「赤坂のショーパブでは、1日3回ステージをやらなきゃいけないんですね。ステージの合間は、中華料理屋に行くか、ゲームセンターで車のゲームやって過ごしたりして。『こんなことやってたら俺たちダメになるな』って思ってましたね。支配人に『君たちは絶対に売れる』って言われた時、『いや、絶対に売れねえ!』って(笑)」
その時に、1本ネタからショートコントに変えたところ、徐々に認められるようになったと語る内村。「営業ばっかりの今の状態が、もしかしてこれから一生続くんだろうか?」という考えが頭をよぎったこともあったそうだが、当時のお笑い界の状況も、彼らを後押ししたようだ。
「僕らの時は幸運なことに、今と比べて圧倒的に芸人が少なかったんです。だから、どこの営業先に行っても、ダチョウ倶楽部がいる(笑)。富士急に行ってもダチョウだし、レストランのパーティーに行ってもダチョウがいるし、どこのライブハウスに行ってもダチョウだったし。あとはB21スペシャルとピンクの電話のローテーションでした」
「だけど、今なんて、本当にすごい数でしょう」と語る内村。最近の若手芸人に向けて、「僕らの頃よりもずっと、競争が大変なんだと思います。それを勝ち上がっていくのって、並大抵のことじゃないですよ。
◆『クイック・ジャパン』vol.106(2013年2月12日発売/太田出版)