小林征郁さんは事故で怪我を負ったことがきっかけでニーボードを始めた。
そうして知ったのは、人はそれぞれの個性に合わせて道具を選べば、サーフィンは誰にとっても身近であり、海はいつでも自由を与えてくれることだった。
ニーボードから見いだした、サーフィンの新たな楽しさ
ボードの上に正座をして波に乗るニーボードを知っているだろうか。起源は古く、1960年代。ロングボードが全盛だった頃にさらなるスピードとスリルを求めて生まれた、より切り立つ波に適したサーフィンだ。
日々ニーボードを楽しむ小林征郁さんは、その魅力をこう話す。
「サーフボードに立って乗るよりも体全体が波に近いため、小さな波でもサイズが大きく見える。体感スピードがすごく、波のエネルギーを強く感じます。
特有の楽しさがあるものの、世界のサーフシーンを見てもマイナーといえるニーボード。小林さんもサーフィンを始めた頃からそのスタイルだったわけではない。
18歳でサーフィンの虜になった小林さんの入り口はショートボード。海に通い始めてからというもの一気に視野が広がる感覚を覚え、数年すると「もっとサーフィンを追求したい」とオーストラリアへの留学を決意。しかし出国1週間前、アクシデントは起きた。
「海外の波に挑むのだから練習しとかなければと気合を入れて千葉の海に行きました。その帰り道で、交通事故を起こしてしまったんです」。
高速道路での酷い事故で車は全損。小林さんは脊髄を損傷する大怪我を負い、下半身不随となってしまった。ICUに担ぎ込まれて即入院。激しい体の痛みとともに、小林さんは大きな精神的なダメージを受けた。
「本当にごめんと、初めて親に謝ったことを覚えています」。
だが小林さんは家族や仲間の応援を受けて、持ち前のポジティブなマインドで事故から数週間後には心を前に向かせる。
またサーフィンがしたい。再び海外への思いを蘇らせ、カリフォルニアに渡った。そこでニーボードと運命的な出会いを果たしたのだった。
「サンディエゴで初めてニーボードを知ったときにピンときたんです。
ボディボードは知っていたけれど、なぜか当時の僕にその選択肢はなかった。でも正座で波に乗るということに関してはすっと入り込めました」。
小林さんはニーボードでサーフィンを再開。初めは手探りだったものの、世界中の海に通って腕を磨き、今では「ISA 世界パラサーフィン選手権」日本代表を務めるほどに。
そうしてさらなる熱を上げながら、海に入れる幸せを噛み締めている。
「海の中では車椅子いらずで自由になれる。
乗り方は人それぞれでよくて、立つだけがサーフィンじゃない。それはアダプティブサーフィンが伝えられる大きなことだと思う。パラサーフィンの大会ではショートボードやロングボード、ニーボードやウェーブスキー、うつ伏せ、アシストを受けながら波に乗ったりと、さまざま。
アダプティブは“適応性のある”という意味。道具は、その人の個性で選べばいい。
PEDRO GOMES、熊野淳司、高橋賢勇、清水健吾、鈴木泰之、柏田テツヲ=写真 小山内 隆、高橋 淳、大関祐詞=編集・文 加瀬友重、菅 明美=文