があり、日本人旅行者がその地域を敬遠してしまいます。地域によっては旅行者と住民、日本人と外国人のバランスが崩れ始めている場所もあります」
外国人旅行者による悪い影響、いわゆるオーバーツーリズムはニュースでもたびたび報道されている。観光地では、どのような対策が講じられているのだろうか。
「『デジタルの力を使う』『旅行者数をコントロールできる受け入れ態勢をつくる』といったことが進められています。
事前予約制によるコントロールは、旅行者の過度な増加を防ぐだけでなく、運営の効率化にもつながるという。
「将来の予約の数が見えるようになり、需要予測を立てやすくなるという利点もあります。ひとつの観光名所だけでなく、同じ地域のホテルやスポットの予約数を面で把握できる仕組みにすることで、その日に訪れる旅行者数が大体見えるので、それに合わせて路線バスのダイヤや運転士のシフトを変動させることができるでしょう。実際に、事前データを集めて需要予測につなげ、人の配置を最適化する仕組みを取り入れ始めている地域も、ちらほら出てきています」
観光業界が重視し始めている「旅行者の消費単価」
コロナ禍を経て、観光業界は変化のときを迎えていると、松本さんは話す。キーワードは「量から質への転換」だ。
「これまで観光地では宿泊者数や来客数に重きが置かれていましたが、ただ数を追うのではなく、旅行者の消費単価をきちんと記録し、稼げる地域にしていこうという意識に変わってきています。変化が生まれている理由は、コロナ禍を経たからだと考えられます」
コロナ禍がある程度落ち着き、渡航が再開された当初、いきなりコロナ以前と同水準に戻るということはなく、飛行機の便数は少なかった。そのため、旅行者1人当たりの単価を重視する流れが生まれたのだ。また、コロナ禍の観光業界では離職者が相次いで人材不足になり、数を対応し切れなくなったため、単価を上げる方向に舵を切ったという背景もある。
「当時は旅行者が少なかったため、データを分析し直す時間や余裕があったことも大きいといえます。さまざまなデータを見ていくと、旅行者全体のうち富裕層の割合は数%だったにもかかわらず、旅行者による売上の10%以上は富裕層によるものだということがわかったのです。
そこでポイントとなるのが「高付加価値化」。観光地は、旅行者のニーズに合わせて商品を造成していくことに注力し始めているそう。
「現在、ヨーロッパを中心にサステナブルツーリズムが注目されています。環境保全だけでなく、地域独自の文化や伝統の継承を応援したいというニーズが増えてきているのです。そのため、伝統に触れられる体験や地産地消をテーマにしたグルメなどを提供している地域も出てきています。ファンコミュニティをつくるような仕組みも生まれてくるでしょう。“高付加価値旅行層”のニーズにいかに応えていくかが、今後の観光業界のカギとなるかもしれません」
いま観光業界に期待されている「質」は、旅行者に対するものだけではないようだ。
「最近は『現地調達率』が意識され始めています。単価を上げるだけでなく、地域の事業者や生産者に還元することも視野に入れ、商品や食べ物に現地で調達されたものがどのくらい含まれているか検証しようという動きが出てきています。先んじて進められている京都市では、『現地調達率』の効果検証の方法などが検討されています」
「質」を上げるためのもうひとつのキーワードが「住民満足度」。外国人旅行者の急増が、住民の生活に影響を及ぼしているからだ。
「『住民満足度』は、観光業界における重要指標のひとつといえます。
今後の観光業界は「二極化」が進む…?
今後のインバウンド産業の進む先について、松本さんの予想を聞かせてもらった。
「大きく二極化していくのではないかと考えています。少子高齢化のなかで日本の魅力を担保していくとなると、受け入れる側の人の数が足りないので、『高付加価値化=人が価値を生むもの』と『効率化=デジタルによって省力化されたもの』に分かれていくでしょう。ホテルを例に挙げると、すべてのサービスで人が対応するラグジュアリーなホテルとあらゆるサービスが完全自動化されたホテルに分かれるイメージです。観光業界においても、ITやAIの活用は重要になると思います」
デジタル活用に関してはシステムの面だけでなく、サービスにも影響してくる可能性がある。
「ARやVRといったバーチャルなものが、いかに『高付加価値化』と掛け合わさるかという点が気になるところです。現在、ツアーガイドは外国人旅行者から重宝されているので、今後ますますニーズが高まっていくといわれていますが、人手が少ない地域ではガイドを用意できません。そのような場所の歴史や文化、土地のストーリーを伝えるため、ARやVRを用いて旅行者に体感してもらうということができるので、今後バーチャルを活用する地域も出てくるのではないかと感じています」
旅行の中身に関しては、「ウェルネスツーリズム」や「スロートラベル」が注目を集め始めているとのこと。
「海外の方々の健康志向が進んでいるいま、心身のリラックスや浄化を目的とした『ウェルネスツーリズム』のニーズが高まっています。温泉大国の日本は相性がいいので、得意分野として押し出されていくのではないかと思います。さらに、旅先で暮らすように生活する『スロートラベル』も注目されているので、地域のローカルコミュニティに特化したテーマ型観光も増えていくのではないでしょうか」
課題とともに可能性も見えてきているインバウンド産業。
(取材・文/有竹亮介)