1993年にロンドンブーツ1号2号を結成し、94年に劇場オーディション合格して吉本入り。96年にテレビ出演から一気に人気者になったという経歴が紹介されると、淳は「早いよね」としみじみ。続けて「ネタは全部、亮さんが考えていたから。亮と出会ってからは、オレしばらく『亮さん!』って言って。テレビ出るようになっても、しばらくは亮さんからアドバイスをもらう立場だった」と当時のコンビバランスについて語った。
また「テレビ出るようになって、亮さんから『司会があんまりできない』って言われて。司会できないって言われても、ツッコミだから司会やってもらわないと…っていう(思いを抱えていた)。そうしたら、ディレクターに呼ばれて『亮、進行無理だわ。お前が進行やれ。サッカーでいうと、フォワードとキーパー両方やる感じ』って言われて、いやいやピンとこんよって(笑)。それで亮さんはどういう立ち位置なんですかって聞いたら『ピッチでプレイしている選手を見守る、一番旗振っているサポーターが亮だと思え。亮が笑っているか否かを指針にしろ』って。
一気に駆け上がっていくことの喜びを感じる一方、淳の中では懸念もあった。「テレビに出るためにはどうすればいいかっていうところは、戦略通りいっているはず。だけど、テレビに出始めてから(戦略が)うまくいっていない感じかな。こういうふうにやりたいっていうのが、どんどん崩れてきている。自分たちの冠番組を何歳までに持ちたいっていうのは(目標をもって)やっていたけど、それが計算よりも早くきちゃうから、追いつかなくなっちゃう。ありがたいことではあるんだけど、そこから組み立てられなく。芸能界に飲まれていく感じ。駒になっていく…みたいな。駒になりたくないから抗うっていうか」。
一般人と絡むことによって笑いを生み出すタイプの番組を担当することが多かったが、淳は「一般の人と絡むしかなかったというか。横見ると、ニコニコしているイケメンのお兄さん(亮)がいるっていう(笑)。
ところが、今になって振り返ると、淳にとって、ここがコンビバランスのゆらぎを生み出すターニングポイントだったという。「過去に戻れるなら?」との質問で、率直な思いを打ち明けた。
「やっぱり、亮さんに進行をやってもらうっていうところかな。『ロンドンハーツ』がゴールデンで始まった時に、亮さんが3回くらい司会をやっていた。でも、亮がギブアップして、オレが引き継いだんだけど。でもあの時、ギブアップさせなかったらどうなっているだろうかって。(それまで)ずっとイーブンだったコンビバランスが、亮が遠慮し始めるのが『淳にやりなくない進行をやらせている』というところから崩れたと思うから。そこに戻ると…アイツはやさしいヤツだから『迷惑かけた』とか『申し訳ない』とかよく言うんだけど、あの言葉を言わせないようにできるのは、あのタイミングしかなかったかな。そしたら、あいつが闇営業に行くこともなかったのかな」
さらに、淳は「そこが唯一、どうにもうまくいかないところっていうか。亮さんのイジり方の正解、まだ叩き出してないと思う」とも告白。