広陵高(広島市)の野球部内で起きた暴力行為問題を巡る騒動が続いている。作家・スポーツライターの小林信也さんは「広陵高校だけでなく高校野球には長年の慣習にしがみつき、面倒を避けようとする姿勢がある。
本気で子どもたちの成長を願うなら、今回の騒動をきっかけに大胆な改革をするべきだ」という――。
■広陵高校の対応に見る腑に落ちない点
まだそんなことをやっているのか――。
今回の広陵高校の件を耳にして、まず心に浮かんだのはこの一言でした。強豪校の野球部といえば、常に規律正しく、教育的にも模範的であるはずだという幻想がありますが、実際には旧態依然とした体質が根強く残っている。残念ながら、それが現実です。
私は30年以上前から、高校野球に潜む問題点を指摘し続けてきました。しかし、その間に何が変わったでしょうか。髪型の自由化ひとつとっても、つい数年前に「長髪の球児」がニュースになったほどです。笑ってしまうくらい遅れている。子どもたちの青春の一時期に、そんなことで縛りをかける必要があるのか、と心底思います。小さな改善はあっても、肝心な部分は依然として変わっていない。今回の件は、まさにその「変わらなさ」を凝縮した象徴のように見えます。

広陵高校の一連の対応を見ていると、どうにも腑に落ちない点が多くあります。「(1月の暴力事案に関与した部員への)処分は済んでいるから甲子園に出場しても問題ない」という理屈を掲げながら戦ったのに、なぜ勝った後で辞退に至ったのか。説明が一貫していません。そもそも、処分の根拠となった学校の報告書にはどこまで真実性があるのか、これも不明です。
■朝日新聞やNHKが守ってくれる
また出場辞退という学校の決定に、監督や選手が唯々諾々と従っているように見える点にも違和感を覚えます。処分済みとされている事案以外の問題も含め、いま取りざたされている出来事が実際に起きていたことを、そして被害者への救済措置なども含めて完全解決に至っていないことを、当事者である彼ら自身が暗に認めているように受け取れます。
学校側の動きを改めて振り返ってみると、「甲子園に出場しさえすれば守ってもらえる」という甘い見立てがあったことが透けて見えます。朝日新聞やNHKをはじめとした大手メディアが後ろ盾となり、外部からの批判もかき消してくれる。そういう「出場すれば勝ち」という甘い見立てが、学校側や監督に働いていたのではないでしょうか。
多少の問題を抱えていても「甲子園に出場しさえすれば許される」という認識がはびこってしまう要因のひとつに、高野連とメディアの関係があります。大会会長が朝日新聞の社長、副会長が高野連会長という図式は、考えてみれば奇妙なものです。教育をうたう大会のトップが新聞社という事業会社の経営者なのですから、矛盾以外の何ものでもないでしょう。
その結果、朝日新聞やNHKを中心とする大手メディアは、甲子園を美化する報道を大量に流し続ける一方、ネガティブな情報を封じ込めてきました。
■「監督=神」になる構図
ところが、時代は変わりました。SNSの存在が、この「守られる構図」を崩したのです。一般の人々の声が直接社会に広がり、予想外の反響を呼び起こす。これまでなら学校側の説明にメディアが追従することで収束したはずの問題が、今回はそうならなかった。
SNSによって世論が新しい力を持ったことを如実に示す出来事だったと思います。広陵高校の校長が「爆破予告があった」「生徒の命を守るために辞退を決めた」と発言したのは、被害者の立場を演出して世論を味方につけようとするかのようで、自らを追い込んだSNSを逆に利用しているようにすら見えました。
不祥事が起きやすく、また隠蔽(いんぺい)されやすい構造的な問題は他にもあります。例えば転校に関するルール。高校野球の世界には「転校したら1年間公式戦に出場できない」という規制がありますが、これは非常に重い縛りです。このルールがあることで監督の権力は絶大になります。
「嫌ならやめろ」と言われても、選手に転校という選択肢はほとんど残されておらず、結果として監督に従うしかなくなる。
この構造が、監督を神のような存在にしてしまうのです。多様性を重視する現代は、自分に合った環境を求めて転校を選ぶ子どもも多い時代です。その中で、野球部員だけが転校を選べない。これは明らかに時代に合っていない仕組みです。
■子どもたちの健全な成長をむしろ妨げている
もう一つ見逃せないのは、高校生を過剰に持ち上げすぎる風潮です。甲子園で活躍した途端にヒーロー扱いされ、雑誌やテレビで大々的に取り上げられる。しかし、裏で不祥事があれば一転して顔や名前がさらされる。まだ十代の若者にこれほどの光と影を背負わせるのは酷なことです。
そもそも高校生を全国放送で「夏の主役」に据える必要があるのか。NHKが毎年全試合を欠かさず全国中継する意味は本当にあるのか。私は強く疑問を感じています。
高校野球は教育の一環であるはずです。
エンターテインメントの主役に仕立て上げることは、子どもたちの健全な成長をむしろ妨げているのではないでしょうか。NHKは「おらが町の高校生が頑張っている姿を各地にお届けするためだ」というのかもしれませんが、甲子園出場メンバーに地元の子どもが1人もいない、などということがざらにあるのが現実です。では、どうやって高校野球を健全な方向へ導いていくか。私はいくつかの改革案を考えています。
■「夏の甲子園」への幻想を断つ
