同番組は、関西ローカルでスタートし、大阪・読売テレビのスタジオから生放送。08年3月31日より全国ネットで放送開始した。MCアシスタントは、今年3月31日から5代目として西尾桃アナウンサーが務める。
――『ミヤネ屋』という番組は宮根さんにとってのどんな存在なのでしょうか
当初はローカルから始まりました。僕はフリーになって、全国ネットのアナウンサーになろうという気持ちは全くなかったので、番組が勝手に全国になっていたというのと、『ミヤネ屋』っていう僕の名前を冠にしていただいたのが、今となっては読売テレビさんにはとてもありがたいです。当初、僕はライバル局の番組をやっていたのに、そこで月~金でやってくださった読売テレビさんの懐の深さに、改めて20年経って感謝しかないですね。
――自身の名前が冠になった番組が全国で放送されていることにプレッシャーを感じることもありますか?
生放送でよかったなって思うのは、自分で見れないじゃないですか。東京とか他の都道府県に行って声かけられて「あ、映ってんねや」って思うんですよ。意外と自分としては、なかなか実感がなかったり。あと、番組始まって2、3年は「ミヤネ屋」っていう屋号の落語家だと勘違いされていました(笑)。
――この20年の間にネットメディアが成長し、新聞やテレビなどは「オールドメディア」と呼ばれるようになったことについて、どう感じていますか?
『オールドメディア』だから、良いとか悪いとかはなくて、オールドメディアの良いところもあると思うんですよね。だから、その『オールドメディア』って言われることは、決して僕は嫌なことではなくて…。
――ネットメディアが台頭してきた実感はありますか?
そうですね。僕らも第一報っていうのは、やっぱりネットメディアで知ることもあります。こういう事件が起きたとか、こういうことがはやってんだってのは、ネットメディアで知ることは当然ありますけど、我々テレビメディアは、それが本当なのかっていう、裏取りですよね。それをきっちりやるっていうのは、「オールドメディア」というテレビの大きな役割の一つだと思うので、信頼性とか正確性みたいなところは変わらず大事にしていきたいなと思います。
――その中でこの『ミヤネ屋』ならではの強みはなんでしょうか?
強みがなにか、自分ではちょっと分からないんですけど、やっぱり20年やってるというのは大きな強みです。始まった当初は相当試行錯誤もありましたし、僕も『ミヤネ屋』やる前、ニュース自体もそんな詳しい方でもなかったですし、スタッフの人たちも突然、僕がやってきて、なにやっていいのか、分からなかったところで試行錯誤してくれました。例えば、
パネルを作ったり。生放送で台本どおり進めないと、フリップがどこにあるか分かんないっていうことがあった時に、苦肉の作でパネルを作ったんですよ。
正確には分からないですけど、いわゆるパネルが台本になっているっていうのは、おそらく『ミヤネ屋』が一番最初だと思っていて…。
――これからどんな番組でありたいと思いますか?
型にハマらない番組というか、“こいつ何やってくるか分からない”みたいな、でも、いざというときには頼りになるっていう、正体不明の番組でありたいなって思います。