「幼稚園の頃に、親戚の結婚式で歌を歌うことになったの。今思えば、母親が俺にそういうことをさせるのが好きだったんだろうね。その時はもう、歌う歌わないの選択肢じゃなくて、曲は『関白宣言』か『雨の慕情』のどっちにするか選べって状況で(笑)。(中略)で、結婚式で歌ったんだけど、幼稚園児が『お前を嫁に~』って1曲まるまる歌い切るわけだから、そりゃもう拍手喝采でさ。その時に受けた歓声の気持ちよさが、たぶん今の活動につながってる(笑)」
そんな“スパルタ教育”により音楽と出会った池田。幼少期の音楽体験はさだまさしから始まったが、その次は誰だったのだろう?
「やっぱり中学生の頃に聴いたビートルズだね。レンタルCDが出始めた時期に、母親がこれ聴いてみればって、ビートルズのアルバムをすすめてきた。ビートルズを聴いたことで、俺は衝撃を受けたというか……ヘレン・ケラーの『water』じゃないけど、そんな衝撃に近いね」
そして高校に入って黒人音楽に精通した教師と出会い、ブーツィー・コリンズのアルバムを借りて、「ビートルズに続いて、音楽で電流が走った2度目の瞬間」を経験した池田。それ以来、彼はファンクバンドをやるようになり、「まわりがユニコーンやBOOWYのコピーやってる頃に、ビブラストーンとかJAGATARAのカヴァーをしてた」そうだ。
◆『クイック・ジャパン』vol.114(2014年6月12日発売/太田出版)