まず第一に、「夏の甲子園」への幻想やノスタルジーを思い切って断つことが不可欠です。そうした固定観念こそが変化を阻む最大の要因だからです。例えば、大会の開催時期の見直し。真夏の炎天下での熱戦にドラマを期待するのは、見る側の勝手にすぎません。
自分はクーラーのきいた部屋で観戦し、現場の高校生に命がけのプレーを強いる。そんな理不尽は許されないはずです。子どもの健康を第一に考えるなら、時期、そして「聖地」とされてきた会場の見直しを真剣に検討すべきです。
関連して、春の大会の在り方も根本から問い直すべきだと思います。
現状では春季大会や地区大会が行われていますが、対外試合の解禁直後だったり、新入生が入学したばかりの時期だったりと、選手に無理を強いる側面が強い。結果としてけがにつながる可能性も高くなっています。
そこで春の時期は「勝ち負けを競う場」ではなく「学びの場」へと性格を変えてはどうでしょうか。地域ごとのリーグ戦を充実させたり、野球を通じて社会との接点を広げる活動――地域の子どもたちに野球を教えたり、お年寄りと交流試合をしたり――といった試みも考えられるでしょう。これは教育的観点からもきわめて重要な取り組みです。勝敗を超えて「野球を通じて人間として成長する」という本来の目的に近づくからです。
■朝日新聞を主催から外す
何をするかは子どもたち自身に考えさせるのがよいと思います。今回、広陵高校が甲子園の出場辞退を決めた後の説明会で、選手から「何ひとつ質問がなかった」ことを校長は誇らしげに語りましたが、私はそれを聞いて非常に不気味に感じました。選手たちが、大人の言いつけを黙って聞くだけの子どもにしつけられてしまったように思えたからです。
本来、高校時代はそれぞれの感性や想像力を培うべき時期。大人たちは野球を通して、そのような機会をできるだけ多く提供できるよう努めるべきでしょう。
夏の甲子園に話を戻すと、主催や運営の在り方そのものを見直す必要があります。
現在は朝日新聞社が主催者として大きな権限を握っています。またNHKが放映権料なしで全国放送を行っているのも有名な話です。そうした形を今後も維持することに、どれほどの意味があるのでしょうか。
例えば、日本高野連による単独の主催にし、朝日新聞社はスポンサーに回る。そうした変更のどこに不都合があるでしょう。高校野球のビジネス化の是非は議論すべきですが、現状をそのまま移行するならNHKへの放映権の無償提供をやめ、民間の配信サービス企業に適正な価格で販売すれば、高野連の事業収入が確保でき、野球振興のための取り組みに活用できます。
■高野連会長が放った希望の一言
こうした改革は「不可能」ではありません。ほんの少しの工夫と勇気で始められることばかりです。問題は、現場にいる大人たちが「変わる意志」を持つかどうか。長年の慣習にしがみつき、面倒を避けようとする姿勢を改めなければなりません。教育者として子どもの成長に責任を持つのであれば、必ず実行できるはずです。
私は極論かもしれませんが、「一度、大会そのものをやめてみる」ことも選択肢としてあり得ると考えています。これだけ大きな社会問題になった以上、普通の企業なら「不買運動が起こるかもしれない。根本から見直すべきだ」と判断するに違いありません。しゃにむに継続させようとはしないはずです。
それに、もし甲子園がなくなったとしても、日本社会が困ることはないのです。子どもたちの夢の形は、甲子園だけではないからです。むしろ「甲子園だけが夢だ」という幻想が、子どもたちの視野を狭め、監督や学校に絶大な権力を与えてきました。いったん立ち止まり、「本当に高校野球はこの形でいいのか」と考える。その機会を持つことこそが重要です。
高野連の会長が会見で、「SNSで情報が流通することには良い面もある」と答えたことに私は感銘を受けました。今後、高野連を中心に教育的観点に主眼を置いた改革が進むなら、何かしらの工夫が生まれるのではないか。私は小さくとも希望を抱いています。
SNSには過熱や誤情報というリスクもあります。しかし、情報が一方的に「なかったこと」にされてきた時代を思えば、大きな進歩だと感じます。世論の力が大会運営や学校の在り方に具体的な影響を与え始めている。この事実は無視できません。世論とSNSの力が新しい風を吹き込み始めた今、これを「転機」として捉えるべきでしょう。
私たちが本気で子どもたちの成長を願うなら、改革の道は必ず開けるはずです。

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小林 信也(こばやし・のぶや)

作家・スポーツライター

1956(昭和31)年、新潟県長岡市生れ。慶応大学卒。「ポパイ」「ナンバー」のスタッフ・ライターなどを経て、作家・スポーツライターに。現在はテレビ番組のコメンテーターとしても活躍。主な著書に『長嶋茂雄語録』『長嶋茂雄 永遠伝説』『消えた天才ライダー・伊藤史朗の幻』『真夏の甲子園はいらない』『武術に学ぶスポーツ進化論』『大の里を育てた〈かにや旅館〉物語』などがある。

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(作家・スポーツライター 小林 信也)
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