レッドアイランドレコードのYouTubeチャンネル内で配信されている“新潟発信”の『ロクスタ.ためになる話』が面白い! 地元出身のミュージシャンや業界人をゲストに迎えて興味深いトークを繰り広げているのだ。そこで今回はロクスタ.こと新潟6studio.店長の本間ゲン氏、番組MCを務めているライターの帆苅智之氏、同じくMCを務めレッドアイランドレコードの運営にも携わっているドクテロ・イチロウ氏に参加してもらい、同番組について語ってもらった。


【座談会参加者】

■本間ゲン
新潟にてCD販売とライヴツアーのサポート等、地方都市での拠点を創った人。現在はロクスタ.でライヴ、インストア、トーク配信、そして保護猫の人馴れを維持つつ楽しみな(秘)を画策中。

■ドクテロ・イチロウ
悪ふざけバンド・毒殺テロリストのヴォーカリスト。バンド解散後はソロでいろんなキャラやユニットをやったり、トークライヴや配信など多岐にわたり活動中。

■帆苅智之
music UP’s様、OKMusic様には大変お世話になっております。ベテランさんへの取材が多くなってますが、そろそろ新人のエキスを浴びたいです。


■石田博嗣
大阪での音楽雑誌等の編集者を経て、music UP’s&OKMusicにかかわるように。編集長だったり、ライターだったり、営業だったり、猫好きだったり…いろいろ。

■千々和香苗
学生の頃からライヴハウスで自主企画を行ない、実費でフリーマガジンを制作するなど手探りに活動し、現在はmusic UP’s&OKMusicにて奮闘中。

■岩田知大
音楽雑誌の編集、アニソンイベントの制作、アイドルの運営補佐、転職サイトの制作を経て、music UP’s&OKMusicの編集者へ。元バンドマンでアニメ好きの大阪人。

新潟のシーンを “守る”というよりは“恩返し”

石田
「『ロクスタ.ためになる話』は6 studio.(以下、ロクスタ.)で開催されているわけですが、ロクスタ.ってどんな場所なんですか?」

イチロウ
「もともとはRISKY DRUG STOREというインディーズショップをやっていたんですよね。」

帆苅
「その前はUK EDISONですもんね?」

本間
「UK EDISON、輸入盤屋をやっていて、当時はX(現在のX JAPAN)とかの流通もやっていましたね。
UK EDISONが全国的になくなってLike an Edisonになったのですが、その前に僕は独立していたので影響はなかったとはいえ、やっぱり地方でこういった文化がないとダメだろうと。hideさんからも“地方をよろしく”って言われていたので、“ちょっと頑張ろうかな”と思ったんです。」

石田
「もともとはインディーズのアイテムを扱うショップだったんですね。」

本間
「そうですね。商品を売るためには本人に来てもらったほうが分かりやすいということでライヴのブッキングをガンガンやるようになって、“何で新潟でこんなにお客さんが入るんだ!?”というところまでは作り上げて。当然CDもちゃんと売れるし、せっかく新潟に来たんだから仙台や金沢や山形にも行こうということなり、アーティストのプロモーションを僕が担当して、ショップはショップのスタッフが頑張ってくれていました。だから、僕はブッキングというか、コーディネーターでしたね。」

イチロウ
「で、そのCDショップをたたんで。でも、ロクスタ.は配信とかをやるお店ではなかったんですよね。」

本間
「全然そういう感じではなかった。
ライヴハウスの近くにお客さんがライヴの前にちょっと寄れるようなお店がなくなっちゃったんですよ。だから、“今までお世話になってきたお客さんのために何かいい方法はないかな?”と考えて、サロンみたいな感じでモニターで映像を流して、ライヴの前に集まって、着替えて、ライヴが終わったらここで打ち上げをするというようなことをやっています。」

石田
「そうなんですね。帆苅さんに『ロクスタ.ためになる話』を始めると教えてもらい、GargoyleのKIBAさんの回を観て“これは面白いことをやっているぞ”と思って今回の座談会に登場していただいたのですが、このトークイベントを始めた動機はなんだったのですか?」

