■上司はごきげん、すばらしい雰囲気の会議に
その日の定例会議には、およそ20人が出席していた。最初に、楕円形のマホガニー製の大きなテーブルの中央に座った上司が、口を開いた。これまでの業績や達成してきたことを鼻高々に語り、それに対し、周囲の部下たちは何度も頷きながら、上司の話に、耳を傾けていた。
ひと通り話し終えると、上司は部下を一人ずつ指名し、それぞれが担当する仕事の現状について報告を促した。
ある部下は、まず「○○さんがこの仕事を私に任せてくださったことには、感謝してもしきれません」と上司にお礼を述べ、その後、自身が担当するプロジェクトの進捗状況について説明した。別の部下は、「○○さんのリーダーシップやご発言の素晴らしさには、いつも本当に感銘を受けています」と自然な流れで上司を称えた。さらに別の部下も、上司の功績を讃える言葉から発言を始めた。
会議は1時間半以上続いたが、上司は終始ご機嫌で、満面の笑みを何度も浮かべ、笑いや拍手が絶えないすばらしい雰囲気の会議となった。
皆さんは、このような会議をどう感じるだろうか。部下が上司を褒めすぎではないかと思うかもしれない。自分にはなかなかそこまで上司を直接褒めることはできないとも思うかもしれない。
これがアメリカのトランプ政権の日常なのだ。
■トランプ政権の閣僚会議
このシーンは、今年、トランプ大統領がホワイトハウスで主宰した閣僚会議において、実際におきたことだ。
トランプ政権の閣僚にとって、閣僚会議は真剣勝負の場だ。滅多に直接会えない上司である大統領に対し、自分の部署の成果を他部署のトップの前でアピールできる貴重な機会だからである。
閣僚たちは、これでもかというほど大統領を褒める。そして、その褒め方が非常に巧みだ。その言葉に乗せられ、トランプ大統領も上機嫌になる。
あからさまな称賛は「ゴマすり」と言えるかもしれないが、そのような発言に気分をよくするのはトランプ大統領だけではないし、多くの日本人上司にも当てはまるだろう。こうした発言は、会議を円滑に進める潤滑油の役割も果たしており、必ずしもネガティブな意味合いだけを持つわけではない。本稿では、この「ゴマすり発言」のポジティブな側面に注目していく。
■褒め・褒められ慣れているアメリカ人
まず、アメリカ人にとって「褒める」という行為は日常的で、自然に行われる。日本人は、褒めたり褒められたりすることにあまり慣れていないかもしれないが、アメリカで暮らしていると、しばしば褒められる場面に出くわす。
例えば、街を歩いていると、見知らぬ通行人から「そのTシャツ、カッコいいですね」とか「その靴、素敵ですね。どこで買ったのですか?」と声をかけられることがよくある。
これは「褒める」というより、良いと思ったことをその場で口にする習慣だ。女性同士がすれ違いざまに「髪の色が素敵ですね」とか「あなたのアイメイク、とても好きです」と言う場面を見かけたことも多々ある。そして、褒められた側も、そうしたやり取りに慣れているからか、ただシンプルに「サンキュー」と返すだけだ。
そういう「文化・習慣」を持つアメリカでは、仕事においても、相手を褒めることは多いが、それはゴマすりではない。純粋に「すごい」と思ったことを伝えたいだけなのである。
私自身の経験でも同業他社のアメリカ人の友人から、自分が書いて発表したリポートの内容を褒められた時、それをお世辞だとは感じず、自然にお礼を言えた。
■トランプ大統領は「わかりやすい」
一方、褒める行為に少しでも“ゴマすり的”な意味合いを込める場合は、単に「すごい」と思ったことを口にするだけでは足りない。そこには、上司の機嫌を良くしたり、会議を円滑に進めたりといった目的がある。
筆者は、トランプ政権の閣僚会議での発言をくまなくチェックしているが、多くの閣僚が、大統領の“扱い方”を熟知している様子がうかがえる。そして、トランプ大統領の表情は非常にわかりやすい。ポーカーフェイスとは正反対で、顔を見れば機嫌の良し悪しが瞬時にわかる。ゴマすり発言を受けて嬉しいときは、満面の笑顔を見せることもある。
閣僚たちは、トランプ大統領の性格もよく理解している。米主要メディアは、トランプ大統領を「承認欲求が強い」「攻撃的」「目的達成のためにはルールを破ることもいとわない」「人の話を聞かない」などと描写することが多い。トランプ大統領の周辺を取材すると、大統領が「もっと自分は褒められるべきだ」「誰も自分を正当に評価していない」などと発言しているという証言もある。大統領と直接会話する機会のある閣僚たちは、こうした承認欲求の強さをより鮮明に感じ取っているだろう。
■巧みな“ゴマすり”の手法
トランプ政権閣僚のゴマすり発言は、このトランプ大統領の承認欲求に直接働きかけることで効果を発揮している。閣僚たちは、大統領の欲求を満たす手段として、①感謝、②感銘、③功績への称賛を本人の目の前で明確に口にする。
■①感謝:称賛を求める上司に響く
閣僚の、トランプ大統領への感謝の言葉は、多くの場合、本心だろう。彼らは、発言の冒頭で大統領に感謝を伝える。あまり人の話を聞かない傾向のあるトランプ大統領に対しては、伝えたいことを冒頭で述べるのが最も効果的だからだ。実際、彼らが閣僚になれたのは、大統領のおかげである。「自分はもっと称賛されるべきだ」と考えているトランプ大統領にとって、「感謝」のフレーズは強く響く。
閣僚から「私にこの仕事を任せてくださったことには、感謝してもしきれない思いです」のような言葉を聞いたトランプ大統領は、大きく何度も頷き、「ありがとう」と返していた。ちなみに、冒頭で描写した閣僚会議の中で、閣僚からトランプ大統領への感謝の言葉は、およそ35回も発せられている。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、最近、この「感謝」という手段を用いて、トランプ大統領の心を揺さぶることに成功した。
