空洞です」(’07)/ゆらゆら帝国
美しく結晶したまま解散してしまった究極の3ピースバンド、ゆらゆら帝国。同名のラストアルバムの終演を飾る「空洞です」は、バンドの幕切れを予感させるような突き詰められた諦観と、普遍的で明け透けな恋心を歌った、ミニマルでスウィートなナンバー。短いストロークが織り成すパーカッシブなギター、乳白色の空気の中で静かにうねるベース、その挟間で切れ味鋭くリズムを刻み続けるドラムは、3人の強烈な個性から逸脱して、“音そのもの”から“音楽そのもの”に純化されていく。明滅する灯火のような揺らぎを纏い、“地に足のついた浮遊感”という矛盾した言葉でしか表現できない絶対的な強さに裏打ちされた、どうしようもなく、もどかしく、愛しむほかない楽曲だ。
「Rolling Stone Blues」(’23)/ The Rolling Stones
老境に至ったはずのThe Rolling Stonesの衰え知らずの音楽への渇望が詰め込まれたニューアルバム『Hackney Diamonds』は、「これぞストーンズのロックンロール」と唸りたくなる荒々しさとタフネスにあふれた凄まじい作品。
「友達のうた(New Yoeko ver.)」 (’23)/ヨエコ
長い沈黙を破り、“倉橋ヨエコ”から改めて、新しい名前で再スタートを切ったヨエコ。「友達のうた(New Yoeko ver.)」は、新たな幕開けが華やぐアルバム『ニューヨエコ』に収録されているキラーチューン。かつて“ジャズ歌謡”“シャバダ歌謡”と称された音楽性を爆発させたような豪奢なアレンジと、旧名時代からますますエネルギッシュかつダイナミックになった歌声が纏った“陽”のパワー、《どうせ叶わぬ恋ならば 私男の子になってもいいわ あなたのそばにいられるなら 私死ぬまでお友達のままでいいのさ》というパンチラインが内包した強固な“陰”のオーラが合体して、巨大な音塊として真上から降り注ぐ。私たちの“誰とも共有できない、しかし誰でもいいから分かち合いたい孤独”を歌にする、最強のミュージシャンが帰還した。
「魚 _ 魚」(’23)/細井徳太郎
星空が霞む高層ビルの隙間に飲み込まれた街でくるくる彷徨い、他人と肩がぶつかり合わない距離を保ちながら陽の光の代わりにネオンを浴びて体を輝かせる私たちは、自由に泳動することがままならず、水槽の中で泳ぐ魚だと思った。リズミカルなギター音の連なりと重なりから始まる「魚 _ 魚」は、幻想的なムードとリアルへの皮肉がぶつかり合い、ひりついたサイケデリアが拡張していくダンサブルなナンバー。繊細高知な高音と蠢く低音の邂逅が水流のようなサウンドを構築し、あらゆるジャンルから逸脱していく様が清々しい。日本ジャズ界とオルタナティブロックシーンを更新し続ける細井徳太郎という音楽家の、あらゆる場所に溶け込む柔軟性と何にも染まらない鋭敏さが脈打っている。
「体がしびれる 頭がよろこぶ」 (’23)/る鹿
アンダーグラウンドとオーバーグラウンドへの隔たりを悠々と飛び越える、山本精一と坂本慎太郎(ex.ゆらゆら帝国)がタッグを組んだサイケデリックなダンスミュージック。倦怠感としなやかさが共鳴する低音ボーカル、音の粒に体を預けている内に徐々に生まれる理性と本音のズレを表した歌詞は、ぬるま湯に浸かる心地よさに溺れてどこかへ行く意思を奪われてしまうような感覚をジンジンと持続させる。
TEXT:町田ノイズ
町田ノイズ プロフィール:VV magazine、ねとらぼ、M-ON!MUSIC、T-SITE等に寄稿し、東高円寺U.F.O.CLUB、新宿LOFT、下北沢THREE等に通い、末廣亭の桟敷席でおにぎりを頬張り、ホラー漫画と「パタリロ!」を読む。サイケデリックロック、ノーウェーブが好き。