イチロウ
「僕がコロナ禍にロクスタ.へ遊びに行った時に趣味がてらツイキャスをやっていたので、場所を利用させてもらったのがトークライヴの走りですね。」

石田
「そこから今のかたちに発展していった?」

本間
「そうですね。ここはお客さんが20人入ったらちょっと厳しいくらいのスペースなんですけど、隣に第二スタジオがあって、そこは椅子で24人、立ち見で80人くらいは入れるんですね。そこで配信をやったり、ライヴハウスの半額以下でライヴもやれるので、お客さんが少なくてもメンバーにお金が入るシステムを作らないと、新潟って土地柄的にヤバいかなって。」

石田
「新潟のシーンを作るため、守るために始めたわけですね。」

本間
「はい。でも、“守る”というよりは“恩返し”ですね。
今まですごくお世話になったアーティストとお客さんなので、継続できる一個の手段です。選択してくれるのはお客さんかもしれないけど、選択されるように努力は続けております。」

イチロウ
「僕ら的には地方で新宿LOFT/PLUS ONE的なこともやりたいという(笑)。」

石田
「そこでツイキャスから配信番組に切り替えて、大々的に発信するようになったということですね。」

イチロウ
「そうですね。最初はトークだけをやっていて、ちょっとアコースティックライヴをやり始めたら、今までのゲンさんの流れでMALICE MIZERのKöziさんとか、Psycho le Cémuのseekさんとか、いろいろな方が出てくれるようになって。」

石田
「そんな中で帆苅さんはお声がかかった時にどう思いました?」

帆苅
「まずはゲンさんからお話をいただいたんです。私はTwitterを過去にやっていたんですが随分前にやめまして、イチロウさんはFacebookをやっていたんですが随分前にやめまして、お互いに連絡がつかなくなったんですよ。その後、ゲンさんから“実はドクテロ・イチロウさんと一緒にやってるので、一回会ってくれないか?”という話があって久しぶりにお会いしたんです。ちょっと裏話をすると、ご本人も認めていらっしゃるので言ってもいいと思いますけど、おふたりはあまり仲が良くなかったんですよ(笑)。
なぜかと言うと、ゲンさんがRISKY DRUG STOREをやっていて、アーティストのマネジメント的な機能もいくつかやられていて、『ロクスタ.ためになる話』にも出ていただいたL'luvia、Lastierというバンドのマネージメントもやっていらっしゃったんですね。イチロウさんはそのL'luviaやLastierと同時期に活動をしていたんですが、同じビジュアル系でも黒いビジュアル系というんですかね? わりとこういう…」

イチロウ
「邪道なほうですね?(笑)」

帆苅
「はい(笑)。L'luviaとLastierは艶のあるビジュアル系だったので、“あんなまともなビジュアル系をやっているところのオーナーとは反りが合わん!”と。逆にゲンさんにしてみると、イチロウさんは全然違うところで活動されているので接点もあまりなく、お互い反目していたわけではないんですけど、微妙な空気感があったとうかがっています。だから、正直言って最初にゲンさんとお会いした時は、“どうしてイチロウさんが一緒にやっているのかな?”という疑念がありました。」

イチロウ
「新潟でコロナ禍前に『アノラックフェス』というのがありまして(2019年9月に新潟GOLDEN PIGS RED STAGEで開催された『UNKNOWN LUCK FES in NIIGATA2019』)、BUCK-TICKのマニュピレーターの横山和俊さんが主催しているイベントなんですけど、横山さんが新潟出身なので新潟にゆかりのある方が出演していて、僕もゲストで呼んでいただいて、その時にゲンさんが仲介に入っていて久々に再開したんです。その直後にコロナ禍になって会っていなかったんですけど、仲間と“ゲンさんは今何をしてるんだろう?”って話になり、ロクスタ.に顔を出しに行ったんですね。
そこでしゃべっているうちに“ここでツイキャスできるんじゃない?”って。これだけいい場所があるのにコロナ禍で何もしないのはもったいないし。そんなところから、ryoくん(HOLLOWGRAM,TAG,DALLE,KEEL)を呼んでトークを始めたのが最初でしたね。それを何回かやって、GASTUNKがニューアルバムを出す時にBABYさんを呼んだんですけど、“だったら本格的にインタビュアーさんを呼んだほうがいいんじゃない?”ってことになってゲンさんが帆苅さんに声をかけたんですよね。」