しかしゼレンスキー大統領は、この手段の有効性を最初から理解していたわけではなかった。2月28日、ゼレンスキー大統領がホワイトハウスでトランプ大統領と会談した際には、アメリカへの感謝の言葉がなかったことで厳しく非難され、両者の間で激しい口論がおこった。
それからおよそ半年後の8月18日、ゼレンスキー大統領は、再びホワイトハウスでトランプ大統領と会談した。
「ホワイトハウスにご招待していただき、ありがとうございます」
「この戦争を終わらせるために個人的にご尽力いただき、深く感謝申し上げます」
ゼレンスキー大統領は会談の冒頭、1分間の発言で9回も感謝の意を表していた。
トランプ大統領は、ゼレンスキー大統領の発言に何度も大きくうなずき、半年前の会談ではなかった満面の笑顔まで見せた。「誰も自分を正当に評価していない」と感じているトランプ大統領にとって、ゼレンスキー大統領の感謝の言葉の効果はてきめんに効いていたようだ。
■②感銘:「褒められ上手」には効果的
部下が上司に対して「○○さんのリーダーシップやご発言の素晴らしさには、いつも本当に感銘を受けます」という発言をする際には、その上司が“褒められ上手”かどうかを見極める必要がある。「褒め殺し」という言葉があるように、褒められ慣れていなかったり、称賛を素直に受け取れないタイプであれば、かえって逆効果になりかねない。
トランプ大統領に関して言えば、間違いなく「褒められ上手」だ。かつて政権1期目の時、米政府高官は、「トランプ大統領は褒めがいがある」と筆者に語ったことがある。つまり、トランプ大統領は褒められることに慣れ、むしろそのような発言を求めているということだろう。褒められた直後のうなずき、笑顔、お礼の言葉は、褒められ上手な上司の典型的な反応だと言える。
■キラーワードは「リーダーシップ」
そのため閣僚たちは、何の遠慮もなくトランプ大統領を褒め、常に感銘を受けていることを伝える。閣僚会議でのゴマすり発言に用いられた単語を調べたが、閣僚が最も多く使ったのは「リーダーシップ」だった。
「あなたのリーダーシップのおかげで、アメリカはより安全になりました」
「あなたの類いまれなリーダーシップに感謝します」
「あなたのリーダーシップのおかげで、数字が改善されました」
こうして「リーダーシップ」という言葉は、トランプ大統領を称賛するためのキラーワードとして多用されている。
■③功績への称賛:具体的な数字で示す
「自分はもっと称賛されるべきなのに、十分に評価されていない」あるいは「(結果を出しても)それは私の手柄になっていない」と考えるトランプ大統領(上司)にとって、閣僚(部下)から具体的な成果を提示され、自分のことを称賛されることは大きな喜びだろう。実際、閣僚は数字やデータを用意し、本人の目の前で称賛の言葉を並べる。
「あなたのおかげで、2億5800万人の命が救われました」
「あなたのおかげで、不当に拘束されていたアメリカ人47人が解放されました」
トランプ大統領の功績を称賛するのは閣僚だけではない。外国首脳、企業経営者らからの称賛も相次いでいる。NATO(北大西洋条約機構)のルッテ事務総長は、今年6月に行われたNATO首脳会議直前に、トランプ大統領がイランの核施設を攻撃したことを称賛する書簡を大統領に送り、「このような勇敢な行動は誰もできない。あなたのおかげで、我々全員がより安全になりました」と、トランプ大統領を持ち上げた。
NATO首脳会議が始まってからも、ルッテ事務総長はトランプ大統領本人の前で賛辞を送り続け、「こびへつらっている」とはっきりと報じ批判するメディアもいた。だが、ルッテ事務総長は、これらのトランプ大統領へのゴマすり発言により、「トランプ大統領の機嫌を損なうことなくNATO首脳会議をつつがなく終わらせる」という目的を達成した。
■1期目は解任や粛清人事が相次いだ
トランプ政権1期目には、トランプ大統領に目を付けられて解任されたり、辞任に追い込まれたりした閣僚が何人もいた。政府高官に対する粛清人事も行われた。
2期目でも、自ら任命していない高官に対しては粛清を続けているが、自らが任命した閣僚には、現時点で全く手を付けていない。これは、閣僚が、感謝や感銘心、功績を直接トランプ大統領に伝えていることだけが理由ではないだろうが、少なくともそれを伝えられた瞬間の大統領は上機嫌だ。「ゴマすり発言」と呼べば響きは悪いかもしれないが、部下のそのような発言によって上司の機嫌が良くなり、会議が円滑に進むのであれば、それは必ずしもネガティブだとは言い切れないだろう。
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阿部 貴晃(あべ・たかあき)
ジャーナリスト
2000年、米国首都ワシントンDCに所在する大学院、ジョージ・ワシントン大学エリオット国際関係大学院卒業。その後、日系メディアのワシントン支局にて20年以上、国際関係の報道に携わる。この間、ホワイトハウス・国務省・国防総省・米国議会などにおいて、日米関係を中心に取材し、6期連続アメリカ大統領選挙、ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデンという4人のアメリカ大統領の同行取材(計40回以上の海外訪問を含む)などを経験する。トランプ政権1期目、バイデン政権時においては、ホワイトハウスを取材する海外メディアグループの、日本人初かつ日本人で唯一の会長に選出され、米政府と海外メディアの取材交渉と調整を担当。2025年4月より、ワシントンDCを拠点とするフリージャーナリストに。
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(ジャーナリスト 阿部 貴晃)