サッカー元日本代表で、日本サッカー協会の元副会長も務めた釜本邦茂さんが10日、亡くなった。81歳。
Jリーグが公式サイトで発表した。
発表で「日本サッカー協会の元副会長の釜本邦茂氏はかねてから病気療養中でしたが、8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため、逝去されました」と報告した。
続けて「釜本氏は、元日本代表(1964~1977年)としてプレーされ、メキシコオリンピックでは7得点を挙げ、得点王に輝きました。2005年、日本サッカー殿堂に掲額。81歳でした」と説明し、「ここに謹んで哀悼の意を表し、お知らせいたします」とつづった。
通夜、告別式については「近親の方々のみで執り行うご意向と伺っておりますため、詳細の公表は控えさせていただきます」とし、「お別れの会の実施については後日ご案内いたします」と伝えた。
釜本さんは1944年4月15日、京都府生まれ。府立山城高校、早稲田大学を経て、ヤンマー入り。早稲田大学時代は、4年連続関東大学リーグの得点王。JSL(ヤンマー)では、251試合出場、202得点を記録。1968年敢闘賞受賞。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、年間最優秀選手賞7回受賞。
様々な前人未到の成績を残す。日本ユース代表として、第4回、第5回アジアユース選手権大会に出場。日本代表として、第18回オリンピック競技大会(1964/東京)、同第19回大会(1968/メキシコシティー/3位)に出場し、メキシコ大会では7得点を挙げ、得点王に輝く。また、第5回アジア競技大会(1966/バンコク/3位)、同第6回大会(1970/バンコク/4位)、同第7回大会(1974/テヘラン)にも出場。Aマッチ出場76試合、75得点(歴代最多)。1978年、ヤンマーの監督就任。1984年の現役引退まで選手兼監督を続ける。その間、JSL1部リーグ優勝1回、JSLカップ優勝2回を成し遂げる。1991年、Jリーグ入りする松下電器(ガンバ大阪)の監督に就任し、1995年退任。1998年、日本サッカー協会副会長就任。2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会理事、2002年強化推進本部長をつとめ、大会の成功と日本代表の強化に尽力する。1995年、参議院議員選挙初当選。
2000年、第二次森内閣において労働総括政務次官を務める。2005年、日本サッカー協会殿堂掲額。