帆苅
「私としてみれば、ゲンさんからお声がかかって、イチロウさんもいるのであれば断れるわけがないんですよ。とにかく20代から30代前半はRISKY DRUG STOREでいろんなアーティストの方を招いていたということで一緒に仕事をさせていただきましたし、ゲンさんがいなければ今の私はいないというくらいなので。だから、今回も微力ながら“やらせていただきます”と。イチロウさんともすごくつき合いが長くて、雑誌をやっていた頃に新潟のライヴハウスのページを担当していたのでそこからのつながりで、いろんな楽しい話をしていただきましたし、バンドの紹介もしましたし、結婚式の二次会にも来てもらいました(笑)。そんなふたりなのでふたつ返事で引き受けたという感じであります。」

他では聞けない話が 出くるのが面白いところ

石田
「そんな3人の想いがあってスタートした『ロクスタ.ためになる話』のコンセプトやテーマというのは?」

イチロウ
「やっぱりコロナ禍の中でなかなかゲストが呼べないということで、新潟にゆかりのある方っていうのは環境も考慮してメインにありましたね。音楽だけじゃなくて文化人という枠で、最初はマースケ(ex.L'luvia)くん、石山竜市(ex.Lastier)くんを呼んで、次は漫画家の古泉智浩さん、そしてNegiccoの事務所である株式会社EHクリエイターズの会長の熊倉維仁さんをお招きして、初の県外からKIBAさんに出ていただきました。」

石田
「開催頻度は定期なんですか?」

イチロウ
「不定期ですね。どうしてもゲストの都合がつけられないので。」

帆苅
「意外と手間がかかっていまして(笑)。KIBAさんに出演していただいたのが2022年11月ですけど、最初に話したのが確か6月くらいでした。何をするとも言わずに“久しぶりにお茶でもしませんか?”という感じで上京した時にお誘いして、何を話すのかという打ち合わせだけでも3回はしましたね。他の方もそうで、最初は出演交渉をして、“どんな話にしましょう?”という打ち合わせをやって…竜市くんは半日くらいコメダ珈琲店にいたんじゃないかな? 自分はそういった役割をしています。イチロウさんは白塗りをして出演していますが、私みたいなおじさんが出て、さらにおじさんみたいな人が出てきても絵面が面白くないだろうということで、イチロウさんの人脈で新潟のローカルアイドルの方にも出ていただいて。」

イチロウ
つんく♂さんプロデュースの楽曲で2021年10月にデビューした『アラフォーアイドル輝けプロジェクト!』に所属しているパシュミナの蒼空梯子さんや、cana÷bissというグループの桐亜さん、シンガーの澁谷知里さんに出ていただいて、それもそれで面白かったですね。」

帆苅
「あと、配信の技術面で欠かせないメンバーがもうひとりいらっしゃいます。だから、見た目以上にすごく頑張っているという感じではあると思います。もちろん現場で当日の仕切りはゲンさんがやられているので、みんなそれぞれにやっていますね。」

千々和
「打ち合わせに時間をかけているのは、やっぱりゲストの方も話したいことが多すぎてそうなっている感じですか? それとも届けるにあたっての整理なのでしょうか?」

帆苅
「メンバーがメンバーなので、KIBAさんはちょっと違いましたけど、まずは思い出話を延々として、面白そうなネタが出てくると“それいいですね!”と拾っていく感じですね。みなさんとはつき合いが長いので、“あの時こうでしたよね”という話をしていると、みんな加齢とともに忘れていることも多いですから、それを思い出すのに時間がかかっているところもあると思います。」

