小学生だったアマチュア時代から「美少女棋士」として注目を集め、22歳でプロ入りをかなえてからはNHK杯トーナメントの司会を2年間務めたことで、人気を不動のものとした。
33歳のときに女流棋聖位を獲得し、以降3連覇。普及活動にも精力的に取り組み、現在は東邦大学非常勤講師、慶應義塾大学では特別招聘講師として、囲碁の裾野の拡大に尽力している。
そんな吉原六段だが、実は一度プロ入りを諦めた過去があるという。囲碁との出会いから院生をやめるまでを振り返ってもらった。
* * *
■父の喜びがエネルギー源
囲碁との出会いは6歳の6月。
で、私のほうが強くなってからは、打つことはほとんどなくなりました。ただ、私に負けるのが嫌だから打たなくなったのではなくて、私が打っている姿を見ているほうが楽しくなってしまったのですね。だから私が囲碁教室とか大会に行くと必ず付いてきて、ずーっと私の打っている姿を見ていました。
そして今、自分が子供を持つ身になって分かったのですが、父はすごかったなと…。何がすごかったのかというと、自分の子供、つまり私のことを「天才だ!」と思い込んでいたということです。
実際は全然すごくなかったんですよ。大会に出ても、すぐに負けてしまう…。中学生のときに少年少女大会で東京代表になったのと、やはり中学生のときに女流アマ選手権で全国ベスト8に入ったくらいで…。自分としては「なかなか結果を出せない」という思いでいました。
でもそんな父を見ていると、私も「もっと頑張って喜ばせよう」と思うし「もしかしたら私は、自分が思っているより強いのかな」などと考えてしまう─―私にそう思わせた父が、実はいちばんすごかったのかな、と。
■一度はプロを断念
中学2年生のとき、いつも行っていた碁会所で加藤正夫先生に打っていただく機会を得まして、三子で奇跡の勝利。これがきっかけで加藤先生に「弟子にならないか?」と声をかけていただいたのです。
そして院生になり、すぐにAクラスまでいったのですが、そのAクラスでは全く通用しませんでした。
中学校を卒業してからは、高校に行きながら院生を続け、女流枠予選では毎年、入段できそうな候補の中には入っていました。しかし毎年入段がかなわず、こうなってくると「今年も駄目だったらどうしよう」という恐怖心が湧き起こってきてしまいました。絶対にプロになれるという確信が持てなかったのですね。それで迷いはしたのですが、結局、大学にも進学することにしたのです。
そして大学に行き始めたら、学生生活の刺激が強くなってしまって、もう全く囲碁に対して身が入らなくなりました。
このとき、父にも相談したのですが、院生を辞めることを止めたりはしませんでした。プロになってほしいという思いはあったのでしょうが、それ以上に、「私が活躍する姿を見ていたい」という気持ちのほうが強かったのですね。
■『NHK囲碁講座』2014年9月号より