イチロウ
「あと、地元ということでみんな油断しているところもあって(笑)。他では聞けない話が出くるのが面白いところです。」

帆苅
「配信で届けるにあたって、番組中にNGを出さない用に下調べをしているという感じでもありますね。」

岩田
「過去のアーカイブだと1時間くらいですが、打ち合わせでも話が広がるだけに時間の配慮もありそうですね。」

イチロウ
「意外としっかりやっていますね。帆苅さんが(笑)。」

帆苅
「裏話の裏話ですが、なぜ私がおふた方から頼まれてこういうことをやろうかと思ったのかと言うと、実は配信番組はこれが初めてではないんですよ。この前に熊倉さんと新潟のローカルラジオ局で半年くらい30分の番組をやっていたんです。それはダラダラと話をするだけで、完全に編集はお任せする感じでしたし、その前に古泉さんとふたりでUstreamで何かやろうということで、ゲストを呼んでやっていたんですけど、それも打ち合わせもなく2時間くらいやっていたんです。なので、ちょっと感覚が分かるので今のかたちになったというのはあると思います。前のやつは酷かったですからね(笑)。」

千々和
「Ustreamの頃って全体的にちゃんと進行している配信はなかったですからね(笑)。」

こうやってやっていれば、 出たいと思ってくれる人はいる

石田
「『ロクスタ.ためになる話』のお客さんの反応はどんな感じですか?」

イチロウ
「KIBAさんの時は有料配信をしましたけど、“これを無料で観られるのか!?”っていう反応が多いですね。マースケくんとか竜市くんはもともとメジャーデビューしていたけど、今は表に出てくることが滅多にないから、当時からのファンの方は大喜びで。地元でこういうことをやっているからじゃないと彼らは出てくれなかったと思いますし、そういうところは面白いんじゃないかなと。熊倉さんもそうですもんね。うちらだから出てくれた方々だと思います。」

石田
「現時点でKIBAさんの回を入れて5回開催されていますが、次はどうしようとか考えているんですか?」

帆苅
「候補はあるんですけどね。新潟って雪が降ってしまうと身動きが取れないので、春まで難しいかなというのが正直なところです。」

イチロウ
「ありがたいことに、Twitterとかで“出してくれ!”という声を結構いただいていたりもするので、そういうのも実現させたいですね。」

本間
「天気と経費のことさえクリアーすれば、ライヴじゃなくてもプロモーションの一環として来ていただいて、理想を言えばそのあとに新潟公演があれば嬉しいんですが、なかなかうまくはいかないのが実情で。でも、方法としてはありだと思いますね。」

イチロウ
「ゲンさんは90年代のビジュアル系の全盛期を支えていた人なので、あの頃のアーティストは“新潟=ゲンさん”と思っているし、僕らがこうやってやっていれば行きたい、出たい、会いたいと思ってくれる人はいると思いますね。」

本間
「私は猫の世話と会場のお掃除を頑張ってやっておきます(笑)。」

石田
「KIBAさんの回の時も猫が参加していましたね(笑)。では、今後の展望というのは?」

イチロウ
「本当に最初の頃はコロナが酷かったのでお客さんを入れづらかったんですよね。でも、最近は規制も緩和してきたので、目標にしていた新潟版の新宿LOFT/PLUS ONE的な感じで進めていけたらっていうのが理想ですね。」

帆苅
「ロクスタ.でやっている配信は『ロクスタ.ためになる話』だけではなくて、ライヴ配信もやっていますし、私が無理を言って捻じ込ませていただいたんですが(笑)、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)について語るものもありまして。そうやって横に広がっていくのも面白いと思っていますね。『ロクスタ.ためになる話』のスピンオフみたいな。」

イチロウ
「僕らがロクスタ.で配信を持ちかけるようになってからいろんな人が出るようになって、演劇をやったり、地元のボーイズグループもライヴをやるし、配信で広がったところもありますよね。」

本間
「僕ひとりではできなかったことを広めていただいて、“こんなことができるんだ!?”ってすごく勉強になっています。」

石田
「若い人からしても90年代のビジュアルシーンで活躍してた人が観られたり、話が聞けるのは新鮮なんじゃない?」

千々和
「新鮮ですね。個人的な話かもしれませんが、90年代やそれ以前から活動しているミュージシャンって、怖いイメージのアーティストがすごく多いんですよ(笑)。今でこそテレビに出ていたり、表立ってSNSを使っているアーティストには“実はこういう人なんだ!?”って思えますけど、お話ししている姿を見る機会がなくて、なおかつビジュアル系バンドだとカリスマ的な方も多いですから、後輩バンドの方の話で聞くこととか、武勇伝的なエピソードしか知らないんですよね。だから、cana÷bissの桐亜さんが一生懸命にみなさんのお話を聞いている姿に共感しました(笑)。実際に私が現場で90年代以前の音楽シーンの話を聞いている時もそうなのですが、みなさんが想像もつかないようなところで引っかかっている人もいるんじゃないかなと。」

帆苅
「自分たちはつい昨日のことのように話しますけどね(笑)。ある程度おつき合いのある方にゲストで来ていただいているので、こちらの質問も突飛なところに行かないのはあると思うんですよね。KIBAさんに“どうしてそんなに漢字を使った歌詞だったんですか?”とか“どうしてデビューをした時に首に天草四郎の襞襟みたいなものを巻いていたんですか?”とか訊かないじゃないですか。そういう疑問はシンプルにあるっていうことですよね。」

千々和
「そうです、そうです。自分がもっと若い頃はロックバンドが革ジャンを着ているのも疑問だったので、『ロクスタ.ためになる話』でもその当時の流行りを体感していないから気になる部分があって面白いです。それも今だからこそ砕けた感じで話してもらえるのは貴重な機会だと思います。」

イチロウ
「僕も昔は髪の毛が真っ赤かでしたからね。当時のビジュアル系は派手にしないといけないみたいなところがあって。」

帆苅
「そういう意味では、イチロウさんに“何で今も白塗りをしているんですか?”と訊いてもいいわけですからね(笑)」

岩田
「そういった質問にも答えてくださる方がゲストで出られていると思うので、若手のバンドマンと合わせて出演する回も観てみたいです。」

ライヴハウスに行けない人も 配信だったら観られる

千々和
「現役の若手の方で新潟を背負って活動しているアーティストっていらっしゃるんですか?」

イチロウ
「コロナ禍で結束が強くなったと感じますけどね。コロナで県外に出られないというところで。僕らの全盛期の頃は“新潟から関東で売れてやる!”という気持ちを持っていて、ゲンさんも“新潟発信”というのは意識していたと思うんです。」

本間
「まぁ、逆に言うとそれしかできなかったというかね。」

イチロウ
「今もその気持ちで配信をやっているところはありますよね。」

本間
「うん。いろんな若い人たちを引っ張ってきて、何かを築く場になったらいいですね。今はライヴハウスの人は出演バンドに対して“良かったですね! で、次はいつやりますか?”って当たり障りない話しかしないから、僕みたいに“何やってんだよ! 向いてないから辞めろ!”なんて言う人がいない。そうやって叱咤激励して育ててきたので。だから、先輩たちが頑張ってきたから今があると思えば、“もっと頑張れば、未来はもっと楽しいじゃん!”と思ってもらえるはずで。レジェンドとそうやって話すことができたら面白いと思うんです。」

イチロウ
「僕が個人的に思っていることでもあるんですけど、90年代のビジュアル系のライヴ映像を観るとものすごい数のお客さんが入っているんで、“この人たちは今は何をしているんだろう?”と考えてしまうんですよね。おそらく仕事とか家庭があってライヴハウスには行けなくなったけど、心の奥底にはアツいものが残ったまま歳をとっていると思うんです。だから、配信だったら観られるんじゃないかということで、いつもスタート時間を夜の8時からにしていて。僕はLUNA SEAのメンバーと同い年なんですが、その同い年の人が19歳とか二十歳くらいの時に作った曲を、あの頃と同じ黒服限定ライヴでやって(2022年12月17日&18日にさいたまスーパーアリーナにて開催された『黒服限定GIG 2022 LUNACY』)、あれだけ盛り上がっているのを観ると、“やっぱり歳を取っても変わらないんだなぁ”ってすごく感じるんですよ。なので、あの頃ライヴハウスに来てた人たちがちょっとでも楽しめる場を作りたいという気持ちもありますね。」